アーサーの初恋(ファウスト)

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★アーサー  十代の中頃、アーサーは親友のジョシュアと二人で社交界に出る事が多かった。  煌びやかな世界に身を置きながらも、アーサーは気を張って周囲の様子をうかがい、会話を交わす事を目的としていた。色んな話を聞いておくことが自身の仕事に役立つことを知っていたからだ。 「アーサーは真面目だな」  隣にいるジョシュアはシャンパングラスを片手に笑っている。この男は見た目も空気も華やかだ。本性は真っ黒なのだが。 「女の子と遊んだり、踊ったりすればいいのに」 「必要ない」 「頑固」 「お前は軟派すぎる」 「そう? 最近はけっこう絞ったんだよ」  キラキラと笑顔が輝いて見えるとか、どんな技を使っているんだか。そしてそれを無駄に向けてくるな。アーサーは溜息をついた。  その時、会場が一際華やいだ。そこへと視線を向けると、理由は簡単に分かった。  会場の入口に立った女性が、とても華やかに周囲に手を振る。強い月のような金髪に、宵の夜空を思わせる青い瞳。目鼻立ちが良く、肌は白く。王都貴族の間で彼女を知らない者はもぐりだと言われるくらい有名な女性だ。 「シルヴィア」  ジョシュアが凭れていた壁際から離れ、グラスを一つ持って近づいていく。それにアーサーもついていった。 「あら、ジョシュア。今日もいい男ね」 「君の美しさには敵わないよ」 「当然よ」  自信に満ちた表情も彼女の美しさだろう。シルヴィアという女性は自身の美しさを疑わない。勿論努力もしている。磨き上げたダイヤモンドのように、強く輝き続けている。  ジョシュアとシルヴィアは社交界で幾度となく会い、なんだかんだと仲がいい。おそらくジョシュアはシルヴィアを好いているだろう。そしてシルヴィアも悪くはないと思う。  だが、アーサーの目を引いたのはシルヴィアではなく、その後ろに控えている見たことのない女性だった。  一目で惹かれた。長く真っ直ぐな黒髪に、大きな黒い瞳。肌は白く、化粧も薄いがそれが似合っている。白いドレスはクラシカルだが、彼女の清廉で上品な美しさを引き立てているように見える。  アーサーの視線に、彼女も気づいただろう。目があって、ぽっと白い頬が染まった。 「あら、アーサーお目が高いわね」 「そういえば、そちらの彼女は誰かな?」  言葉を交わすではない二人の視線のやり取りに、シルヴィアは気づいたらしい。ニッと笑ってアーサーを見る。ジョシュアも黒髪の女性に気づいて、シルヴィアに声をかけた。 「彼女はマリア・マクファーレン。マクファーレン領のお姫様で、私の親友よ。一年くらいの予定で、私の家に遊びにきているの」 「初めまして、マリアと申します。王都で勉強を兼ねて、シルヴィアの家にお世話になっています」  丁寧に頭を下げたマリアに対し、ジョシュアはニコニコと笑って手を差し出した。 「初めまして、ジョシュア・ヒッテルスバッハです。シルヴィアの友人は疲れない?」 「ジョシュ!」 「とても楽しいですわよ? シルヴィアから学ぶことが沢山あって、こうして呼んで貰えてとても嬉しいわ」  まったくもって裏の無い笑顔に、シルヴィアは照れた顔をし、ジョシュアは苦笑する。  そうしている間に、彼女の目が真っ直ぐにアーサーへと向いた。 「初めまして、アーサー・シュトライザーです」 「初めまして」  少し、緊張していた。そしてそれは、彼女もだろうと分かった。ジョシュアに対するものとは少し違う空気に、胸の奥がトクンと音を立てた気がした。 「……ねぇ、ジョシュア。一曲踊らない?」 「いいね、シルヴィア。一曲と言わず何曲でも」 「そういうことだから、アーサー。マリアのお相手お願いね!」 「え! ちょ……シルヴィア!」 「勝手に……」  そう言っている間にも二人は手を取った人々の中に紛れてしまう。まぁ、紛れると言ってもあの二人は決して他と同化はできない。生まれ持ったものが二人を浮き上がらせている。  残されたアーサーは隣のマリアを見る。マリアもアーサーを見て、恥ずかしそうに視線を逸らした。 「あの……良ければ庭にでないか? ここの庭は綺麗で、開放しているから」 「あっ、はい」  白くほっそりとしたマリアの手を取って、アーサーは庭へと出る。夜風が心地よく吹き込む庭にはこの屋敷の庭師が丹精込めて作った自慢の庭と花々が美しくある。 「綺麗」  感嘆めいた声がマリアから漏れ、アーサーも頷く。用意されたテーブルセットに座ると、二人で何でもない会話をした。  何が好きか、趣味は何か。そんな、初対面の二人らしい可愛らしい話だ。  アーサーが馬が好きだと言うと、マリアはパッと表情を明るくして「私もです」と言って、馬の好きな部分をあれこれ早口に話す。つぶらな瞳や、愛情を示してくれる甘える行為、高い体温。何より乗った時に世界が広くなった気になると言う彼女に、アーサーは何度も頷いた。  料理もするという彼女に好きな料理を伝えると、「今度作りましょうか?」と言ってくれた。嬉しくて頷いたら、彼女も照れたように笑う。  花を愛でる事、穏やかな時間、読書や音楽、散歩の時間が好きな事。共通する事柄も多くて、話していて飽きる事はない。 「今度、室内楽のコンサートがあるのだが。一緒に行かないか?」  誘ってみたら、マリアは驚いたように目を丸くして、そして控えめな笑みで頷いてくれる。次の約束を取り付けたことにアーサーの心は浮き立った。  その後、二人は何度となく逢瀬の約束を重ねた。室内楽を楽しんで、ディナーやランチに誘って。マリアは散歩のお誘いをしてくれた。絵を描くのが好きらしく、写生に行きたいと言って。  公園での穏やかな時間は、心を柔らかく暖かなものにしてくれた。会話らしい会話などなくても、側にいて、彼女を見て、彼女の視線の先を共有するように見つめて。それだけで十分に思えた。  出会いから二ヶ月後、アーサーはマリアへ交際の申し込みをした。付き合いは短いが、この胸にある感情と感じる暖かさは本物だと思えた。  マリアも驚きながら、頷いてくれた。  手を繋いで歩く道はどれも幸せだった。隣にいる彼女と、老いて死ぬまで共にあるのだと疑いはしなかった。  楽観的だった。幼かった。甘かった。  自身の生まれた家が醜悪なものであるのだと、長い歴史と傲りが凝り固まっていると、傲慢な人間達がこの純粋で美しい心を踏みにじるのだと、この時アーサーは知らなかった。  知っていたらきっと、最初から手など伸ばさなかった。今でもアーサーは思う。もしこの時に戻れるならば、若い自分を捕まえてとくとくと別れを迫るだろうと。それが、マリアの幸せの為なんだと。
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