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★ネイサン
昨夜から尋問している男は、ほぼ何も知らないのだろう。金をちらつかされ、参加した。一緒に行動していた奴らも知らない奴らだった。ボスが誰か、依頼主が誰かなんて知りもしない。当日指定された場所に行くと指示役の男がいて、そこで初めてターゲットや手順が説明され、その通りに動いた。
まぁ、大概がこんなものだ。ルースの乱以後、組織は縮小傾向にあり大きな事をするには人数が足りなくなってきている。そこで軸となる組織が他の組織に金を出す代わりに人を出させたり、その場限りでごろつきを集めたりというのが多くなってきている。
現在強い力と組織力を持っているのは古くからある裏組織ばかり。その大半は、影の支配者であるヒッテルスバッハの監視の下にある。
「手詰まりか、ネイサン?」
「そうだねぇ。取れる情報、もうないかもね」
ファウストが攫われたとなれば、悠長にもしていられない。だが、ないものを搾り取る事はできない。諦めるべきだろうと考えていたとき、ドアが開いてクラウルとスペンサーが入ってきた。
「あ? ボス……と、そっちは?」
「……スペンサー・ヴォーン」
リュークスはとても不思議そうだが、ネイサンは知っている。彼がどういう経緯を持っているのかを。
「そいつと話がしたいそうだ。少し時間をやろう」
「ちょっ、ボス本気か? そいつ、騎兵府の一年だろ。俺らが無理なもの、どうやって」
「構いませんよ、ボス。こちらはお手上げなので」
ごちゃごちゃ言っているリュークスを下げ、ネイサンはスペンサーへと席を譲る。そしてクラウルの隣、壁際へと場を移した。
「おい、ネイサン」
「黙って見てるんだよぉ。学ぶものがあるかもしれない」
「あぁ?」
リュークスは険しい目をするが、ネイサンは多少楽しみでもあった。
黒の神父。その尋問をこんな間近で見る事ができるのだから。
スペンサーはニコニコと穏やかにしている。それに、警戒している男が訝しげな顔をした。
「初めまして、スペンサーと申します。この度は大変な事になりましたね。昨夜は眠れましたか?」
「はぁ? んなわけないだろうが!」
「そうなんですか? それはいけませんね。食事は食べましたか?」
「……まぁ」
「それは良かった」
とてもニコニコと、気の抜ける声で何でも無い会話をするスペンサーに、男は首を傾げる。それでも、スペンサーの会話は止まらない。「好きなものは?」「食べたい物は?」「眠いと頭が痛くなりますよね」などなど、とにかく関わりのなさそうな会話ばかりだ。
「おい、あいつふざけてるのか?」
隣のリュークスが訝しげな顔をする。今ではどこかの飲み屋の会話のように、主にスペンサーが主体となって話している。
一見、関係はない。だが明らかに男の様子は変わってきている。緊張していただろう気構えは薄れて、時折笑みが見えるようになった。
「上手いな。まずは話しやすいように下地を作ったか」
「圧迫ばかりが喋らせる方法ではない。流石、国一番の情報屋の片腕」
クラウルが呟き、ネイサンも頷く。
その目の前で、とうとう話が動き出した。
「あっ! そういえば俺、おじさんの名前を知りませんでした!」
「ん? おぉ、そうか。ドルーってんだ」
「っ!」
驚いたのはリュークスだ。これまでの間で、リュークスは男の名前を聞き出す事もできなかった。完全な警戒状態で、口を閉ざされてしまっていたのだ。
「ドルーさん! 男らしい名前ですね」
「お前も頭良さそうな名前だ」
「いえいえそんな。恥ずかしいですー」
ここが尋問室である事を忘れる和やかさだ。
「ドルーさんは王都の出ですか?」
「いや、西だ」
そう言った時のドルーは、少し悲しそうだった。
「それは、苦労なさったでしょうね」
「まぁ、そこそこな。両親が戦争で死んで、悔しくてな」
「もしかして、ルースの乱に?」
スペンサーの問いかけに、ドルーは躊躇いながらも頷いた。
「大変な戦いだったそうですね。俺はその時騎士でもなんでもなかったのですが……よく、生き延びてくれました」
