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第40話 真榊
「ふぅ......」
頼隆は小さな息をついた。遠くに波の音が聞こえる。
ここ箕浦の南の端、耶津城に入って三日になる。十葛攻めは予想通り、なかなか容易くはいかず、南と北からの挟み撃ちで決着を着ける流れになった。風縫(かざぬい)と真城微(まきび)は既に降った。残る夏葉(かよう)が想定外に手強い。
南から入り、既に決戦に向かっている設楽輝信の率いる七瀬の連合軍と呼応するために、明日には直義と頼隆も海峡を渡って十葛に入る。この十葛を制することが出来れば、九神が、直義が日ノ本の全ての武将を従わせ、全ての領国を制する、日ノ本の真の最首となるのだ。
―よくぞ、ここまで来た---。―
高揚と緊張は既に極限まで高まり、むしろ『空』に近い。
―是非は、神の手に委ねられた---。―
首を巡らせ、隣に眠る男を、直義を見る。
燭台の灯りがわずかに影を落としていた。息を潜め、じっ......とその面を見つめる。
堅く結んだ唇、男らしい鼻筋、艷のある髭、存外に長い睫毛......。輪郭をそ......と指先で辿る。
ーもぅ、どれ程になるだろうか......。ー
初めて褥を共にしたのは、右も左も分からぬ少年の頃だった。
男の我儘に、囚われて籠められて.....幾多の思いのない交ぜになった日々。
哀しみも憎しみも、あった。
慟哭も怨嗟も、この男との狭間に、ただ一人、この男との狭間にだけ生まれて......消えた。
何よりも人の肌に触れる、人と肌を合わせる......その温もりを教えたのは、この男だった。
ーもし、会うていなければ......。ー
今頃は、自分は既に戦場の草葉の露と消えていたかもしれない......とふと思う。
何より、それを希みとして、戦いの場に身を投じてきたのだから......。
怒号と雄叫びの交差する戦場。血の匂いにまみれながら、その手で、あまたの生命を絶ち切りながら、自らの生命を、業を絶ち切ってくれる者を、探していた。
ーそれなのに......ー
いつの間にか、その願いは変わった。
傍らに眠る、この男に、直義にだけは、生きて欲しい。この男のためにだけは、今少し永らえたいと思う。
そのために敵を薙ぎ払い、駆け抜ける自分に気付いた。
ー身勝手な話だ。ー
けれど......。
ー死んではならぬ。死なせてはならぬ。ー
その思いだけが、死線を越え、数多の屍を乗り越えさせた。
こうして束の間、安らかな寝息を傍らに聞き、温もりの内に身を寄せて、じっとその鼓動を肌に刻むひと時の、なんと愛おしいことか。......永遠に続いて欲しいと、叶う筈もない願いが胸底から湧いてくる。
ー生くるとは、こういうことやもしれぬな......。ー
ふ......と微かな笑いが口元に浮かぶ。
ほつり.....と薄紅の唇が呟く。
「そなたが、我れをこの世に繋ぎ止めておるのじゃな...」
いつの間に目覚めていたのか、ふふん......と大ぶりな鼻が笑う。
「違う。お前が儂を繋ぎ止めておるのじゃ。......儂がおらんでは寂しいとて、三途の川から引き戻すのじゃ。」
ふふっ......と頼隆は小さく笑い、ひそと直義の唇に自らのそれを重ねた。ふわり、と口付けて男の首もとに頬を擦り付ける。
「そなたに逢うておらねば、我れは、はやこの世にはおらなんだ......。」
「ん?」
「以前は......生命を惜しいと思うたことは無かった。勝てば生き残り、負ければ死ぬる。その別れ目は技量と運......そう思うていた。」
「今は、違う......か。」
頼隆は、こっくりと頷いた。
「生きたいという思いが、生きねばならぬという思いが、人を生かすのじゃな。......今ひとたび、愛しい者に会いたい、その腕に抱かれたい......と思う『欲』が、死地を超えさせるのじゃな。」
男の大きな掌が、頼隆の頭を優しく撫でた。
「ようやっと、分かったか......」
「ふん...。」
切れ長の漆黒の瞳が男を見詰め、直義の夜着の袷に指を滑り込ませる。
「我れが、このような代物に絆されるとは思わなんだわ。」
下帯の裡のそれは、すでに熱く熱を持って首をもたげ始めていた。
「初めは.......なんと憎らしいものかと思うたが、な。」
「今は愛しい......か?」
頼隆は、それには答えず、男の下帯をするりと抜き取り、その雄にそっと口付けた。
「我れは、これより他に生命の脈打つ音を知らぬ。人の熱を知らぬ。」
「頼隆......。」
直義はその手を取り、己が膝の上に頼隆を抱え上げる。肌と肌をぴたりと合わせ、深く口付ける。頼隆の秘奥深くまで己のが雄を推し進め、自らの熱を伝える。柔らかな奥津域がうねり、絡みつき、愛しさを伝えてくる。強く弱く収縮し、しっとりと直義のそれを包み込む。緩やかな律動のうちに互いの生命をひとつに溶かして、分かち合う。
「直義、死んではならぬぞ、死ぬな......。」
男に秘奥を貫かれ、敏感な部分を擦られ揺すぶられながら、頼隆は、耳許で囁く。
両の腕で、男の頚にしがみつき、甘く喘ぎ、啜り泣く。男が、忘れることの無いよう、自らの声を吐息を男の耳に注ぎ込む。
そして、直義は幾度も頼隆を絶頂に追い上げ、最奥に自らの熱を、生命の飛沫をありったけ注ぎ込む。互いの生命を惜しみ、互いの生命をこの世に繋ぎ止めるために。
「あ、ああっ---あぁっ...... ! 」
頼隆の背は大きくのけ反り、大きくその身を震わせる。そして、直義の胸に深く埋もれて、意識を手放した。
ゆるゆると漂いながら、深い感応の水底から目覚めれば、有明の月は既に大きく西に傾いていた。頼隆はひとり寝所を抜け、御祓の水凝りに向かった。己れのありったけを明け渡し、与え尽くして、空となった身に冷涼な風が吹き渡る。
―真の八咫烏となり、神籬(ひもろぎ)となり、戦神を降ろし、九神を勝利に導くのだ。―
決戦の夜明けだった。
冷えた唇に古歌が浮かぶ。
―東(ひんがし)の野にかぎろひのたつ見えて返り見すれば月傾きぬ―
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