西のハイエナ(スペンサー)

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西のハイエナ(スペンサー)

 捕らえた男から聞いた情報は十分なものだった。これを元手に更なる情報を集める事ができる。  クラウルに直談判したスペンサーはその足で、下西地区にある見慣れた屋敷を訪ねた。  なんとも複雑な気分ではあった。ここを出た時、戻る事はないと思っていたのだが案外早く戻る事になった。勿論所属を変えるつもりはないが。  ノッカーを叩くと、人相の悪いのが数人凄んで出てくる。こいつらは番犬だ。ここの主はこんなのを沢山飼っている。 「誰だ……って、サイモンさんじゃないっすか!」  その声に、室内にいた番犬がゾロゾロと顔を出して口々に「サイモンさんだ」と嬉しそうに言ってくる。これにはスペンサーも苦笑いだ。こうも捨てた名前を連呼されると、本当に足を洗ったのか疑問に思えてくる。 「何事です」  一階の騒ぎを聞きつけた黒髪の青年が下りてきて、戸口に立つスペンサーを見て足を止めた。 「サイモン」 「ユアン、久しぶり。九ヶ月くらい?」 「約一年です。どうしました? 抜けて、今はスペンサーと名を変えたと思いましたが」  訝しげに首を傾げる元同僚に苦笑したスペンサーは、ここのボスである情報屋、シン・ブラックへの取り次ぎをユアンに頼んだのであった。  程なくして通された部屋で、シンはとても不満そうな顔をして待っていた。これにも苦笑が浮かぶ。想像はしていたのだが。 「お久しぶりです、元ボス」 「当てつけかしら、サイモン」 「いえいえ」  このくらいは毎度の事。勝手知ったる相手に軽口を叩きながら笑ったスペンサーは、シンの前に腰を下ろす。そこに紅茶が出され、出したユアンを見て同じく苦笑した。 「それで? 今更ここに来た理由はなにかしら? アンタの席はもう無いわよ」 「席はいりません。欲しいのは情報ですよシン。情報屋なんですから、当然ですよ」  鋭さを見せるシンに対して、スペンサーは軽く流している。それがまた気に障るのか、シンは腕を組んで大きくのけぞった。 「アタシの情報は高いわよ」 「確か、退職金頂いていませんでしたよね?」 「え? た……退職金? え?」 「俺、これでも十代全部を貴方と貴方の組織に捧げたと思うんですよね。勤続十年、その間にどれだけ為になる情報を持ち帰った事か」 「うっ、まぁ、そうねぇ」 「怖い思いも、命の危険もありましたよ」 「そう、ねぇ」 「そんな功労者に、貴方は餞別一つ渡しては下さらない。とても寂しい思いでした」 「アンタが組織を抜けて堅気になるって言い出したんじゃない! アタシは手放すつもりなんてさらさら……」 「一生裏社会にどっぷりなんて嫌ですよ。機会があれば更生したいって思っていたんです。むしろ、偉くないですか?」  シンを相手にまったく口の減らないスペンサーの笑顔は崩れない。ニコニコしながら話をしている。  ユアンは苦笑し、シンは呆れる。この話術がこの組織を助けてきたのは、確かな事であった。  スペンサー・ヴォーンは、騎士団に入る際にランバートが用意したまっさらな経歴。本名はサイモン、下町で生まれ両親を知らず、町に育てられた少年だった。  昔から大人を相手に聞き役をしたりと、とにかく話を聞くのが好きな少年は少し大きくなると喧嘩の仲裁などをするようになった。  その話を聞きつけたシン・ブラックが声をかけたのが、スペンサーが十代初めの頃だった。  そこからずっと、勉強しながら潜入、情報収集、戻るを繰り返してきたのだ。  けれど二十歳を前に、考えたのだ。自分の人生、このまま闇に紛れて終わってしまうのかと。  そう思った時に、真っ先に出てきたのが騎士団だ。とても、眩しく明るく見えた。  可能ならばあそこに行きたい。思って頼ったのはランバートだ。彼は知っていたから、接触しやすかったとも言える。  そうして何だかんだとお願いして、綺麗な経歴と新しい名前、そして新しい生活を手に入れた。  シンとは少しもめたけれど、ほぼ家出のような感じで出てきた。だから今も少し、しこりが残っている感じだ。 「シン、サイモンを相手に口で言いくるめようなんて時間の無駄ですよ」 「ユアン!」 