第1話「父の背中」

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 一度スイッチが入ってしまえば、割と集中して黙々と作業ができるのが私の性分だ。  数学は最後の頁に答案が付いているから、絶妙にちゃんと解いた感を演出しながらひたすら書き写す。国語の読書感想文はあらすじで9割がた埋め尽くし、最後にちょろっと当たり障りのない感想を。書いて書いて。考えるよりも先に手を動かして。  空欄を埋めて埋めて埋めまくるという微かな行為を黙々と積み重ね続け、知識として身につく事はなにもなさそうな、想像力の欠落した作業に没頭すること6日。  8月31日。あとは父に対して苦し紛れに言った、”英語の問題があと少しと、美術の課題”を残すのみとなった。  昨晩は遅くまで作業をしていたから、目を覚ました時にはすでに昼だった。着替えて顔を洗いに階段を降りると、玄関で靴を磨いている松田さんと遭遇する。 「おはよう。いや、こんにちはかな」  にこりと微笑む松田さんに、思わず照れてしまい目を伏せる。  30歳。ひろっと細身で、身長は普通。七三分けっぽい髪型に、薄い顔。決してイケメンじゃないけど、私はこの顔が好き。いつも忙しいのに、私に優しくしてくれて、話を聞いてくれて。この広くて荒んだ”父の家”のなかで、唯一の心の拠り所と言っても過言ではない。そばにいるだけでどきどきする。 「寝坊しちゃった。お昼ってもう終わった?」
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