静かな戦場

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静かな戦場

 次の日。  午後の演習が始まる前に敵の襲撃があった。  俺は地下処置室で一人手術のシミュレーションを行っていた。  震えるクロウを握り、指紋認証でセキュリティを解除。  指示を待つ。  始めに緑のランプが光り、白いランプがいくつか点滅する。  それが今日の作戦の合図。  作戦32。  今日の暗号で呼ぶなら【純米きもと造り】  中年の兵士が作った酒シリーズらしいが、覚えにくいことこの上ない。  主に砦上から迎え撃つ。  ……。  ここまでは分かるんだが。  で、俺は何をしたらいいんだろう?  ジンノ大佐について行けばいいのだと思っていたけれど、何を持ってどんな手段で出て行けば良いのか考えていなかった。  階段に駆けていく砦兵の足音が聞こえる。  俺もあの中に混ざって上に行けばいいのか。  ……え、嘘、だろ……?  一度階段を上って砦上へ上った時の事を思い出して青ざめた。  あの心臓破りの階段を走って上るのか。  俺、途中で死ぬんじゃね?  死ななくても上りきった頃には、……やっぱり死ぬんじゃね?  俺には明日ジンノ大佐の手術を控えているというのに……!  「マリア、何してるんだ」  「ひっ……」  ジンノ大佐がいつの間にか処置室へ入ってきていた。  「ジンノ大佐こそ……、一体どうして……」  「指示を出してからお前が動かないから監視カメラの故障かと思ったよ」  「はは……、監視カメラ……、付いてましたね……」  「行くぞ。お前は姿を見せているだけでいい」  「わ、分かるのですが、あの……、階段を上りきる自信が、ありません……」  「階段?」  ふと何かに気づいたように、ジンノ大佐は笑い出した。  「ははは、そんな事しなくていい。お前はエレベーターって文明の利器を忘れたのか」  エレベーター!!  そ、そうか!  俺は階段を使わなくてもいいのか!!  「マリアは頭がいいのか悪いのか分からないな」  エレベーターに乗ってからもジンノ大佐は笑っていた。  もしかして、この人笑い上戸なのか。  初めて会った時はこんな笑う印象では無かったのに。  ああでもそれより、自分自身の馬鹿さ加減が辛いよ……。  砦最上階に着き、周りを見回す。  が、特に何も変わった所は無い。  まだ敵は来ていないらしい。  「ジンノ大佐の敵レーダーはいつも連絡が早いですね」  「そうだな。きっと衛星を使うより正確で早い」  すると、かなり遠くから銃の音がした。  2発。  3発。  4発連続で聞こえて、そしてまた静かになった。  「今の音は?」  「誘導しているんだ。あと、敵のスナイパーがいれば先に攻撃している。ここに来るのはその残党だけだ」  そうだったのか。  モニターでは遠くまで見る事は無かったからな。  イーグルを操作し、ジンノ大佐はライフルを構えて正面にある森の中へ一発撃ち込んだ。  「今のは?」  「一人撃ち抜いた。恐らく小隊の隊長だろう」  「えっ」  ジンノ大佐は手元にイーグルを用意すると、確認した。  「砦で迎え撃つのは小隊25、まだ空に3残っている」  そう言うと、またライフルを構え、森の中数カ所にライフルを撃ち込んだ。  とすぐにあちこちから銃の音が聞こえ始めた。  所々で悲鳴があがる。  「今のは敵の場所を知らせる為の誘導弾だ」  「……」  言葉を失ってしまった。  今更、こんな今更な事だけれど、これは演習じゃない。  実際に人が死んでいるという事実。  モニター越しに見ていたのも、以前キャンプにいた時も、こんなにも戦場にいるという実感が湧いていなかった。  命を救う立場であるはずの自分が、人が殺されていく場所にいる矛盾。  それがいきなり猛烈な勢いで俺を襲ってきた。  俺が感じているこの世界では俺が主人公なのだろう。  でも、今殺された人間の世界ではその人が主人公だった。  誰か殺される度に一つの世界が終わっていく。  