03

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「彼はフリーの狙撃者(スナイパー)で、コードネームは羽音を意味する“Wings(ウィングス)”だ」 「羽音?」 「虫の羽音のように静かな犯行――そこから付けたネームらしい」 「それならなんで“Boom”にしなかったの?」  羽音は英語で“Boom”なのに、とレッドは腑に落ちない表情で小首を傾げる。 「さぁな、自分で聞け」とそっけなく返して父親は息子に向けた視線をスナイパーに戻した。 「技術者としては申し分ないはずだ」 「そうだね」  同意してレッドは含むように微笑した。それに、と続ける。 「男女種別問わず、美しいものは好きだよ」  十一歳の少年にはそぐわない、濃厚な視線でスナイパーを眺めながら 「“Wings”か……気に入った」  念願の商品を手に入れたかのように、満足気に眼を細めて悦に入る。 「私は用があるから、港に行く」  そう言って父は射撃場から出て行った。  港で……行き先を明確に言わなかったが、おそらくコカインや麻薬などの密売取引か、女にでも会うのだろうとレッドは予想した。  一家(ファミリー)に女の影はない。この仕事に女は邪魔だと先代が偏見を持っていたからだ。レッドの父親はそれに対し疑問を感じることも、反論することもなかった。彼は仕事と女遊びを分けている。行く先々で違う女と関係を持つ――それが自分にも相手にも都合がいい。そういう後腐れない女しか抱かないし、そういう人間とは匂いで分かるものだ。見返りを気にせず、欲望のままに快楽を貪る。それは獣の発するムスクに似ていた。媚びることのない誘惑、残り香を残さない官能的なロマンス。  いずれ歳をとれば、自分もああなるだろうとレッドは思う。 「ハロー」  レッドは好感的な笑みを浮かべながら、射撃をしている男性に近付いた。 「……」  男性は振り向き、握っていたリボルバーをホルスターに収めた。銀色のフレームに黒の銃把が特徴のそれはS&W Ⅿ60――スミス・アンド・ウェッソン社製のリボルバーだ。 「僕はレッド。射撃のコーチをよろしくお願いします。ミスター・ウィングス」 「はじめまして」  握手をしてみると“ウィングス”の掌はゴツゴツしたものではなく、傷も見当たらなかった。  これが狙撃者(スナイパー)の手? 見れば見るほどその外見からは想像し難い。指が長く、ピアニストのそれにも見紛うほどだ。  それだけではなかった。彼の容姿その物が別格なのだ。筋肉質ではあるが、すらりと伸びた長身、金糸のように光沢のある柔らかなハニーブロンド、それとは逆に氷上を思わせる清涼なグレーの瞳の陰影。それはまさに光と影の見事な調和と言えるだろう。 「では、始めよう」  ウィングスが横に退き、レッドが的の正面に立つ。するとウィングスがある物をレッドに差し出した。 「リボルバー? 僕にこれを使えって!?」  ただただ戸惑うレッドだった。彼が練習用に使っているのは小口径の自動式拳銃だ。反動が小さく、的を捕らえやすいので気に入っていた。その彼が、この重くて狂犬のように暴れて危険だと、父に聞かされていたマグナム使用のリボルバーを、使いこなせるわけがない。実戦に利用できないような物を何故、練習用に使えと言うのか訳が分からなかった。  レッドは納得いかない表情でウィングス(コーチ)を見るが 「ここにそれしかなかったと思え」  と冷淡な言葉が返って来た。 「むちゃくちゃだな……」  もう一度ウィングスを見ると、彼は眉一つ動かさず、けっして険しい表情ではなかったが  『やれ』  目がそう言っていた。 「分かったよ〜〜やればいいんでしょ……」  レッドは観念してリボルバーの残弾数を確認した。 「弾は三発入れてある。全部撃ってもいいが、一発は的に当てろ」 「……っ」  思わずレッドは顔を歪ませた。反動さえなければ当てる自信はあったが、何しろ馴染みのない型だ。だから―― 『リボルバーは不得手だ。使いたくない』 ――と言ったらどうなるだろう…… 「反動は少し大きいが、そのうち慣れるだろう。まずは撃ってみろ」  美しい狙撃者(スナイパー)はレッドにその拒否権を与えてくれそうもない。 「……」 『沈黙』に『直視』という重圧で攻めてきた。  一発当てればいいんだろ? 「……っ!」  レッドはトリガーに指を掛けた。ダブルアクション式のやり方だ。慣れないせいもあるが狂犬リボルバー(レッド命名)のトリガーは堅かった。それを思い切り引いて銃鉄を起こす。輪胴が回転し、発射位置に弾が移動……  発砲した。 「っ!」  狂犬の名のごとく、飼い主(射主)の手から飛び上がりそうになる。レッドはそれを落とさぬよう、しっかりとグリップを握り締めていた。 「ちっ!」  弾は隣りのコースとの間隙をすり抜け、奥の闇に吸い込まれて行った。 