「いいではありませんか、餞別くらい。騎士団関係で来たのでしょ?」 「流石ユアン、その通りだよ」 「ということは、サイモンが空振りで戻ると次は何がくるか分かりませんよ」 「今ランバート様、悪魔が泣きべそかいて逃げる程気が立ってますよ」 「いや、でも……」 「ちなみにジョシュア様は魔王そのものの……」 「もう、分かったわよ! そんなの会いたくないわよ!」  根負けなのか、それとも本当に会いたくないのか、シンは大きな声で負けを宣言する。それを笑いながら、スペンサーは内心頭を下げた。 「それで、何の情報が欲しいのよ」 「西のハイエナ。ご存じですか?」  問うと、シンの表情が僅かにかわった。ユアンが頭を下げ、ファイルを取りに行く。 「どうしてあんなのの事が知りたいのよ」 「昨夜起こった火災に、関わっているようでして」 「……なるほどね。あいつらならやりかねないわ。なんせ金の為ならどんな汚い事もする男だもの。ほんと、プライドないのよね」  そんな事を言っている間に、ユアンがファイルを持って戻ってくる。そこそこ分厚いファイルを受け取ったスペンサーは中を改めていった。 「……幹部が十人程度? 構成員が五百を越えているのに」 「兵隊が多いだけよ。幹部ったって、初期メンバーってだけ。烏合の衆って、こういうのを言うのよ」  つまり、統制はほぼ取れていないのだろう。 「ルースの乱であぶれた奴らを再組織したのがこいつね。金に汚くて、悪知恵がはたらくわ。絶対に自分は表には出てこないのよ」 「ごろつきや、金に困った人を寄せ集めて、指示役だけを送って実行はそいつらですか?」 「そうそう」  ページをめくり、これまで関わったらしい事案を見ているがそう大きなものはない。ただ、顧客に特徴があった。 「貴族からの依頼が多いですね」 「ヒッテルスバッハに見つかりたくない恫喝や専売、それに伴う暴行事件なんかよ。奴が賢いのはそうした需要にいち早く目を付けて売り込んだ事ね。ハムレットに見つからずにやりたい貴族は多いのよ」 「なるほど。小事であっても貴族や豪商ならば払いがいい」  なんとも商業的で、小物だ。 「? アジトは持たないのですか?」  組織というのは大抵、アジトがある。組織として集まる場所が必要なのだから。  だがシンは頷いて、アジトを持たない事を肯定した。 「宿屋や廃れた家、依頼主が提供した場所を根城にしているのよ。基本、そいつがいる場所が本部」 「なるほど、せこい」  そうなると、今ファウスト達が捕らわれている場所も組織所有の物ではなく、依頼主が用意した場所の可能性が高い。  一通り読み終わったスペンサーはファイルを閉じてユアンに返し、立ち上がった。 「ファイル、持っていっていいわよ」 「そんな愚は犯しませんよ。一度読んだら覚えろ。貴方が真っ先に俺に仕込んだ事じゃないですか」  十歳を少々過ぎた程度の子供に膨大な資料を覚えろなんて、無茶を言う人だった。……感謝している。 「……サイモン、アンタ今、楽しい?」  去り際、不意に問われた寂しげな声にスペンサーは立ち止まり、息を吐く。そして、とても穏やかな笑みを見せた。 「楽しいですよ。気のいい同期の友人もいて、厳しい人に扱かれながらも充実していて」 「そう……」 「……でも、ここで過ごした時間もまた、俺にとっては楽しい時間でした。そればかりではありませんが、確かにここでの時間があっての今なのです」  初めてこんな隠さない気持ちを口にしたかもしれない。  シンは驚いたようにスペンサーを見ていた。 「感謝しています、シン。親のない俺にとって貴方は確かに親だった。貴方の教えを胸に、俺は今を生きています。道は分かれても、俺の根っこにはちゃんと貴方がいます」 「サイモン」 「お元気で。あまり飲み過ぎてはいけませんよ。それと、好き嫌いを減らしてください。長生きしてくださいね」 「大きなお世話よ!」 「……新年にはまた、顔を出します」  伝えたスペンサーは今度こそ踵を返して屋敷を後にする。得た情報を少しでも早く、ランバートに伝えるために。
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