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父の面影
やっとの事で処置室へとたどり着いた。
就寝時間はとうに過ぎていて、誰と会う事も無く来ることができた。
それは俺も、ジンノ大佐も安堵した事だと思う。
移動中、ジンノ大佐は右足をかばいつつ、少しフラフラしながら歩いていた。
指揮官の発熱と足の負傷、恐らくそれに伴うオピオイド系薬物使用は他の兵の不安を煽る原因になる。
多分、ジンノ大佐は誰にも知られたく無かったのだと思う。
知られたくなかったのは分かるけど、さすがに見逃す事はできない。
「いくつか質問しますが、絶対に本当の事言ってくださいね」
「ああ」
横になったジンノ大佐は少し苦しそうに頭を押さえながら頷いた。
「話すのが辛い時はそれ以上無理強いしませんから、その時は言ってください」
「大丈夫だ」
「では、発熱はいつから? どれくらいの頻度で出ていますか?」
「あまり覚えていない。熱は測っていないから頻度も分からない」
えええ……。
あれだけ兵士達のバイタルチェックしろと言っておきながら自己管理できてなさすぎだろ。
「あのパイプはいつから吸ってますか?」
「あれは、ここ数年、2,3年くらい前か」
,
「なぜ使い始めたのですか?」
「眠れない時……、痛みで眠れない時には少しだけ吸うとよく眠れる」
「その痛みって、右足ですか?」
「ああ」
「ちょっと診せてもらいます」
右足の足首が靴下の上から見てもわかる位に腫れている。
その上から触れるだけで、発熱している体温より熱い。
靴下を脱がすと、そこには歪な手術痕があった。
「以前何か怪我を?」
「戦場で負傷した。折れていたようだが、すぐ手術をして回復した」
「こんなに腫れて痛みを伴っているのに回復って言いませんよ……」
「しばらくは問題なかったんだ」
「痛みも無かったんですか?」
「痛みは残っていたが、それは何とでもなった」
えええ……。
何ともなってないでしょうに。
「レントゲン撮りますよ。少し動けますか?」
「ああ」
天上のくぼみに針金をかけて引き、階段とベッドが降りてくる。
この最高級の設備を最初に使う患者がジンノ大佐とは想像もしなかったよ。
でもまぁ、日々点検しておいて良かった。
「階段とベッドとどちらがいいですか?」
「階段でいい」
そう言ってジンノ大佐はベッドから降りると先に登っていった。
レントゲンの結果から言うと、原因は雑な手術のせいだった。
加えて、治療後にまだ動ける状態でも無いのに動き回ったであろう、ジンノ大佐も原因だった。
結果を伝える前に、痛み止めの薬をジンノ大佐に渡す。
「ジクロフェナク系の鎮痛剤です。飲んでください。解熱効果もあります」
「……」
ジンノ大佐は横になった身体を起こすと、だるそうな目でこちらを見ながら薬を受け取って飲んだ。
時々フラつく状態、オピオイド系鎮痛剤の影響が少しでている。
オピオイド系鎮痛剤とは、はっきり言ってしまえば麻薬だ。
医療用麻薬かどうかは成分を見ないと分からないけれど、痛みをごまかす為に吸っているのはどちらにしろ問題だ。
「結果は?」
「説明しますから、少しの間休んでください」
「……分かった」
とりあえず緊急で無いと判断して、解熱剤が効いてくる頃に説明を始めよう。
気丈にしてるつもりなのだろうが、俺の目に入らない所で隠れて苦しそうにしている姿を見逃すつもりはない。
それに、説明する俺も時間が欲しかった。
ジンノ大佐が出す答えがなんとなく分かるから。
