Scene6.『復讐』−2

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Scene6.『復讐』−2

「三回目」  男が自分の頭に銃口を当てた。 「……」  引き金に指が伸び、じわじわと動いていく。  ――早く引け! 何を溜め込んでいる。怖じ気付いたか?  カドマスはためらい勝ちな男の鈍重な動きに苛立ち、心の中で地団太を踏んだ。 「!?」  と、男の鋭い視線がカドマスを貫いた。 「これでお終いだ」  静かにそう言い、男は引き金を引いた。  短い炸裂音が室内に弾けた。脱力し、床に頽れた男にカドマスが歩み寄る。男の身体をひっくり返し、その顔を自分の方に向かせる。開ききった眼に手を滑らせ瞼を閉じると、長い睫毛がその縁を飾った。 「ふっ……こんなに綺麗な屍体は初めて見た。――死に方も綺麗で良かったな、“ウィングス”」  男の金色の髪が朱の花弁が開くように血で染められていく。 「ふふ……安心しろ。お前の死を無駄にはしない」  カドマスは上着のポケットから携帯電話を取り出すと、メールを仲間宛てに一括送信した。 「ふふふ……」  気分が高まり笑いが込み上げ、脳内にアドレナリンが分泌されていく。 「はっはっはっはっ……!」  野心に満ちた双眸をぎらつかせ、哄笑しながら室内をうろうろと歩き始める――その時、ドアが開いた。 「やっと来てくれたか……」  したり顔でカドマスは背後にあるドアに首を巡らせた。その向こうから次々と構成員(ファミリー)が部屋に入って来る。 「おい、敵ならとっくに死んでるぞ?」  仲間達の銃口が自分に向けられ、カドマスは苦笑でそれを受け流そうとするが、仲間達は銃を下ろそうとはしなかった。しだいにカドマスの顔に焦りの色が浮かんでくる。彼は今、自分の身に何が起こっているのかを把握しようとするが、その原因を解明できずにいた。  ふとそこに低い声がした。 「裏切り者は誰か」  カドマスは声のした方に素早く身体ごと振り向いた。 「ウィングス!? お前、生きてたのか……」  そこに上体を起こし、床からゆっくりと立ち上がる“ウィングス”の姿があった。そのグレーの瞳に冷笑が浮かんでいる。 「こんな芝居に騙されるとはな。ウルフガングのボス、カドマスも大したことはないということか」  そう言い彼が髪をさっと撫でると魔法のように一瞬で血痕が消えた。発砲したと思われた銃はまだ僅かに燻っている。 「これは総て手品(マジック)だ」  ウィングスは金色の髪を後ろに撫で付け、淡々とした口調でそう告げた。その台詞がカドマスのプライドを逆撫でする。 「貴様……小細工はしないと言ったのは嘘だったのか!?」  苦々しげに顔を歪ませて、カドマスは吐き捨てた。悔しさに奥歯を噛み締め、握り締めた拳をわなわなと震わせている。 「考えれば分かると思うが……オレはお前を殺しにきたんだ。それを仇も討たずに自ら死ぬ危険性があるようなことをするわけがないだろ」 「……」  カドマスは言葉に窮した。こんな無様で屈辱的なことがあるものかと、ウィングスと仲間達の様子を伺うように交互に見据えるが、どちらもその姿勢を覆すことはなく、彼は袋の鼠になっていた。 「ボスを連れて行け」  ウィングスが促した。それを合図に構成員達が動き、ボス(カドマス)を取り囲む。 「何をする……お前達正気か? オレをどうする気だ――!?」  カドマスは四方から銃口を突きつけられ、両腕の動きも封じられてもがくように叫んだ。  構成員の一人がその背中に銃口を押し当てる。 「オレ達にけじめの付け方、見せてくださいよ――ボス」  言って彼はカドマスの眼前に鍵をちらつかせた。弄ぶようにそれを揺らす。 「テッド、お前……」  それが今自分の上着の内ポケットから盗まれたと知り、カドマスは舌打ちした。その男は五年ほど前にロンドンに移ってきて、他のマフィア一家の一員の財布を摺って危うく殺されかけているところをカドマスが拾ってやったのだ。その恩を忘れたか……カドマスは憎悪を込めて内心で悪態をついた。構成員達により強引にその部屋から出される。  重厚な鉄扉が閉めれ、その音だけが間延びしたように室内に反響した。