命とは?生きる事とは?

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命とは?生きる事とは?

ちょうどそれは三年前のこと、 今朝の様な雷雨の後に晴天になった日は、二年前も同じような朝だったなぁ……と、"行ってきます!"と、家を出て会社に向かった日を思い出す。 10月だと言うのに、朝からまだ陽射しが強くて衣替えもまだ出来ない気温。台風は週一度にやって来るけど以前の年よりもだいぶ遅れていてまだ十何号だと言う。 三年前も11月の半ば頃まで荒れていて、北関東辺りで川が氾濫し水害が起こったからこの年の夏を長く感じる。初夏にはまた珍事があって、通勤途中に利用している観光協会施設の公衆トイレの軒先で燕が巣を作り出して日に日に育ち、ヒナの声も聞こえるようになっていく。朝の通勤には一つ楽しみが出来たと喜んで毎日立ち寄っていたが、この時の、今年何度目かの台風の後、今朝と同じような荒れた朝、気になっていたから早めに家を出て公衆トイレへ向かった。悪い予感が当たってしまった。ヒナが一羽落ちて鳴いていた。巣までの高さは2.5mくらい、背の低めの自分には無理だ。とは言っても見過ごすわけにはゆかず、何か無いかなぁ……と無い案を絞り周りを見回すと、トイレ清掃用のちょっとした倉庫がある。 鍵はかかっておらず、悪いこととは思いながらも開けて見た、台らしい物は無いものの、モップ専用の四角いバケツがあった。ひっくり返せばそこそこの高さになると思い、ガサガサ取り出して踏み台にし鳴き止まない元気な燕のヒナを片手に持ち、ひっくり返したバケツに乗っかってヒナを巣へ返してやった。他にもヒナは三匹くらい居たと思う、これで安心してそのまま通勤の続きへいつもとは違う嬉しい気持ちで車を走らせた。週末を挟んで三日後の事、前日にはまた台風で荒れた天気だった、この日は風は気になる程度で雨はあいにく降っていなかった、いつものように朝の通勤途中の公衆トイレへ寄ろうと駐車スペースへ停め歩いて向かったが、出入り口にゴミのような塊が落ちている。近づくと二つある、よく見ると燕のヒナが二羽落ちていた。数日前とは様子が違い、鳴き声もしない。二羽とも落ちて死んでいた……やりきれない思いと残念でならない憤りを感じ、その二羽を隅へやった。たぶんそのうちの一羽は、数日前に私が巣へ戻した燕だろうと思いながら用を済ませて通勤へ向かった。 この年の我が家も、保護したまだ二歳の黒猫の瞳孔が左右不自然で動物病院へ診察してもらい癌とわかり闘病生活をしていたが、翌年には還らぬ命となってしまった。 こんな天気で朝を迎えるとその年を思い出し陽射しが強いほど寂しさも大きくなる。人間も昨日まで在った命が今日は無くなっていると寂しくなるが、数年前に立て続けに動物の命が目の前から居なくなると、自然に生きている者の宿命なのかと思い、今生きている私はこれからどんな生き方をすれば良いのか?と問われて居る様に感じて悩むことがある、この変動過ぎる空を迎えた朝に……。 追伸 命が無くなる時に直面したのはこれだけでは無いが、全うできなかった全ての動物の命へご冥福をお祈りします。
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