「ここ、ボルトで繋げてありますが、ボルトがかなり内部まで入り込んでいます。痛み以外にも違和感があったと思います」
「骨の継ぎ目が少しズレています。無理に動いて周りが炎症を起こして、圧迫されたままの状態で繋がってしまったのかもしれません」
「そのせいで体幹もズレていますし、痛みをかばうために身体のあちこちに負担がかかっています。現在も相当無理をしている状態かと」
と、レントゲンをペンで指し示しながら淡々と説明はしていたけれど。
本当は気が気では無かった。
「それで、治るのか?」
ああ、やっぱりそう来るよな。
「再手術が必要です。シーゼルに整形外科専門の病院があります。最短で治すのでしたら、手術依頼を本部に出してください」
「他の方法は?」
「……無いです。あるいはもう兵士は辞めて隠居するか、今の状態のまま我慢するか」
「……」
「……」
空気が重い。
せめて無駄だったと思わないで欲しい。
再手術するという事は、今の任務から一時離れるという事だ。
亡霊の砦という唯一無二の無敵の砦は、ジンノ大佐無くしては成立しない。
ジンノ大佐は自分が抜けるなんて言えないだろう。
どんな無理をしても、きっとこの場にいる事を選ぶのだろう。
ジンノ大佐がどんな選択をしても、俺はそれを責める事はできない。
今の状態のまま、砦兵達に気づかれず、何事も無いようにタールが降伏するまで砦を守り続けたいと言われるなら、俺は俺にできる事をするしか無い。
意識を鮮明に保ったままの鎮痛剤はあっただろうか。
眠れない時には睡眠薬……、は、意識が濁るだろうから別の方法を考えよう。
後は……。
少しの沈黙の後、ジンノ大佐は言った。
「再手術だな。分かった」
「そう、再手じゅ……、えっ!?」
「なぜ驚くんだ? それしか無いんだろう?」
「そ、そうですけど……」
「ならそれをお願いしたい」
「え、あ、もしかして、ちょっとヤケクソになって、ます……?」
「なる訳ないだろう。ちょうどいい機会なのかもしれないな」
「あの、え、じゃあ、砦は……?」
「何か勘違いしているな。再手術はマリアに頼もうと思っている」
「え、お、俺!?」
「ああ、それなら俺がやりたかった事も一緒にできる」
「あの、確かに軍医の肩書きをもらっていますが、俺一人と専門の場所で専門医が行う手術とは全然違うんですよ?」
「分かっている。分かった上で、俺はマリアに再手術を頼みたい」
「いえ、ですから、大事な大佐の称号を持ってる人に簡単に自分が手術しますと言える様な技術は無いんですよ!」
「ははは、まるで自分をヤブ医者みたいに言うんだな」
「笑い事じゃないんです! その、もちろん俺にそれだけの技術や経験があればお受けしたいですが……」
「やり方が分からない訳じゃないんだろう?」
「そうですけど、そこでは無く、わざわざリスクも回復に時間もがかかる手術を選ぶ必要はありますか? あと、砦の指揮はどうするつもりですか?」
「砦の事はまた後で話をする。それは心配いらない」
それは初耳だった。
ジンノ大佐が居ない時用の作戦もあったのか。
もっと早く教えてくれよ!
凄い心配したじゃないか。
「なら、なおさら早く的確に処置できる専門機関へ行くべきだと思います」
「頑固だな。俺はお前にお願いしてるんだ」
「頑固はジンノ大佐も同じですよ」
ジンノ大佐は汗の乾いてきた髪を手でぬぐった。
「……そう言えば、お前の父親も軍医だったな」
「……!!」
一瞬にして身体が固まる。
震えが止まらなくなる。
ジンノ大佐から俺に声をかけてくれた位だから、父親の事を知っているのは分かっていた。
でも、なぜ、今それを!?