連れてこられたのは地下室だった。分厚い壁で外部の音を遮断し、室内の音が一切漏れない構造になっているこの部屋は、カドマスが多目的で利用する部屋だった。鍵は彼が保管しており、構成員もカドマスの許可なくしては入ったことがない。先程彼の懐からテッドが盗んだのはその鍵だったのだ。 「お前達、オレを嵌めたのか?」  呻きのような声が漏れた。カドマスは苦悩に頭を抱え込む。するとウィングスが切り出した。 「言っておくが、奴等はお前の考えているような意味で現れたのではない」 「どういうことだ。説明しろ!?」  カドマスが抱えていた頭から手を離し、顔を上げてウィングスに視線を走らせる。  ウィングスは冷淡な瞳でカドマスを見据えて言葉を紡いだ。 「ある人物がオレに入れ知恵し、この計画が実行されたのだ。奴等はそれを見届けに来ただけだ」  そう言い、顎を使って背後の構成員達のことを差す。  カドマスの方は今の説明で余計に頭が混乱し、頭(かぶり)を振って怪訝そうにウィングスを見詰めた。 「さっぱり分からん……」  それを受けてウィングスは淡々とした口調でさらに説明を続けた。 「オレが死んだらお前がその屍体からDNAを採取するために、真っ先に仲間を呼び集めると言っていた。そして実際その通りになった」 「ある人物とは何者だ!?」  その問いにウィングスは少し間を置き、含ませるように言った。 「お前の“血縁者”だ」 「血縁者……だと?」  カドマスの表情が凍結し、目が見開かれたままになった。その表情に困惑と不安の色が混ざり合う。彼はその裏切り行為が身内の仕業であることに焦りの色を隠せずにいた。 「誰なんだそれは? 誰に聞いた? いったい誰がそんな話を……!?」 「お前に非常に近い血縁者だということまでは教えてやる」  そのじらすような言い方にカドマスは耐え兼ね、引きつった口から前歯を剥き出しにして毒づいた。それは弱い犬が相手を警戒して、逃げ腰になりながら威嚇する姿に似ていた。彼は唸るような声で、続く疑問を投げ掛けた。 「誰が言った……レッドか!?」  その彼を蔑むような目で見詰め、ウィングスが冷めた声音で突き放すように答える。 「それを今知る必要はない」 「何だと?」  カドマスは表情をさらに険しくさせ、眉間と鼻の付け根にくっきりと深い溝ができた。 「その疑問は墓場まで持って行け」 「……!」 「お前が犯した罪により、二人の人間の運命が狂わされてしまった。――その罪を償ってもらう。銃を取れ、今からオレと一騎打ちの勝負だ」  ウィングスが懐から銃を取り出す。愛用のリボルバーS&W M60だった。無機質な銀色に輝いている。 「く……っ」  情けを微塵も感じさせないその言葉にカドマスは絶望し、だが諦めてその勝負を受ける態勢に入ることもできなかった。手が、身体の部位(パーツ)の一つ一つが油が切れた旧式の機械のように動作不慮を起こしている。これでは素早い動きなどできるはずもなかった。 「丁度良い機会だ。お前の仲間達もボスの実力を見たがっていた。今ここでそれを見せてやればいい」 「……っ」  カドマスは言葉に窮し、助けを求めて仲間達に目配せした。 「やめろ。堂々とした一騎打ちに助けを求めるような負け犬をボスとして認めると思うか? そんなことをすれば今よりもっと惨めな……」 「黙れ!」  カドマスが叫んで話を遮断する。彼は自分の企みを全て見通したように言い当てられ、それ以上聞いていられなかったのだ。それは威厳を保とうとする姿であったが、見ていた者の目には駄々を捏ねているようにしか見えなかった。「無駄な悪足掻きはよせ。母が死ぬまでの想像を絶する有様を目の当たりにしたオレに、貴様を許すことはできない」  ウィングスの低い声が強い憎悪の念となってカドマスに迫り、恐怖心を煽る。 「ま、待て……!」  カドマスが慌てふためき、両手を前に突き出して制止する。 「何だ」  ウィングスが冷たくそう聞き返し、小さく安堵したカドマスは口の端に引きつった微笑を浮かべた。 「私より、彼女を陥れたもと婚約者こそ殺されるべきではないのか? その男が権力を盾にして、破格の損害賠償請求や彼女の才能を潰すような真似をしなければ、そんなことにはならなかったはずだ!」  