母の初恋

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母の初恋

私、上野美穂と娘の亜香里は、能登の門前にある大本山總持寺祖院に来ていた。    ここには、全国残骨灰精霊供養塔があり、火葬で収骨後に残った遺骨を埋葬供養してくれる場所なのである。   ここに一年前になくなった父、上野栄治が眠っている。    娘を亡くした友人から、ここの存在を聞いていたのだった。    もちろんお墓には骨壺に入ったお骨が収められてはいる。 しかし、 その友人はこう言った。   「もし許されるものなら、一かけらも残らず、娘のお骨を手元に置いておきたかった。だから總持寺まで来て、残りの娘に思いをはせる。」と。    娘だったら、そうだろうな…。    こんな父でも、亡くなってみると愛おしく思えるものだ。    私たちは、父の写真を台座に立てかけ、静かに手を合わせ、背の高い緑青色のお釈迦様を見上げた。   「きれいな顔しとるね。」   「ほんと、優しい顔。お父さんの事じゃないからね。」   「分かっとるよ。こんな頑固じいさんの訳ないやん。でも、こういう場所があって良かったね。これで、なんか気持ちも収まった気がする。」    美穂は、この門前に来る前に、亜香里と二人で実家で父の遺品を整理していた。  そして、母宛ての、ある古い葉書に目が留まった。    父が愛用していた輪島塗の硯箱に、金箔の桜模様の万年筆、二俣和紙の便箋と封筒とともに、その葉書は入っていた。   「あ、『佐々木貴美子』って、お母さんの旧姓や。それも富来宛てや。」 「もしかして、じいちゃんが書いたん?」  「ううん、違う人やわ。差出人は『三田和一郎』って言う人みたい。この人も富来だって。母さんの実家があった場所やね。」   『貴美子様 秋も深まりつつある季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。  あなたのいない寂しさを秘め、戻れない日々を思い、それぞれの道へと決めた地で、前を向いて過ごしております。  さて、どうしてもお渡ししたいものがありますので、ご連絡をお待ちしております。  季節の変わり目につき、くれぐれもご自愛ください。』   「キュンってなるね。」 「そういえば、母さんが言ってた。親が決めた結婚やったって。そうなんや、好きな人がいたんやね。」   「この和一郎さんって人、まだ、生きとるかな。」 「さあ、母さんくらいの歳やったら、どうなっとるか分からんね。」 「渡したいものって、何やったんやろうね。それにしても、なんで、おじいちゃんがこれ持っとってんろ?」 「それね、結婚してから、母さん宛ての手紙類は、父さんがすべて管理していたって。」 「へえ、典型的な亭主関白っていうやつや。」   「ねえ、ママ、ばあちゃんに聞いてみんけ?この葉書の人の事。」 「そんな昔の事、覚えとっかね。」   「好きな人がいたのに、別の人と結婚させられたげんろ?忘れられんと思うわ。おじいちゃんには悪いけど、もうおらんし。」 「けっこう残酷なこと、さらって言うね。まあ、こうやって取っておいたってことは、いつか渡そうと思っとったんかもしれんしね。」    母親の貴美子は、夫の死後も住んでいた家で一人で暮らしていた。足腰に難はあるものの、生活にも支障はなかったが、85歳という高齢でもあり、美穂は休みの日には母の様子を見に来ていた。   「ばあちゃん、来たよ~」 「亜香里か、あんた一人でも賑やかやね。」 「暗いより、いいがいね。」 「電話で話したいって何か言っとったけど。」 「そうそう、この前、ここで父さんの遺品整理してた時に、古い葉書を見つけてんけど。」 「へえ、父さんのものは一切、手を触れたらダメやったし触れんかったわ。そんなもんあったんやね。」 「もう、おらんのやし、見ても良いんじゃないが。」 「そうなんやけどね。そんな気にもなれんし。眼も薄なって。ほんで、その葉書がどうやて?」 「宛名がね、母さんの旧姓の佐々木になっとるげん。