434人が本棚に入れています
本棚に追加
アーサーの初恋(ファウスト)
目が覚めたとき、頭がズキリと痛んだ。硬い場所に転がされているのだろう体の痛みもある。
「兄さん!」
「ルカ?」
「良かった。兄さん大丈夫? 具合悪くない?」
心配そうに覗き込むルカが、体を起こすのを手伝ってくれた。後ろ手に縛られている以外の拘束は解かれていた。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
アリアが捕まり、縛られた後の記憶はない。だがてっきり個人的に恨みのある奴らの犯行だと思ったのだ。だからこそ、ルカがここにいることが理解できなかった。
「僕も詳しい事は分からないんだけれどね。でもきっと、家の事だと思うよ」
「家?」
「ねっ、父さん?」
ルカの視線の先、暗がりにもう一つ影があるのに気づいたファウストは、そこに静かに座るアーサーを見つけて目を丸くした。
「父上?」
「すまないな、ファウスト、ルカ。おそらくとばっちりだろう。巻き込んですまない」
高圧的に思っていた父アーサーからの素直な謝罪に、内心ファウストは驚いた。
だがルカの方はまったく驚いた様子はなく、静かに首を横に振った。
思っていた。自分の知らない何かが二人の間に……いや、アリアを含めた三人の中にある。自分だけがどこか隔てられていると。
「父上、とばっちりとはどういうことですか?」
「遺言を書き換えた事を、チャールズが知ったんだろう。実力行使に出た」
「兄上が?」
思い起こす、冷たく見下した瞳。あれに見られるのがとても怖かった。力をつけ、もう武力では勝てると分かっていても、あの目で見られると萎縮する。
「遺言を書き換えたって、どういうことなの父さん」
「ファウストにシュトライザーの家を継がせる。それに伴う遺言の変更だ」
「その話だが、正式に断りたい。俺はランバートを裏切れない。跡取りの問題をクリアできない」
こんな場面だが、都合良く転がった話にファウストはここぞと断りの意志を伝える。こうすると決めてここにきたのだから、伝えなければならないことだ。
だがルカだけは一人話しに置いて行かれたのか、目をぱちくりして双方を見ている。オロオロしつつ、会話が始まりそうな二人を「まった!」と止めた。
「まず父さん! 兄さんに家を継がせるってどういうこと! ランバート義兄さんの事知ってるよね? 何でそういうことするの!」
「チャールズに家を残したくないからだ」
「いや、子供じゃないんだから。っていうか、あっちが本妻の子でしょ? そりゃ怒るでしょ!」
「怒ったからといってこれは犯罪……」
「兄さんは黙ってて!」
「はい」
こういうときのルカはけっこう怖い。目が一切笑っていない状況に、ファウストは大人しく口を閉じた。
「もしかして、今夜僕を含めて話したい内容って、これ?」
「そうだ」
「うむ」
「だよね……。もぉ、結婚式前日にどうしてこういう問題持ち込むのさ二人とも。僕、笑顔で結婚式したいんだけど」
「いや、このタイミングを逃したら動けないと思って」
「兄さん、相変わらず僕の都合は後でなんだね」
「.……すまない」
確かに、結婚式前日にこういう家族の重い話題を当事者巻き込んでするのは配慮に欠けただろう。ランバートも「え! 別にその日じゃなくても……」と言っていた。
だが、ルカは重い溜息を吐き出した後で、パッと気分を切り替えた。
「まぁ、もういいよ。どうせ明日の結婚式は中止。それどころじゃないもんね」
「だろうな」
「うむ」
「メロディ、大丈夫かな。それだけが心配だよ」
ルカの心配そうな表情を見ると、どこか男を感じる。いつの間にかこんな顔をするようになったルカに、ファウストは寂しいような嬉しいような気持ちになった。
「それで、なんで父さんはチャールズ様に家を譲りたくないわけ? 兄さんの円満家庭を壊していいわけないでしょ?」
ルカの疑問を肯定するように、ファウストは首を縦に振った。途端に頭痛がする。殴られた部分がズキズキ痛んだ。
強く嫌な顔をしたのはアーサーだ。アーサーはルカの言葉に抵抗するように首を横に振る。その意志はあまりに強固にすら思えた。
「アレは私の子ではない」
「言い過ぎだよ、いくら望まない結婚だって、子供つくったんでしょ? 多少……」
「アレは私の子ではない。私の血など一滴も流れてはいない」
「……それ、どういうこと?」
ルカの表情が凍り付く。だがファウストは沈黙した。父の言い振りで、そういうことだと分かっていた。何よりチャールズには、アーサーに似た部分がどこにもないのだ。
アーサーは深い息を吐き出す。そして、昔を懐かしむような目を二人に向けた。
「言葉の通りだ。あいつは私の子ではない」
「正妻の子だよね?」
「それは間違いない」
「……誰の?」
「当時うちで働いていた執事見習いの若い男だ」
「不貞があったってこと?」
「そもそも、知らない間に親が勝手に結婚させた相手だ。政略結婚以前の問題だ。見ず知らず、好みも趣味も合わない相手など受け入れる事はできない。何よりその時には、私には愛する妻がいたのだから」
アーサーの言う「妻」はいつも、シュトライザーの正妻ではなく三人の母、マリアを指す。そして母の話をするとき、アーサーは懐かしく穏やかで、苦しくて悲しい顔をするのだ。
「……父上、何故母はそんなにも愛されていたのに、正妻になれなかったんだ。どうして、死ななければならなかったんだ。あの事件は物取りの犯行だと言われたが、犯人は誰なんだ。俺は……何も知らない」
欠落している記憶がある。
ランバートに言われて、気にはしていた。けれど、そもそも何を忘れているかも曖昧なので難しかった。思い出せそうな来もしたが、途端にモヤモヤと霞がかってしまう。思い出すことを恐れているのだと感じた。
エリオットを頼ろうかとも思ったが、行動には移せなかった。怖かったのだ、知らない扉を開ける事が。
父はしばし考えて、頷く。そうしてぽつりぽつりと、二人のなれそめを話してくれた。
最初のコメントを投稿しよう!