その主張にウィングスは瞼を伏せた後、冷酷な眼差しで返した。 「貴様との過ちがなければ総てが上手くいっていた」  その言葉の重圧がカドマスに重くのし掛かる。的を捕らえた照準器のように、ウィングスの視線がカドマスの目にぴたりと重なった。 「運命を呪え。自分が犯した罪を嘆け。これは血族同士の因果の法則だ。貴様を殺すまでこの復讐は終わらず、死ぬ以外にこの運命からの抜け道は存在しない」  この世でただ一人、血の繋がった実の息子の無慈悲な言葉にカドマスは戦慄した。父を憎むその念が、息子の清涼なグレーの双眸にまざまざと浮かんでいる。彼の母親との記憶は朧気ながらも、息子のその類いまれな美貌を見ていると在りし日の彼女の姿が目に浮かんでくるようだった。自分を見据える息子の眼差しが、死んだ彼女の眼差しに見えてくる。その眼が悪事を捌く首切り台の刃となってカドマスに迫っていた。弁解の言葉を述べる余地も与えられず、その首が今から切断されようとしている。 「銃を取れ。装填を済ませ、引き金を引くだけで撃てる状態にしろ」 「……っ」  カドマスは窮地に立たされ額に冷汗が滲み、手も汗ばんでいた。彼は負けると分かっている勝負に踏み切ることができなかった。  これは神が与えた罰なのだろうか?  神は実の親を殺(あや)める息子に味方したというのか?  なかなか動こうとしないカドマスに、とうとう痺れを切らしたウィングスから無情な言葉が飛んだ。 「時間切れだ」  彼の握るS&W M60の銃口がカドマスに向けられる。 「まっま待て!?」  慌ててカドマスが片手を上げてそれを制止する。 「……」  しかしウィングスは銃を下ろさなかった。 「早く準備しろ」  冷酷にそう告げる。 「わ、わわわ分かった……!」  カドマスが声とともに震える手でその準備を済ませる。そして怪訝そうな目で息子を見据えた。 「ウィングス」 「何だ?」 「また何か細工してるんじゃないだろうな?……お前は手品も使えるし、信用できん」 「ふっ……疑り深いというより、往生際の悪い奴め……」  ウイングスは毒づいて上着を脱ぎ、さらにその中に着たTシャツも脱ぎ捨てる。床に黒のレザージャケットと白いTシャツが落ちた。半裸になり、ひき締まった大胸筋と割れた腹筋が露になる。 「これでいいか?」 「ああ……」  まだ納得したくなかったが、丁度良い言い訳が見付からず、不承不承ながらもカドマスは承知した。 「それを持って行け!」  カドマスが荒々しい口調で言い、構成員が脱ぎ捨てられた服を回収する。「くそぉ……っ」  カドマスは苦しげにそう小さく悪態をつく。ボスの座を引き継いでからずっと殺される日が来ることを恐れてきたが、それがこんな形で訪れるとは思いもしなかった。赤の他人として疑うこともなく、その才能を高く評価していた人間が、いきずりの関係を持った女との子であると知らされ、挙句の果てはその実の息子と戦わなくてはならないとは……!  その激情の矛先を向ける場所が見付からず、カドマスは自身の中でもがき狂い、憐憫の沼に溺れるしかなかった。 「お前が負ければそれまでの男だったということになる。奴等に弱いボスは必要ない。死ねば、別の人間がそれに取って代わるだけのこと。生きたければ、オレを殺せ」  ウィングスの抑揚のない声が静寂の室内に響く。  カドマスは、目前となった死の恐怖に発狂しそうな自分をどうにか抑え、全神経をウィングスの動きに集中させた。室内を視線だけで右往左往しながら仕掛けるタイミングを計ろうとするが、一向にそのタイミングを掴めなかった。  ――相手はオレが撃とうと手が動くその瞬間を待っているのだ。自分からは撃ってこないだろう。もし僅かに望みがあるとすれば、奴はまず一発しか撃ってこれないということだ。奴の銃は単発しか出せないリボルバーだ。だが、こっちの銃は連射が可能な自動式拳銃(オートマチック)。奴が一発目を外せば次の発砲までに遅れが生じる。その時を狙えば……  カドマスはその一縷の望みに賭けてみることにした。
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