2.居酒屋にて

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2.居酒屋にて

あれから数年が経った。 彼女が生きていれば、一緒に酒が飲めたのに。酒が入った野中さんはきっとはしゃいで、おどけてみせただろう。 俺はいま、中学時代同級生だった井上と、うちの近所の居酒屋で飲んでいる。 こいつは東京で学生起業したやり手で、昔からあらゆることを器用にこなす奴だ。おまけに思いやりもある。俺が、恋人である野中さんを亡くしたとき一番親身になって話を聞いてくれたのはこの男だった。いまでもこうして盆なんかに地元に帰ってきたときは飲みに誘ってくれるのだ。 「なあ鹿嶋」 「なんだ」 「最近親父さん元気か」 「見てる限りまあまあ元気なんじゃないかな。わからんけど」 ふうん、と彼はなぜか少し眉をひそめる。 「なんだよ」 「いや、俺さ」 思うんだよと井上は続けた。 「彼女さんさ、お前の親父さんのこと好きだったんじゃないかなあって」 井上が勘付いていたこと、そしてそれをはっきり口にしたことに少し驚きながらも、俺は頷く。 「やっぱそうかあ。なんとなく、そうだろうと思ってたんだよ」 ……野中さんはもともと、かなり年の離れた男しか好きになれない人だった。それなのに、6つしか(彼女の性癖からすると「しか」だった。)違わない俺と付き合ってくれていた。 俺はその点で野中さんに負い目を感じていて、死の数カ月前、彼女から「君のお父さんを好きになってしまった」と打ち明けられたときも怒りだとかそういったものは感じず、ただ、不安そうな顔をした野中さんがいまにも消えてしまいそうで怖かった。そしてその恐怖は現実になってしまった。 彼女とは、俺が成人してから入り直した定時制高校の同級生で、文芸部の仲間だった。というのも、俺はメンタルの不調で十七歳のときに、当時通っていた全日制高校を中退していたのだ。 野中さんは年上の同級生である俺に、鹿嶋くん、鹿嶋くん、と懐いてくれていて、いつしか俺たちはお互いを「君」と呼び合うようになった。 一緒に美術展に行ったりレストランに行ったりしてよく遊んだが、俺はわりと早い段階で野中さんにセクシャリティを打ち明けられていたから、彼女を魅力的だと思いながらも、この人とは付き合えないんだと思っていた。 ところが知り合って3年目のある日、野中さんに「セックスしないか」と誘われた。 彼女はそのとき十八歳になっていたし、俺は以前から野中さんにひそかに欲情していたから、すぐに「しよう」と言った。それがはじまりだった。 その頃彼女は24歳年上の40代の男と交際していて、しかし彼から「娘のように扱われる」だけで性的なふれあいがないのを不満に感じているとのことだった。家に行けばおいしい食事を作ってもてなしてくれるし、一緒に買い物に行ったり花見に行ったりもするが、性的なものが二人の間に漂うことはない、と。 俺は野中さんのそんな「空白」を埋めるために選ばれたのだ。それでも悔しいとは思わなかった。 けれどだんだんお互いに疲弊していった。やがて彼女の関心は俺ではなく俺の父親に向かうようになった。…… 「あいつさ、親父のブログ特定して読んでたんだよ」 俺がそう言うと、井上の端正な顔が一気に険しくなる。 「まじかよ」 「うん」 俺の父親は主にジャズについてブログを書いており、それに加えてときどき自撮りをアップしていた。(熟年男性にはありがちな不用心さだ。)中には上半身裸でポーズを決めた痛々しいものもあったが野中さんはそれをスクショして保存していた。 「さすがに引くわ……」 「まあな。それを俺に言っちゃうところも」親父は、息子の俺が言うのもなんだが、野性的でいて上品な、たぶんどちらかといえば美形の領域に入るであろう容姿をしている。ブログ読者には女性も多いが、野中さんはそのブログには登録せずにこっそりと読んでいたようだ。 「てか最後まで付き合ったんだっけ」 「うん」 親父を好きになり、別れたいと言う彼女を、会わなくてもいいからもう少し待ってと言ったのは俺だった。 もう少し、もう少し、と言っているうちに野中さんは自殺したのだ。 彼女が亡くなったとき家族や友人みんなが俺に、「お前は悪くない」というようなことを言ったけれど、俺は自分を責めずになんていられなかった。 「しかしなんでだろうな。彼女さん、普通に可愛かったし、なんでわざわざ親くらいの年の男を好きになるのかね」 「井上、それはあれだよ、ゲイのイケメンにノンケの女が、あらもったいない〜みたいなこと言うようなもんだよ。野中さんには野中さんの事情がある。そこにもったいないもなにもないよ」 「そうか。そうかもな」 それから小一時間俺たちはたわいもない話をして、それぞれの帰路についた。 外は、ひんやりとした闇の中に夏の匂いが混じる静かな夜だった。
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