第1話「父の背中」

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第1話「父の背中」

「夏休みの宿題は終わったのか?」  晩御飯のカツカレーを残さず平らげて、ゲームの続きをしようと小走りに2階へと上がろうとした私の背中に、重たい視線と声がずぶりと突き刺さる。  父は食卓で新聞を読みながら、ジョッキの底に残っているビールをぐいと傾けて喉に流し込んだ。 「終わったのか?」 「うん。あと少し」  んん、と唸るようなため息を、酒に灼けた声を振り絞るようにして吐き出す。やや紅潮した顔が不機嫌そうに眉を潜めたのを察知して、我が家に住み込みで働いている松田さんが空のジョッキにビールを注ぎながら言った。 「まだあと1週間あるんだし、大丈夫だよね」  ところが彼はビールではなく父の怒りに油を注いでしまったようで、父は目を吊り上げて不満げに拳をテーブルに叩きつけながら荒ぶった。 「お前は黙ってろ! 終わったかどうか聞いているんだ。俺が学生の頃は宿題なんぞ最初の1週間で必ず片づけていたぞ。やるべきことを後回しにして遊ぶなんて2流の人間のやることだ」  スイッチオン。もうこうなったら止められない。アルコールも回っていることだし、どこかで逃げ道を探すか心を無にしてひたすら耐えしのぐかない。松田さんは雫がぽたぽたと垂れるビール瓶を握りしめたまま直立して、父に向って首を垂れている。
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