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確か小学校の低学年くらいだったと思う。家の庭で縄跳びをしていたら、離れの扉が開いているのを見つけた。同じ家にいるのに、全く見たことも話したことも無いおじいちゃん。その扉が開いている。私の好奇心は揺り動かされた。
中を覗き込むと、部屋じゅうにみなぎる絵の具の匂いに面食らう。壁や床に立てかけられた無数のキャンバスと、机の上に積まれた画材道具。古いガラスの窓から差し込む日光に埃がきらきらと立ち込めていて、いつも清潔にしてある家の中と比べると違う世界みたいだと思った。
中央の椅子の前には、書きかけの絵が机の上に置かれている。黒い。真っ黒に塗りつぶされた色紙だ。パレットの脇には、色とりどりの水彩絵の具のチューブが準備されている。
何の絵を描くんだろう。そう思った瞬間に、私はなにやら気配を感じて後ろを振り返った。少し気まずそうに微笑みを浮かべたおじいちゃんが、入り口で立ったまま私を見詰めていた。
「ご、ごめんなさい」
怖くなった私はお爺ちゃんの脇を潜り抜け、離れから走り去った。お父さんに怒られる。離れには近づかないようにって、あれほど言われているのに。その一心で、私は逃げた。おじいちゃんから。おじいちゃんの世界から。
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