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「ありがとうございます……」
お礼を言った声が震えてしまったことに気づかれていないといいのに、と思っていると、誉さんは、
「ただ、あんたの場合、もう少し、他者と自分の間に境界線を引けた方がいいな」
と考え込む様子を見せた。
「それ、聞きたかったんです。境界線を引くって、どうすればいいんですか?」
話題が、まさに気になっていたことに向き、私はテーブルの上に身を乗り出した。
「そうだな……まずは、『他人は自分とは違う人間だ』ということをしっかりと意識することだな。例えば、今、自分の財布に千円だけ入っていたとする。あんたはそのことについてどう思う?」
「ええと、千円しか入っていないから、何かあったらどうしよう……って思います」
「俺は違う。千円もあるなら、コーヒーがもう一杯飲めるな……と思う。同じ事柄に対して、感じ方も認識も、人それぞれなんだ。みんなが違う内面を持っている。だからまず、自分と他人は違う、ということを強く意識するんだ」
頷くのも忘れて、誉さんの話に聞き入る。
「そして、境界線の薄さは、承認欲求とも関連している。誰かに認められたいという思いが、嫌われたくない、いい子でいたいという思いに繋がり、より相手に寄り添おうとする。優しいのは良いことだ。でも相手は違う内面を持った違う人間なんだ。あんたがつらくなるほど気にすることじゃないし、あんたを認めている人間だって必ずいる。あんたはただ、自分を大切にしてやればいいんだ」
「……はい」
今度は、震える声を隠せなかった。ぽろり、と涙が零れると、あとは歯止めが利かなくなった。
「愛莉さん」
颯手さんが優しい声で名前を呼び、ハンカチを差し出してくれる。
「あんまり女の子を泣かすもんやないで。この色男」
「別に泣かそうと思ったわけじゃない」
誉さんは肘をつくと手で顎を支え、ふい、と横を向いた。
颯手さんの、誉さんへの軽口の中に、からかいとは違う別の響きが混じっていたことに、この時の私は気づいていなかった。
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