第4話「報い」

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「市長はやめた。もはやこれまでだ」  耳を疑った。マスコミに何を言われても自分の考えを曲げず、どれだけ世間にバッシングを受けても信念を貫き通して来た父が。こんなにあっさり辞めてしまうなんて、信じられない。 「どうして――あたしのせい?」  父はだらしなく閉じかかった眼を移ろわせ、ポケットから煙草を取り出して火をつける。最後の1本。箱を掌でくしゃっと丸め、足元に投げ棄てた。 「違う。俺は負けたんだ」 「そんな。だってあの絵は――」  喉まで出かかって、私は躊躇した。きっと怒られる。こうなったのも、全て私のせいなのだから。  私の手の中には”怒りスイッチ”が握られている。お父さんは悪くないのに、あんまりだ。きちんと言わなくちゃ――でも、怖い。指先が震える。小さい頃、何度もお父さんに怒鳴られて泣いたことを思い出す。そうだ。別に黙っていてもこれ以上状況は変わらない。言う必要なんかないんだ。  父は何も言ってこなかった。本当にあの絵は自分で描いたのか、とか。嘘をついたのか、とか。どうしてだろう。既に私を疑って、怒っていてもおかしくはないのに。   ふと私は辺りを見回す。脱ぎ捨てられたスーツの上着。汚れたフローリング。こんな光景はありえない。あの人がいれば――。 「松田さんは? 彼はどこ?」  煙を吸い込むと同時に大きく噎せ返る父。呼吸を落ち着かせると、か細いがはっきりと聞こえる様な声で、静かに言った。 「この家もじきに引き払う。あいつも用済みだ。お前もすぐに支度をしろ」 「用済みってそんな――」 「いいから早くしろ! そのまま叩き出すぞ!」  呆然とし、言われるがままに身支度を始める。服とか、携帯のアクセとかゲームとか。勉強道具はどうするんだろう。  家の中をうろうろする私。父の言う通り、母と松田さんは荷物を引き上げていた。クローゼットも。化粧台も。松田さんの仕事道具も何もかも。抜け殻のようになった部屋。私が部屋に籠っている間に、ふたりがこの家にやって来て過ごした痕跡はなくなっていた。  キャリーバックに必要なものをまとめ、父の前に立つ。内ポケットから財布を取り出すと、裸のまま一万円札を差し出す。 「叔母さんの家へ行ったことがあるだろう。そこへ向かえ。明日からそこがお前の家だ。転校手続きも済んでいる」
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