「……」  ウィングスは無発言(ノーコメント)だった。  アドバイスもなしか? 感情を全く表に出さないウィングスのその沈黙が嫌だった。  才能のある奴はどこか癖のあるもの……かな? とレッドは強引に自分を納得させ、再度銃を構えた。  また暴れるんだろ、こいつ?  本来の力を発揮できないのがもどかしかったが、できないことが逆に彼の闘争心を掻き立てる。  “狂犬くん”を手懐けてやろうじゃないか……  ここからサイトで真正面を狙って撃ち、その反動で銃身が5センチほどぶれた。的からⅠメートル近く外れ、そのぶれを調整すると……  右手で顎を摘み、左手を反対側の腰に回す――レッドが考えごとをする時の癖だった。 「よし、この位置だ!」  レッドは決意を固めると移動した。先程より腰を落とし、やや左寄り斜めに身体を傾け銃を構えた。  すぐにズドン! とは行かなかった。前回よりも慎重になる。  照準器(サイト)で的の中央地点を捕えると同時にトリガーが引かれた。「良い姿勢(フォーム)だ」  言葉少ないウィングスの初めての賛辞(?)か。 「何で……?」  しかし、惜しくもまた的を外してしまったレッドは頭を抱えて苦悩する。「うまく距離を狭めたな。短時間でよくやった。だが――“計算通り”に動くのは難しいだろ?」  ウィングスが微笑した。それは木漏れ日のように柔らかな笑みだったが、レッドは顔をしかめて長身の彼を下から睨み返す。 「痛いのか?」  レッドが無意識に触れていた親指にウィングスは目線を落とした。 「……別に」 「貸せ」  やせ我慢するレッドの手からウィングスがリボルバーを奪い取った。「あっ?……」  その鮮やかな手捌きに成す術もなく、唖然とするレッド。 「見てろ」  そう言い、ウィングスがリボルバーの銃口を的に向けた。 「的の位置は照準器(サイト)のど真ん中だ。リボルバー(こいつ)は発射時、上に跳ね上がる。その位置を計算して撃つのも一つの方法だろう。だが、持ち方を替えればぶれにくくなる。銃把の上部をしっかり握り――撃つ」  トリガーが引かれ、秒遅れで弾が飛び出した。 「……」   口を半開きにしたまま、レッドはそれを目で追いかける。  弾は的の中央付近の渦に吸い込まれて行った。 「……当たった」  呆気に取られるレッドだったが 「今日はこれで終わりだ。来週、オレが来る時まで、その手を休めておけ」 「もう終わり? やっとこつを教えてもらったのに〜〜」  嫌だったはずなのに、急にやる気が沸いて来たレッドであった。 「その手が腱鞘炎にでもなったら練習どころじゃなくなる」  消炎器の冷め具合を確かめてから、リボルバーをホルスターに収めるウィングス。レッドは彼を引き止めたかったが 「オレはスパルタをしに来たわけじゃない。――その手を大事にしろ」  最後の一言に、 『こいつ、優しいのか冷たいのか分からない』  と困惑するレッドだった。  さっさと射撃場を出て行こうとするウィングスをレッドは追いかける。ウィングスは足が長く歩幅が広いので、レッドは軽く小走りした。 「ねぇ、“コーチ”」  ウィングスが立ち止まって振り返る。 「フリーの狙撃者(スナイパー)だって聞いたけど、どこにも所属してないってこと?」 「そうだ」 「あれだけの腕があるなら、どこかに入ればいいのに……宝の持ち腐れだなぁ」  コーチとしてだけでなく、ファミリーの護身用として是非ともウルフガング(うち)に来てほしいものだ、とレッドは思った。 「うちに来れば? 僕が推薦するよ」  ウルフガング一家に所属する人物は皆、“元(もと)○○”という肩書きを持っている。その中に“元陸軍出身”で自称ウルフガングの狙撃者(スナイパー)担当の男がいるが……  アル中だ。それに歳もかなり行っていて、いつ死んでもおかしくない。全く頼りにならない存在だ。 「考えておいてほしいな」  レッドはあえて控え目に頼んでみた。とりあえず最初は耳に入れておく程度でいい。徐々に好条件を出して、引き寄せるつもりだった。  ウィングスが床に視線を落とす。密集した長い睫毛が、下瞼に影を落とした。 「この仕事はもう引退するんだ」 「え……?」 「オレはある目的のためにこの仕事を始めた。その目的がもうすぐ達成する」 「目的って何?」 「それは言えない」 「……」  錠前が下ろされた。他人からの一切の介入を遮断する見えない鉄格子が、ウィングスの私情を完全に保護(ガード)していた。  美しいこの狙撃者(スナイパー)には冷静さと、どこか“哀しい色”がある。彼の言う目的となにか関係があるのかもしれない。  それは犯罪者の目に宿る腐敗した色ではなく『純粋な悪の結晶』  そんな色だった。  ウィングス 何を“隠してる”……?
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