「偉そうにしているが、実際はビビって戦う事もできずに逃げたんだよ。情けない」
「そんな事はありませんよ。命かかってる事に、情けないも何もないですって。だって、死んじゃうんですよ? 逃げる事だって大事ですから」
穏やかに、本当にドルーが生きている事を喜んでいるような口調で話をしているスペンサー。これまでの会話も全て、彼は聞き手でありながらも仕切っている。ドルーなどはもう気持ち良く、聞いて欲しいという様子まで見せている。
流石だ、これは考えなしではすぐに喋ってしまう。逆に警戒する相手にはそれなりの構えでいくのだろう。
「本当に、そう思うか?」
「勿論! 命あっての物種っていうじゃないですか。どれだけ志が高くても、死んでは意味がありませんよ」
「そうか。ははっ、情けない俺の人生も、生きてるだけで儲けもんってか」
「勿論ですよ。生きていなければやれる事もやれません」
「……ちっとは、自分を褒めてやれるかな」
しんみりと言う男に、スペンサーはしっかりと頷いた。
「ルースの乱の後は、王都に?」
「あぁ。拾ってくれた人がいてな。こんな学のないバカな俺の事を拾って、俺の事情も知ってるってのに……」
知らない話だ。ネイサンもクラウルも耳をそばだてる。ドルーはしんみりと、少しずつ話し始めた。
「大工でな。なんだかんだ喧嘩しながらも、師匠と弟子としてやってたんだが」
「その人は、今回の事を知っているのですか?」
ドルーはゆっくり首を横に振る。そして今回この事に加担した経緯を話し始めた。
「胸の病気でな。医者の話じゃ、長くないらしくてよ。いい薬使ってやれば、もう少し長生きできるらしい」
「では、今回これに加担したのって」
「あぁ。前金だけで結構な額でな。薬買うのに、使っちまった。成功すればその三倍は貰えるっていうんだ。しかも集めてるボスってのは、西の生き残りらしくてな」
「西の?」
「らしい。俺も他の奴が話してるのを聞いただけだから、詳しくは知らねーがな」
「なんて呼ばれてたとか、知ってますか?」
「…………確か、ハイエナとか。頬にデカい刀傷があるらしい。見たことないから分からんが」
「そうですか。有難う、ドルー」
「……俺は、死刑か?」
小さな声で問いかけてくるドルーを前に、スペンサーがなんとも言えない顔をクラウルへと向けてくる。
それを受けて、クラウルもしばらくは考えていた。
「裁判がある。今回のお前の罪は多い。決して軽くはない」
クラウルの言葉に、ドルーは俯いたまま動かなくなる。スペンサーの顔は、とても気遣わしいものになった。
「だが、こうして素直に供述し、反省の態度も見せている。事件への積極的な協力も、プラスの材料に出来る。軽くはないが、償えない罪ではない」
「本当か!」
「絶対とは言えないが……もう少し、何か覚えていないか? 例えば、今回襲った奴らの共通点とか」
「いや、無いと思う。色んな奴がいたが、金に困って集まったとか、荒事が好きな奴とか。とにかくまとまりがなかった。王都で募集をかけたらしい」
「アリア・マクファーレンの情報等は誰が言っていた」
「指示役の奴がいて、そいつが言っていた。まずはその女を捕らる。そうすれば、ターゲットの三人は抵抗できないと」
「その指示役の顔は覚えているか」
「なんとなくだが……」
「十分だ。似顔絵を描く、ネイサン頼む」
「かしこまりました」
随分と素直になったドルーの前に再び座り、スケッチブックを広げる。今度はとても素直に応じてくれる。まったく、毒を抜くのが得意な人間は得が多い。
目の前の男も憑き物が落ちたようだ。
スペンサーを見る。そして、惜しい人材が騎兵府に流れたものだと溜息をついた。あの才能があれば絶対に暗府では出世コースだというのに。
惜しいが仕方が無い。彼を連れてきたランバートが、暗府だけには入れないと強固に言ってきた。暗府に入ったのでは、今までと何ら変わらないと。それもそうなので、クラウルは諦めたらしい。
だが今一度その話術を見て、やはり惜しくなったネイサンだった。
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