「え、ええ、そうです……。あんな父親ですから、お、俺は……」
俺は、何だ。
何が言いたい。
俺は父親と違うと言いたいのか。
それとも同じく愚かな人間だとでも言いたいのか。
でも違う。
どれも本心では無い。
ジンノ大佐に嘘はつきたくない。
だから、言葉に詰まる。
「俺は……」
「兵士になりたての頃、よく世話になった。ハルト軍医、だったな」
「……同じ戦場に、いたんですか……?」
「ああ、当時、俺は本当にガキで、ただやみくもに戦場を突っ走ってはよく怪我もしたし、返り討ちにもあった。その度にハルト軍医とアンジェリカ看護師が丁寧に手当をしてくれて、その頃の怪我は痕さえほとんど残っていない」
「……父と母は、戦場でも丁寧な施術を、心がけていましたから……」
「自分達にも俺と同じくらいの息子がいると言っていて、いつも気にかけてくれていた」
「そ、う、……ですか」
俺の事か。
「複数の敵との抗戦で谷に落ちた時があって、どこにも力が入らずさすがに死を覚悟した。周りには敵味方入り交じって瀕死の人間が呻いていた。夜になって、凍えながら血の海で息を引き取っていく兵士を眺めていたら、ハルト軍医とアンジェリカ看護師がやって来たんだ」
「それ、は……」
「二人は、一人一人確認して、息のある人間がいれば全員助けた」
忌まわしい思い出とリンクする。
敵を助けた裏切り者。
そう言われるようになったきっかけの出来事だ。
「そ、それは……、夜だし、怪我がひ、酷くて、敵も味方も、分からなかったから、かも……」
そんな訳は無い。
怪我が酷かろうが敵も味方も区別が付かないなんてあるはずもない。
でも、この出来事で父と母は激戦区だったケルン島へと飛ばされた。
そして、戻ってくる事は無かった。
「今でも鮮明に思い出せる記憶だ」
「そ、それは、俺とは、関係ありません……」
「その出来事自体はな。でもお前の中にはハルト軍医の面影があるように見える」
「……止めてください。父は、裏切り者と言われている者ですから……」
「何も知らず攻撃してくる人間は多くいるだろう。でも俺は、敵味方の区別なく人命を救ったハルト軍医を今でも尊敬している」
「……っ」
俺はとっさに立ち上がってデスクへと向かった。
「何人も軍医を見てきたが、ハルト軍医程の人は居なかった。技術的にも人間的にもな」
「……」
「裏切り者なんて心にも無い事を言うな。ハルト軍医もアンジェリカ看護師もお前の自慢ばかりしていたぞ」
父は裏切り者と言われ、俺も同じ扱いを受けていた。
思い出す。
それだけじゃない。
その前は誰からも名医だと言われ多くの患者を救っていた。
その思い出を閉じ込めて、自分の不遇の扱いを両親のせいにしていた。
止めてくれ、泣きそうになる。
「お前にとっても自慢の両親なんだろう。それさえ言えなくなってしまったのか?」
「いえ……、最高の、両親でした……」
大好きだった。
尊敬していた。
それさえ、俺は口に出せなくなっていた。
「お前も最高の医者になれ。俺も自慢になるくらいのな」
必死に隠そうとしていた気持ちが許される。
それを、俺は出して良いのか。
「も、もしかして大佐、俺が父と同じくらいの腕持っていると思ってるんすか? 周りから役立たず扱いされてたんですよ?」
「どうだろうな。少なくとも、俺が足を折ったときの軍医がマリアなら、今こんな事にはなっていないと思っている」
「過大評価しすぎですよ。ジンノ大佐なら国の最高の病院で最高の医療を最優先で施してもらえますよ、すごいお得じゃないですか!」
「ははは、いきなり饒舌になったな」
笑うなよ!
こっちは涙こらえるのに必死なんだよ!
「俺なんかに任せたら、治るまで絶対に足首動かせないようにガチガチに固定しますからね。治るまで粘着して監視しますからね。あと、あのパイプは禁止」
「ああ、それで頼む」
「……」
デスクの書類にポタポタと涙が落ちる。
「……わ、分かり……、ました」
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