昭和38年ってなっとる。」 「結婚したころや。誰から?。」 「『三田和一郎』って書いてあるわ。」 「えっ、和一郎さん?葉書なんてもらっとらんかったわ。なんて書いてあるが?」    美穂は葉書の文章をそのまま伝えた。   「そうやったんや…。お父さん、私に気を遣ったんやわ。」 「ばあちゃん、そんな風に思えるんやね。私やったら、怒って見せんかったやと思うけどな。」 「怒っとったら、その場で、破って捨てとったわいね。」 「そうかぁ、ばあちゃん、結局、この渡したいものって、もらったん?」 「もらっとらんよ。」 「なんやろね。すっごい気になるわ。でも、ばあちゃんの事好きやったんやね。ばあちゃんも?初恋け?」 「何言っとるんけ、恥ずかして、そんなもん言えんわいね。」   「では、亜香里探偵出発!ママ手伝ってよ。今度休みいつ?」 「嫌やわ、忙しいがに。」 「ドライブやと思って。」 「1日だけやよ。」    一週間後、    三田和一郎の住所を訪ねた。  富来の西海ってこの辺だよね。  美穂たちは、漁港が見える海岸沿いを車を走らせていた。 「ちょっと降りて、誰かに聞いてみようか。」 「磯の薫りっていいね。風が気持ちいいわ。」  亜香里は、思い切り背伸びをした。    美穂は、家の前にいた若い男性を見かけ声をかけた。 「すみません、この辺に、三田和一郎さんって住んでましたか?」 「三田?だいぶ前に、そこに三田って民宿があったんだけど、その和一郎って人はわかんないですね…でも、ちょっと待ってて。」    そう言ってその若い男性は、高齢の女性を連れてきた。 「ばあちゃん、この人達だよ。」 「あんたら、和一郎さんを探してるって?」  美穂は、母親のことも含めて、葉書の事を話した。 「へえ、貴美ちゃんとこの娘さんか。お孫さんも。これはビックリやわ。貴美ちゃんと、私、同級生ねんて。」 「えっ、そうなんですか?」 「貴美ちゃんは元気なんかね。」 「えぇ、今内灘にいます。元気ですよ。」 「会いたいね。金沢行ったと思ってたけどね。」 「父と結婚してから内灘に移ったみたいです。」 「そうなんやね。で、和一郎さんか。どこにいるか分からんね。もう20年も前やね。この民宿をやめてからは、分からんわ。」 「ばあちゃん、ほら金子さんって、三田さんの息子さんと友達やて言っとったよ。」 「あぁ、そんな事言っとたかもしれんね。うちの息子の知り合いでね、能登島のガラス工芸の職人しとるわ。」   「いつ見ても、やっぱ綺麗やわ。七尾湾、絶景すぎる~。」 「あんたも、はよ免許取ってや。私もじっくり見たいわいね。」 「そのうちにね~」    美穂たちは、能登島大橋を渡っていた。    能登島ガラス美術館は、海を臨む小高い丘に建っている。様々なガラスアートの作品が展示されており、光の中の異空間にいるような感覚も味わえ、その併設している工房では、アクセサリーなどの手作り体験もできる。  その工房に、金子はいた。    汚れたエプロンのまま、軍手を脱ぎながら、金子が現れた。 「三田さんの事ですね。息子さんとは、友人やけど、最近会っとらんしな。年賀状見れば住所分かりますけど。後で連絡しましょうか。」    その夜、金子から連絡があり、息子さんの名前と金沢の住所を教えてくれた。    浅野川沿いにその家はあった。  美穂は、深呼吸をしてから、インターホンを押した。   「すみません、上野と言います。和也さんはご在宅でしょうか?」 「主人は、仕事に行ってますが、どういうご用件でしょうか。」 「和一郎さんについてお聞きしたい事があって。」 「義父のことですか?」 「そうです。」 「ちょっとお待ちください。」    40歳代くらいの細身の女性が出てきた。 「どういう事でしょうか?」  美穂は葉書を見せ、ここに訪ねた理由を話した。 「義父は、もう、亡くなりました。あの、でも、これって、失礼じゃありません?義母は、まだ施設で元気に暮らしてるんですよ。」 「すみません。そうですよね。わかりました。」 「主人には一応伝えてはおきますけど。」   「そうよね。確かに。」 