裸心(rashin)

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 せっかく焚いてもらった火を眺めていると、部屋に戻ろう、とは言い出しづらくなってしまった。ユージェーヌは仕方なく口を噤み、じっと相手の出方を窺った。しかしジャンは動かず、開いた膝の上に両手をついて床の一点を見つめている。  そわそわと落ち着かない気持ちを持て余し、ユージェーヌは、何とかしてこの状況を打開できないかと必死で頭を巡らせる。  いっそ、自分から誘いをかけてみようか。そうだ、そのつもりでここに来たのだし、ジャンに対してもう変な遠慮はしないとあの時に決めたのだし。だが、経験もないゆえに恥ずかしさの方が勝り、身がこちこちに強張ってしまう。  ソファの上で微妙な距離を保ったまま、双方、行動に移すきっかけを掴めずに貴重な時間が過ぎ去っていく。なのに、下心ばかりが暖炉の火よろしくむらむらと燃え上がっていく。  もじもじと、きりきりと、身を揉みしだきたいような気持ちが募り、ユージェーヌは自分の手をぎゅっと握りながらうつむいた。見なくても、自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。ああ、本当に、こんな時は一体どうすればいいのだろう。自分の感情に素直になることが、実は一番難しいのではないだろうか。 「ふー、……っ…………」  ジャンが隣で、低い鼻息をこぼす。体内の欲望……否、熱量が相当のものになっていることを感じさせるような。  耐え難さが膨らみ上がり、ユージェーヌは、非常な決心でもって口を切った。唇を震わせながら、相手に手を伸ばす。 「……ジャン」  か細く、頼りない声が出た。そこにあった手の甲をひしと掴み、思いの丈を込めて握りしめる。君が欲しい、君と愛し合いたいんだと。  自分の手はきっと、情けないほど震えていただろう。力だって、上手く込められていたかどうか。しかしジャンの手が、それをぎゅっと包み返す。  鮮烈な感覚に、ユージェーヌは息を詰めた。恐る恐る顔を上げて相手を見ると、伸びてきたもう片方の腕に抱き竦められる。  ユージェーヌもまた、ジャンの背に腕を回した。腕が自然とそうしていたのだ。気持ちがもう、言葉では言い表すことが出来なくなっているから。 「ん、……」  唇が重ねられた。気のせいか、いつもより熱い。ユージェーヌはされるがままにそれを受け止めながら、先ほどまでのもどかしさをぶつけるようにして唇を押し付ける。 「ん、ふ……っ、ふ……」  あわいを食まれ、わずかにそこを開く。と、何かぬるりとしたものが入ってきた。ユージェーヌは身を竦ませる。舌だ、と察するよりも早く、熱く濡れた生き物のようなそれに、自分の舌を絡め取られる。 「ぅ、ふぅ……んんっ……」  こんな風に深い口づけは初めてだった。熱に溺れそうになりながらも、ユージェーヌは必死でそれを追いかける。もがくように舌を使ううち、頭の芯がくらくらと酩酊していく。 「っはっ、……」  そうやって、どれだけ舌を絡め合っていたのだろうか。唐突に唇を放され、ユージェーヌは水から上がった人のように大きく吐息をついた。息継ぎどころではなかったのだ。熱が渦巻く身体もそのままに、とりあえずは胸を喘がせる。 「……俺ももう、君に対して遠慮はしないと決めてきたんだ」  同じように呼吸を整えていたジャンが、ずれた眼鏡を直しながらつぶやく。 「それなのに、一体何をやっていたんだろうな。ぐずぐずと、ここに来てまで延々とためらって……我ながら滑稽だよ。すまなかったな、ユージェーヌ。気詰まりな思いをさせて」 「……緊張しているのは、僕も同じだから」  正直な気持ちをつぶやくと、胸の中が幾分か軽くなった。「ああ、俺もだ」とジャンはほほ笑み、こちらの手を取る。 「こんな風になってしまうのはきっと、君のことが好きだからだな、ユージェーヌ」  そしてその手を、自分の胸に当てる。言うとおり、とくとくと脈打つ鼓動が伝わってきた。つられて、体温も上昇していく。 「僕もだよ、ジャン」  ユージェーヌはほほ笑み、相手の手を同じように自分の胸へと宛がった。手のひらがぴたりと添い、胸の息づきを拾ってくる。  心臓が同じ速度、同じリズムで感情を刻む。互いのそれを感じていると、鼓動が混じり合って、次第にひとつになっていく。 「……欲しい」  こちらの手を胸に押し頂き、ジャンがつぶやく。熱っぽく潤んだ瞳に見つめられ、身体の芯が熱くおののいた。 「君が欲しいんだ、ユージェーヌ。もうそれしか考えられない」
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