第2章 引きこもり 11

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第2章 引きこもり 11

 しかし、情けないことにこのまま何時間話していても志奈乃を説得できる気がせず、樹は隣に座る魔王に助けを求めた。 「出番です。お手数お掛けしますが、こいつに何か言ってやって下さい」 「そうは言われてもな、こう見えて、我も立派な引きこもりなのだが」 「え!?」  樹は志奈乃と声を唱和させた。  世界の外側からこの世界に来ている魔王の外出の程度は、最早海外旅行の比ではないが、これで引きこもりなどということが果たしてあるのだろうか。  樹は戸惑いを隠せない口調で魔王に問いかける。 「冗談、ですよね……?」 「いや、事実だぞ」    魔王は冗談とも本気とも付かない無表情でそう答えると、そのまま全く表情を変えずに続けた。 「これでも何人もの部下の命と生活を預かる立場ではあるのだが、会いたくもない者と四六時中顔を突き合わせるのは気が進まなくてな、個人的な用件以外では基本的に居室から出ないことにしているのだ。どうしても我が顔を出さなければならない時だけは公の場に出るが、それ以外の仕事を妻と部下に任せて不都合が起きたことはないし、気儘な暮らしはいいものだぞ」    樹には魔王の話がどこまで事実かわからなかったが、確かにその発想は引きこもりのそれと似通っているようだった。    しかし、こんなに美しい姿をしている上に、強い力まで有していて、一見完璧そうなイメージなのに、本当に引きこもりだとしたら物凄いギャップだ。  樹が妙な感心をしていると、志奈乃が瞳をきらめかせて魔王に言った。 「引きこもりなのに社会的地位があって、奥さんまでいるなんて、凄い勝ち組じゃないですか! 魔王さんって、引きこもりの星ですね!」 「だからって、間違っても真似しようなんて思うなよ?」  樹は冷静にそう釘を刺してから続けた。 「魔王さんは何て言うか……貴族みたいなもんだから、雅楽とはいろいろ条件が違い過ぎるし、真似するのは絶対無理だからな」 「流石に真似できるとは思ってないよ。できたら最高だけど。あー、私も楽してお金欲しいなー……」  志奈乃が駄目人間としか言いようのない台詞を吐くと、魔王が言った。 「流石に無償で金を提供する気はないが、我が其方を雇ってやるというのはどうだ? 時給二千円は出すぞ」 「待って下さい! 雇うって本気ですか!?」    ぎょっとした樹がそう尋ねると、魔王は平然と答えた。 「そのつもりだが? 給与明細等の書類は一切出せぬ以上、脱税にはなってしまうが、自室にいてはできない仕事を宛てがいさえすれば、この女は引きこもりから脱することができるだろう」    仕事を作ってしまうというのは全く予想外の展開だったが、魔王の言う通り、志奈乃が外で働くようになれば志津子の悩みは解決するだろう。  宝石の蒐集を趣味にしているという魔王なら、宝石を売り払えば志奈乃に支払う給料を余裕で捻出できるに違いない。  この魔王が作った書類を下手に税務署に提出しようものなら、いろいろと面倒なことになるのは避けられないので、志奈乃が魔王の元で働くなら、脱税には目を瞑るしかなさそうだが。  しかし、魔王は志奈乃に一体何をさせるつもりなのだろうか。  樹は若干の不安を覚えたが、時給の高さに釣られたらしい志奈乃は意外と乗り気らしく、勇んで魔王に問いかけた。 「ちなみに、仕事の内容は何ですか!?」 「碧玉寺の仕事の手伝いというのはどうだ?」    樹は目を瞬かせた。    どうやら魔王は志奈乃を碧玉寺で働かせるつもりらしい。  後は魔王に任せておしまいという形にしてしまうのは、いくら何でも人任せ過ぎると思っていたので、樹としては願ってもない提案だった。  寺は本来修行の場なのだから、何とかこの駄目人間の性根を叩き直して、まともな社会人に更生させ、志津子を安心させてあげたい。    本当は魔王に頼らずに寺から志奈乃に給料を出したかったが、寺の収入は大したことはないし、加えて不定期なので、志奈乃に安定した給料を払うことはとてもできなかった。  金に物を言わせるようなやり方は好きではないが、せっかく志奈乃が部屋から出る気になりつつあるのだから、ここは意地を張らずに魔王の厚意に甘えておくべきだろう。  志奈乃に支払う給料は寺の予算とは無関係であるし、檀家の家の者が寺にいたところで、誰も不審には思わない。  他の檀家達には志奈乃が無償で手伝いに来てくれていることにすれば、特に問題はない筈だった。    檀家の者が善意で寺の掃除などを手伝ってくれる時には、いちいち他の檀家達にお伺いを立てたりはしないので。 「ねえ、お寺の仕事ってどんなの?」    志奈乃にそう訊かれて、樹は少し考えてから答える。 「いろいろあるけど、とりあえず頼みたいのは寺の掃除と、人が訪ねて来た時の応対だな。俺も親父も勤めに出てるし、妹も学校があるから、平日の昼間は寺に誰もいなくなるんだよ。小さい寺だから、訪ねてくる人もそんなにはいねえと思うけど。後はその都度、寺の行事とか『お悩み解決事業』の手伝いしてもらったりだな。一日立ちっ放しって訳でもねえし、声出ししたり、愛想振り撒かなきゃならなかったりもしねえし、引きこもりが社会復帰の第一歩でやるにはいい仕事だと思うぞ。どうだ? 頑張れそうか?」 「んー、よくわかんないけど、やってみるよ。その辺のスーパーとかコンビニのバイトに行くより楽そうだし、時給も随分いいし」  なかなか世の中を舐めた発言だが、この駄目人間が外に出て多少なりとも労働する気になっただけでも、かなりの前進だ。  ここでわざわざ厳しい言葉をぶつけて、やる気を削ぐこともないだろう。  生温かい眼差しを志奈乃に向けていた樹は、魔王に視線を移して訊いた。 「こいつの監督をお願いしたいのですが、週三日、九時から十七時までお時間を頂けますか?」  若い男女を二人きりにするというのはあまりよろしくないが、肉体がないという魔王はそもそも性別がないのだろうから、間違っても志奈乃を襲ったりはしないだろう。  志奈乃の振る舞い如何によっては、命の危険は生じるかも知れないが。  樹が魔王の答えを待っていると、魔王が答えを口にするより先に志奈乃が不満そうな声を上げた。 「ちょっと、週三日って多くない!? しかも九時から十七時まで!?」  志奈乃が不満そうな声を上げたが、樹は無視して魔王に向けた問いを重ねる。 「いかがでしょうか?」 「問題ないぞ。多忙の身であるならば、ここでこんなことはしていない」  それもそうだと樹が納得していると、魔王は志奈乃に問いを投げ掛けた。 「とりあえずは火曜日・木曜日・土曜日でどうだ?」 「大丈夫です、けど、一週間後からじゃ駄目ですか?」 「駄目に決まってるだろ!」  樹はすかさず志奈乃を一喝して続けた。 「怠け癖のある奴が、一週間先までちゃんとやる気を持ってられる訳ねえだろーが! とにかく週三日でいいから、ちゃんと家から出ろ! 九時から十七時までちゃんと働け!」 「ううう、スパルタだなあ。わかったよ。ちゃんと週三、九時から十七時まで働くよ。車で行ってもいい?」 「おう、親父達には後で話を通しておくから、安心して火曜日から来い」 「はーい」  志奈乃は不承不承ながらも、そう返事をした。  
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