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鳴り響くサイレンの音で俺は目を覚ました。頭が痛い。割れそうに痛い。ここはどこだ。頭痛の影響だろうか、少し記憶が曖昧だ。そうだ、ここは俺の家だ。俺の部屋の俺のベッドだ。俺は高熱をだして寝込んでいたのだ。ぼやけていた記憶が少しずつはっきりとしてきた。
寒い。熱のせいか寒気がする。いったいどれぐらいの時間眠っていたのだろう。腹が減った。飢え死にしそうなくらい、腹が減った。寒い。
どこからともなく美味そうな匂いが漂ってきた。これは妻の、えーと名前は何だっけ、そうだ、律子だ。律子が作るカレーの匂いだ。間違いない。俺の大好物だ。頭が痛い。寒い。腹が減った。とてもいい匂いだ。
俺はベッドからゆっくりと起き上がった。かなり長時間眠っていたのだろうか、体の節々が痛い。頭はもっと痛い。寒い。腹が減った。
部屋を出ると、俺はよろめきながら匂いのする方へと歩いていった。足が折れそうなくらい痛い。寒い。それにしてもこの家は寒すぎる。外から聞こえるサイレンの音が頭に響く。
俺は匂いのする部屋へと入っていった。ダイニングルームだ。ダイニングはカレーの美味しそうな匂いが充満していた。いい匂いを嗅いだからなのか、頭の痛みも少しましになったような気がした。
ダイニングでは娘が、えーと娘の名前は確か弥生、弥生が美味しそうにカレーを食べていた。弥生は俺の顔を見ると、カレーでいっぱいになった口で笑いながらこう言った。
「パパ、病気はよくなったんだね。一緒にカレーを食べようね」
あまりの空腹にすぐにでも食べようとした私を、娘の弥生はこう諌めた。
「パパ!いただきますをしないとダメですよ」
頭に響くサイレンの音と頭痛、体の痛み、そして空腹で餓死しそう気分になっていた俺は少しイラッとしたものの、俺の躾をきちんと守っている娘をとても愛しく思った。
幼い頃に祖母から教えられた感謝の言葉。人は生きていくために他の生き物の命を貰っている。だからけっして感謝の気持ちを忘れてはいけない。祖母は食事のたびに俺にそう言っていた。
いただきます。
俺はそう言うと夢中で食べた。美味い。こんなに美味いカレーは初めてだ。ズルズル、ビチャビチャと汚らしい音を立てて食べた。その音も耳に心地よかった。身体が徐々に暖まってきた。それとともに頭と身体の痛みも和らいできた。
ガチャン!
何かが割れる音がした。俺は食べるのを止めて音のした方を見た。ダイニングとキッチンをつなぐ戸口で妻の律子がへたり込んでいた。カレーライスの入った皿を落としたようで、エプロンがカレーまみれになっていた。
「弥生に……弥生に何をしたの……」
震える声で律子はそう言った。
俺は振り返って弥生の方を見た。弥生は椅子から落ちてひっくり返って寝ていた。律子と同じように、カレーをお気に入りのワンピースにぶちまけるようにして。弥生は律子に似てお転婆だな、俺はそう思った。
その時、顔色の悪い男が窓から俺の方を見ていた。男の口の周りはカレーで汚れていた。よく見るとそれは窓ではなく鏡で、俺の顔を写していた。口の周りのカレーを手で拭うと、手は赤黒い血のようなものに染まった。
俺はもう一度弥生の方を振り返って見た。弥生が腹にぶちまけていたのはカレーではなかった。弥生がぶちまけていたのは自身の臓物だった。ああ、俺が食ってたのはカレーじゃなくて、弥生のはらわただったのか。どおりで美味かったわけだ。でももうすっかり冷めてしまったようだ。
俺の鼻が別の美味そうな匂いを嗅いでいた。匂いの出どころは律子だった。細身で無駄な肉のないしなやかな肢体。きっとはらわたも温かいに違いない。ヨダレがダラダラととめどなく流れてきた。俺は腰が抜けて立てなくなった愛する妻の方へとよろめきながら歩いていった。
「やめて!あなた、やめてーーーー!!」
律子の絶叫が耳に響いた。
愛してるよ、律子。俺は絶叫する律子の体にむしゃぶりついた。ああ、なんて美味いんだ。サシの入ったやわらかな筋肉。溢れ出る温かい血。こんな素晴らしい妻がいるなんて、俺は本当に幸せ者だ。
美しい瞳から涙を、かわいらしい口から血を流しながら華奢な体を痙攣させていた妻の律子は、声にならない声を上げるとやがて絶望的な表情をしたまま静かになった。俺は律子の内蔵を堪能すると、冷たくなった律子の体から自分の身を起こした。
さっきからサイレンの音が鳴り止まない。今夜はいったい何があったというのだろう。俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
しばらくすると眠っていた弥生がブルブルと体を震わせ、むくりと起き上がった。お腹から腸をだらんとぶら下げていた。そして、律子も同じように体を震わせてからゆっくりと立ち上がった。
やっと起きたのかい、弥生。それに律子も。律子はお腹が空いているんじゃないかい。そうだろう。それじゃあ今夜は久し振りに三人で外食にしようじゃないか。弥生もお腹が減っただって。さっきカレーを食べたばかりなのにな。弥生の食いしん坊はパパに似たのかな。
律子は何が食べたいんだい。俺は肉が食べたいな。さあ、みんなで出かけよう。それにしても今夜はやけにサイレンがうるさい夜だなあ。
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