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★ファウスト
ゆっくりとした語り口調で聞く、二人の馴れ初め。初めて聞いたはずのそれは、どこかに引っかかっている。
『ファウスト、母様は出会った時から美しかったんだぞ』
「?」
不意に頭の中をよぎった声は、まだ若い男の声だった。優しく柔らかく、幸せに満ちた声。ファウストはそれを、幸せな気持ちで聞いていたはずだ。なのにこみ上げるのは切なさと悲しみで、不安が胸を埋めていく。
これは、いつ聞いたものだろう。誰が話していた?
恐る恐るアーサーを見る。その心は僅かだが、揺らいでいるように思えた。
その時、ドアの鍵が開く音がして暗がりにランプの明かりが灯る。そうして顔を出した男を見ても、ファウストはまったく覚えがなかった。
「やっとお目覚めか、軍神様」
「誰だ?」
頬に大きな刀傷のある男は、ファウストを見てニッと笑う。背が高く、見合うだけの肩幅もある。傭兵か、元兵士か……どちらにしても戦う事を仕事にしている体格だ。
「まぁ、覚えがないだろうよ。俺はアンタを覚えてるぜ。えらくおっかなかったからな」
「?」
「西では世話になったな、軍神さんよ」
「!」
男の一言で、ファウストはなんとなくだが理解した。この男はルースの乱の残党で、式場を襲ったのもまた西の残党だったのではと。
睨み付けると男は大げさに肩をすくめてみせる。それは、芝居がかった見えた。
「俺に恨みがあるなら俺だけでいいだろ! ルカや父上は!」
「おっと! 俺は別にお前さんに恨みなんざねーよ。むしろ感謝してるくらいだ」
「感謝、だと?」
「あんたらがルースを潰してくれたおかげで、ちっちゃい組織のボスだった俺にもチャンスが巡ってきた。路頭に迷った奴らを寄せ集めて、金で何でもやりはじめたらこれが儲かるのなんの! おかげで、これまでで一番楽な暮らしが出来てるってわけだ」
男の言葉に嘘はなさそうだ。それと同時に、ゲスであるのも分かった。
「アンタらをここに閉じ込めたのも、アリアとかいう女を捕らえた後に殺すよう言ってきたのも、式場に火を付けたのも依頼主のご希望さ。この場所の提供も依頼主だぜ? 太っ腹だよな、お貴族様ってのは」
「アリアを、殺した?」
途端、背に冷たいものが流れてファウストは絶句した。それはルカも同じで、震えている。ただアーサーだけが落ち着いていた。
男はニッと笑う。そして、とても簡単な種明かしのようにファウストを見た。
「まぁ、そっちは失敗したがな。依頼主にとっては子の産めない女の事なんて捨て置けるってわけだ。体も弱いんだろ? 放っておいても長生きしないだろうよ」
失敗と聞いて、ほっとする。自分の状況は何一つ変わらないが、アリアが無事である事は一つ安心できることだった。
「アンタらの事もしばらくは生かしておけってよ。何でも準備が出来ないと殺せないそうだ。良かったな、ゆっくり親子のお別れができるってもんだ」
大いに笑った男はひとしきり笑い終わると、鋭い視線をルカへと向ける。そして、顎をしゃくってこっちにと促す。
躊躇ったが、ファウストもアーサーも頷いた。この男は粗雑だろうが、依頼主からの命令には従うのだろう。そうしなければ金が手に入らないからだろうが、一定の信頼はしていい。
ルカが前に出ると、男は小型のナイフを取り出しておもむろにルカを縛る縄を切った。両手が自由になったルカは目をぱちくりして男を見る。その前で、男はトレーに乗せた硬そうなパンと水を乗せたトレーをルカへと渡した。
「流石にそっちの二人に暴れられちゃ敵わんからな、お前が飯の世話しろ」
「……え?」
「世話だよ! あと、余計な事したら命令違反だがぶっ殺すからな」
そう言うと男は出て行って、鍵のかかった音がした。
静かになった室内に、三人分のパンと水を持ったルカが立ち尽くす。そして困った顔をする彼に、アーサーとファウストは首を横に振った。
「しばらくは大丈夫だ、従おう」
「けれど父さん」
「ルカ、あいつはまだ動かない。何かをするにしても、今じゃない」
「兄さんまで……分かったよ」
今すぐにでもここを抜け出したい様子のルカだが、あまりに状況が掴めない今は逆に危険だ。テロリストの残党ともなれば、敵の数が把握できない。場所も分からず、武器もない。
アーサーは多少戦えるだろうが、ルカはまったくだ。そこを庇いながらとなれば、今動くのは得策では無い。
幸いあちらはまだ動く気はないのだろう。その間に、ランバート達が何かアクションを起こしていてくれれば。
思うと、辛い思いもこみ上げる。今頃、心配しているだろう。辛い思いをさせているかもしれない。こんなお家騒動に巻き込んで……
できるだけ早く、ここから出なければ。ファウストの中で焦りが大きくなっていった。
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