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第2章 引きこもり 3
護持会総会の開会三十分前、魔王は檀家が来るより早く、人間の姿で本堂に現出してきた。
背中に蝙蝠のような羽はなく、細長かった瞳孔も今は丸い。光彩の色も黒から焦げ茶色に変わっていた。
服装はライトグレーのグレンチェックのスーツ姿で、ピークドラペルのジャケットに、揃いのベストとパンツ、淡く縦ストライプが入った白いシャツに、シルバーとホワイトとパープルのレジメンタルタイを締めている。
あの黒い長衣は体型をすっかり隠してしまうので、今まで魔王の体格はよくわからなかったのだが、こうして見ると細身ですらりとしていて、モデルか俳優のようだった。
人間離れした美貌を特に弄ったようには見えないのに、これまで会った時と違って一応人間の範疇に収まって見えるのがひどく不思議だ。
腰より長い黒髪は、スーツと同じ色柄のリボンで後ろできっちりと一つに束ねられていて、服装も手伝って今までとは随分印象が違って見えた。
黒かった長い爪も短くなり、色も淡い桜色になっている。
左手の銀の指輪だけはそのままだったが、右手の指輪に嵌まる石は先日の青い石ではなく、紫水晶だった。単に姿が変わっただけでなく、あれ程強く感じていた力も、今は全く感じられない。
余程上手く力を隠しているのだろう。
魔王がスーツを着て来てくれたことに文句はなかったが、その洒落た着こなしは寺の護持会総会と言うより、何かのパーティーに出席するかのようで、いささか場違いな雰囲気を漂わせていることは否めなかった。
多分服の趣味が貴族的なだけで、護持会総会をパーティーと勘違いしているということはないのだろうが。
英知達と共にホワイトボードの横に並べた椅子に腰掛けて、打ち合わせをしていた樹は、立ち上がると丁寧に一礼した。
「おはようございます」
立ち上がった英知と真綾が樹と同じように魔王に挨拶すると、魔王は優雅に言った。
「御機嫌よう」
「おはよう」と挨拶して「御機嫌よう」と返されたのは初めてだ。
映画やドラマの中でしか聞いたことがなかった挨拶を実際にする男がいることにも驚いたが、それ以上に魔王がきちんと挨拶を返してくれたことに、樹は少なからず驚いた。
釈迦の心を惑わそうとするような碌でもないところもあるが、礼儀作法も心得ているし、意外と礼節を重んじる真面目な一面もあるらしい。
樹は足早に観音開きの扉の横に置かれた大きなカゴへと歩み寄って、一揃えのスリッパを抜き取ると、魔王の足元に置きながら続けた。
「ご足労頂きまして、ありがとうございます。もう少しで檀家さん達もお見えになりますから、どうぞあちらでお待ち下さい。座り心地がいいとは言えない椅子で申し訳ありませんが」
樹がホワイトボードの横に並べたパイプ椅子を手で示すと、魔王はホワイトボードから一番遠い椅子に腰を下ろした。
仏だの魔王だのと呼ばれるような存在を安物の椅子に座らせておくのは気が引けたが、この寺に高級な椅子などないし、一人だけ豪勢な椅子に座らせていては檀家達が不審に思わない筈がないので、魔王には少々我慢してもらうしかない。
樹は椅子に腰を落ち着けたが、真綾はそろそろ茶や茶菓子の用意をすると言って、魔王に軽く会釈をして出て行った。
もっともらしい言い訳を口にしてはいたものの、魔王を避けているのだろう。
魔王が信用できるという確信を持つことができれば、もう少し打ち解けて魔王と接することもできるかも知れないが、やはり時間が必要なようだった。
英知は英知で魔王を信用している訳ではないにせよ、こうしてここにいるのは魔王が妙な真似をしないように監視しているつもりなのかも知れない。
樹はどことなく居心地の悪さを覚えたが、魔王は意に介した風もなく、堂々と椅子に腰掛け続けていた。
外見から受ける印象より、随分と図太い神経を持っているらしい。
樹はおずおずと魔王に声を掛けた。
「その……面倒な説明はこちらで引き受けますから、基本的にはここに座っていて頂ければいいので」
「ああ、わかった」
魔王は気のない様子でそう言った。
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