「ばあちゃんに言う?」 「どうしようか、分からなかったってことにしよかな。」 「そうだね。~残念だったね。そう、上手くは行かないってことだよ。」   「ね、あめの俵屋って近いよね。」 「歩いて行けるけど。」 「じゃ、買って行こうよ。ばあちゃん好きやし。」    あめの俵屋は、観光ガイドには常連だが、昔ながらの本当に小さな店である。  白地に黒字で、大きく俵屋あめと書かれた白い三枚の暖簾をくぐると、昔ながらの店構えで迎えてくれる。米と大麦だけで作られた、やさしい甘さの飴である。 「ばあちゃんは、やっぱり、この琥珀色のじろ飴でしょ。」   「さ、まいもん寿司でも食べて帰りますか。」      一週間後、美穂の元に、三田和也から連絡が来た。  和一郎が書いた葉書を見てみたいとのことであった。   「亜香里、今度、土曜日、行くわよ。香林坊の喫茶店で待ち合わせね。」 「すごい、連絡来るなんて、意外。あの奥さん、もしかしたら言わんやろって思っとたんに。」     「ママ、最近、こういうレトロな純喫茶が若い人にも流行っとれんよ。」 「確かに、昭和?大正ロマンかな。この暗さがいい雰囲気ね。BGMもレコードの軟らかい音もいいね。」   「あの、上野です。」 「ああどうも初めまして、三田です。」 「自分の事、金子に聞いたとかで。」 「すみません。迷惑じゃなかったですか?」 「いいえ、父の事は知りたかったので。実は、僕だけに父が好きだった人の事聞いてたんです。」 「そうなんですね。で、葉書、これです。」 「はあ、これなんですね。いやあ、歴史を感じます。」 「母はこの葉書が来た時はもう父と結婚していたので、父が母に渡さずにずっと持ってたんです。父が一年前に亡くなって、遺品を整理していたら出てきたもので。この渡したかったものが何か知りたかったんですが、亡くなってたんですね。そうかもって思いながらだったんですけどね。」 「それなんですが、たぶん、絵だと思います。」 「絵ですか。」 「実は、父は若い頃から絵を描くのが好きで、富来の海の絵をよく描いてました。その中に人物の絵が1つだけあったんです。」 「もしかして。」 「たぶん、あなたのお母さんだと思います。妻から葉書の話を聞いた時、思い出したんです。子供の頃、父にこの絵は誰なのか聞いた事があって。昔きれいな人がいて、描かせてもらったけど、渡しそびれてしまったんだよって。たくさんある油絵の中でも、その絵だけは布に包んで大事にしてたようでした。」 「母の写真あります。これですが。」 「間違いないですね。お綺麗な方だ。絵の写真見ますか?」 「ほんとだ、母です。分かります。若い頃の写真見たことありますから。」 「あの、今度、21世紀美術館で、展示会を開きます。あ、私、画家なんです。父の影響で。この絵が私の原点なので、展示しようかと思ってます。」  2週間後から1週間展示してますので。お母さまと観にいらしてください。」 「うれしいです。母も喜びます。」    母はいつもより、おめかしをして、21世紀美術館へ足を踏み入れた。 「やだ、美穂ドキドキする。」 「ばあちゃん、初恋の人に逢えるからね。」   「あ、三田さん。」 「お母さまですね。父も待ってますよ。」  美穂は腰の曲がった母の手を引き、ゆっくりと展示室へ入った。    その絵はすぐわかった。  20号のキャンバスには、海を背景に、三つ編みの女性が描かれていた。 「これ、ばあちゃんなんだ。すっごく、きれい。」  絵の前の立った貴美子は、ポロポロ涙を流し泣いていた。  「和一郎さん、やっと逢えましたよ。」   「ばあちゃん、純愛だったのね。」      展示のあと、貴美子の絵は、実家のリビングに飾られた。    貴美子は、夫の栄治の写真の前で語りかけた。   「お父さん、葉書取っておいてくれてありがとね。あなたのやさしさが、今になって身に染みてますよ。やきもち焼かないでね。あなたを一番愛してますから。今でも。」
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