02

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 エディンバラのバーでの出来事から約一年半が経過した頃…… 「主よ。どうか我が身をお守りください」  ロザリオを首に吊るし、アジトの一室に設けた祈祷台の上に手を組み合わせてそう呟き、十字を切る。父親のカドマスは敬虔な信者(カトリック)でもないのに縁起を担ぐためか、日曜は決まってそのように形だけの祈りを捧げていた。  神様も大変だ。犯罪に手を染めた人間の願いまで聞かなきゃならないなんて……  祈祷する父親の傍らで同じく形だけの祈りを捧げながら、レッドは心の中でそう皮肉った。  イギリスに拠点を置くマフィアやギャングに混じって、ウルフガング一家は存在している。レッドの父親はそのボスだ。半年ほど前、前ボスを務めていた祖父のアーロンが持病の心不全を患って他界してから、遺言に従って後任したのである。 「レッド、お前は変装を覚えたほうがいいな。この業界の人間としては特徴のない顔のほうが目立たなくて良かったが、お前の顔は一目を引くかもしれん」 「変装ね……」  レッドは意外とそれに興味を持ったのだが、彼の想像とは違っていた。 「お前はまだ小柄だし、そうだなぁ……女装するのがいいだろう」 「女装?」  驚いたというよりレッドは唖然とした。 「やり方は “エイブ” に教わるといい」  エイブというのはウルフガング一家の一員で、元特種メイクアーティストの男性だ。彼の手に掛かれば人間を類人猿に、男性を老婆に変えることだって可能だ。 「なかなか面白そうだね」  行動範囲が広がるな。  あれこれ企みながら、一人ほくそ笑むレッドだった。  この後レッドは射撃の練習をする予定だった。珍しく父に先導され、アジトの中に設けた射撃場へと向かう。   ウルフガング一家の人間が、時々誰となく試し撃ちにそこを利用していた。  レッドは武器庫から32口径の軽量な拳銃を持ち出し、ショルダーホルスターに収めた。 「銃の扱いには、もうなれたのか?」 「まぁ、的に当てるぐらいはね」 「そうか」  様子を見に来た父親は、何か含むようにそう頷くとさらに言葉を紡いだ。 「場合によっては、人間のほうが当てやすいかもしれん。動くといってもたかが知れている」  それは自分の動体視力が優れていると言いたいのか。人間程度の動きなら見切れるという見栄のようにも聞こえる。そんな風に感じてしまうのは、破顔した彼の薄茶色の瞳が偽物の光沢を発しているからかもしれない。そうやっていつも強がって来たのかな、ボスとして。レッドは冷ややかにそう分析した。  射撃場の重厚な鉄扉を開けると銃声がした。どうやら先客がいたらしい。端寄りのコースに長身の男性の後ろ姿があった。彼はリボルバーの輪胴式弾倉を回転させて弾を装填し、的に向けてトリガーを引いた。  それは見事に的の中央付近に命中した。 「へぇ〜〜やるじゃないか」   一目でレッドは興味を持った。その男性の鮮やかな射撃は、照準器(サイト)を覗く――狙いを定める――撃つ――をほぼ同時、もしくは身体に染み付いた感覚で行っていた。レッドはその優れた技術と自分の持つ三感(見る、判断する、動く)同時始動能力という特種能力とを重ね、彼に親近感を覚えていた。 「あれは狙撃者(スナイパー)だ。お前の射撃のコーチをしてもらうことにした」  値踏みするような目で男性を見やりながら父親が言った。 「へぇ〜〜、狙撃者(スナイパー)か。結構、報酬(ギャラ)が高そうな人をコーチに選んだね?」 「まぁな……だが、お前に早く一人前になってもらうためだ」  苦笑が混じるその根底には、ボスを任された責任感への重圧に押しつぶされそうな現状から、早く抜け出したいという心理があった。  彼は臆病になっていた。頂点に立つものは狙われる――そのことに苛まれ続けていたのだ。早く世代交代をしなければならない。息子のレッドには才能がある。早く一人前に育て上げ、この座を譲らねば……  この真意を誰も知らなかった。彼は延々と頂点に君臨するべくボスとして、威厳を示さねばならない。それを悟られぬうちに……  逸る気持ちを包み隠し、その真意は固いプライドという甲羅に覆われた胸中の奥に満ちていた。 …………………………………………………………………………………………… 誤字修正しました。
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