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――私は4月から入社して来たフレッシュな新人の顔と、今日の出来事を思い浮かべた。
有名4年制大学を卒業したという彼女は、優秀なのかと思いきや、意外と頼りなく、今日も先輩社員の伊関さんに怒られていた。伊関さんは正社員の女性で、年齢は30代後半。非常にキツイ性格で、社内で恐れられている存在だ。
「伊関さん。サンアイ紙業から、明日の午前中着で上質紙10連の注文来ました」
受注票を持って伊関さんのところへやって来た田名さんは、恐る恐るといった体で声を掛けた。
「は?明日の午前中?何言ってるの。この時間から出荷して間に合うと思ってるの?」
パソコンに向かい、今日の受注分の配送手配をかけていた伊関さんは、じろりと田名さんを見上げた。
「で、ですよね……!」
田名さんは、伊関さんから返って来たキツイ言葉に首をすくめる。
「ど、どうしましょう、これ……。サンアイ紙業さん、明日絶対必要だから、っておっしゃってて……」
「そんなの断りなさい。あなたの仕事でしょ」
「…………」
きっと田名さんはサンアイ紙業の営業に無理を言われ、断り切れずに受けてしまったのだろう。泣きそうな顔で立ち尽くしている彼女が可哀そうになり、
「田名さん。その受注票、私に貸してくれる?なんとか明日午前中着で行けないか、配送業者に頼んでみるね」
私は田名さんに向かって手を差し出した。
「水無月さん……!ありがとうございます!」
田名さんは、ほっとした表情で笑顔を浮かべると、私に受注票を渡した。
そんな私たちの様子を見て、伊関さんが舌打ちをした。私は思わずびくっと体を震わせたが、気付かないふりをして、田名さんから受注票を受け取った。
何度も頭を下げて自分の席に戻って行く田名さんを見送った後、私はデスクの上の電話から受話器を取った。「1」のボタンを押し、短縮ダイヤルで馴染みの業者へと電話をかける。1コールですぐに相手側の事務の女性が出た。
「お世話になっております。中丸紙業の水無月です。ご無理を承知でお願いしたいのですが……」
事情を説明したが、相手側にも都合がある。最初は「無理」の一点張りだったが、「そこをなんとか……」と拝み倒し、最終的に明日の午前中着でトラックを出してくれることになった。
ほっと胸を撫で下ろして受話器を置くと、向かいの席に座っている伊関さんと目が合った。
「水無月さん、そうやっていい子ぶってなんでも引き受けていると、次も無理が通ると思われて、困るのはこっちなんだから止めてちょうだい」
怒りを含んだ声を掛けられ、背中に冷水を浴びせられたように震えあがる。
「す、すみません……」
伊関さんが言っているのは、取引先だけの話ではなく、田名さんのことも差しているのだと分かった。
(そうだよね、私が辞めた後、田名さんと一緒に仕事をするのは伊関さんなんだから……)
甘やかすなということなのだろう。
(余計なことをしちゃったのかな……)
私は手配の終わった受注票をファイルに閉じながら、気分が落ち込んでいくのを感じていた。
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