目の前でいくつも。  それが恐ろしかった。  「マリア、少し座っていろ」  俺の異変に気づいたジンノ大佐は軽く背中を叩いてきてそう言った。  「……はい」  言われるがまま、俺はその場に座り込んだ。  今にも吐きそうだった。  恐ろしさと情けなさで、敵が完全撤退するまで指先一つ動かすことができなかった。  一段落着いて、俺はジンノ大佐に抱えられながら執務室のソファに横になった。  安定剤を飲んで吐き気が収まるまで、ジンノ大佐は傍らの椅子に腰掛け、ずっと何も言わなかった。  「少しは落ち着いたか」  「正直、あまり……」  「実戦は初めてだったな。特に珍しい事じゃない」  「……そうなのかもしれません。でも、俺は戦争に向いていないと、思いました」  「そうか、どうしてそう思ったんだ?」  「まず……、ジンノ大佐の期待を裏切るような結果になってしまって申し訳ありません」  「それはいい。想定はしていたからな」  「そうですか……。俺、こんなに人が殺されて行く所を初めて見ました。とても恐怖を感じました」  「そうだな。戦争には人の生死が山程関係してくる」  「その敵にも生きる目的はあって、家族があって愛する人がいて、それがあんなにもあっけなく奪われてしまう……。それは、俺が医者を目指した思いとはあまりにもかけ離れていて……」  両親が亡くなったと知らされた時の絶望を思い出す。  それはこんな簡単に、一瞬で起こってしまう出来事だったのか。  「大切にすべき人命が弾丸一発で消えてしまう。そんな、簡単な死が目の前で起きているのを見て、命がけで人を助けたいと思っていた俺には重荷すぎた、んだと、思います」  この砦兵と馴染み、それに穏やかさを感じていた自分はどれだけ無情な人間だったんだろうか。  「仲間と日々を過ごしている内に、この日々が続けばいいなと思った事さえあります。みんなが過酷な戦争をしているのにも関わらず、そのみんなとの交流が楽しくて、こんな日が続けばいいと、俺はそんな呑気な事を考えていました」  「罪悪感か。戦争の理不尽さを実際の目で見てそう思ったんだな」  「……そうです。俺には向いていない。がっかりしたでしょう。俺は馬鹿で弱い人間なんです」  「そう思うのは自由だが、俺はそう思っていない」  「止めてください。俺はジンノ大佐の期待も裏切ったのです」  「実戦に関してはお前はあまりにも経験不足だ」  「何度も経験して、それに慣れてしまっては人間として失ってしまってはいけない部分さえ忘れてしまうものでしょうか」  「それは違うぞ」  「……俺には、正直分かりません……」  ジンノ大佐の顔もまともに見られない。  遠回しにあなたは心無い人殺しと言っているようなものだ。  「昔、俺も同じ事を思っていた頃があった」  「ジンノ大佐が?」  「そうだ。俺は元々戦争孤児で親戚をたらい回しにされた挙げ句、10歳の頃に孤児院に放り込まれた」  「……」  「気の毒だと思うなよ。その孤児院での生活は俺にとって満ち足りた生活だった。俺はそりゃガキだったが、そこで一緒になった戦争孤児達はみんな俺より年下だった。幼い子供を残して戦死した両親はさぞかし無念だったろう」  ジンノ大佐は先に逝ってしまった両親の気持ちを思ったのか。  「だから俺がこの施設の父親になろうと思った。今から思うと子供ならではでの思い込みだな。でも湧いてくる使命感は本物だったと思う。8年だけ戦争の無い時期があっただろう。その時期をまるまる孤児院で過ごしていた。生意気に仕事して子供達の世話して、賑やかで楽しい日々だったと記憶している」  束の間の戦争の無かった期間。  俺も両親と過ごせた懐かしい記憶を持っている。  「その日、敵から攻撃が来た日、俺は仕事帰りの買い物中だった。その間に孤児院が破壊されていた。残っていた全員、木っ端微塵だ」  「…………」  「俺が兵士志願したのはそれからだ。敵は皆殺しにしようと思っていた。でも実際に戦場に出て、初めて人を殺したときはしばらく寝込む程に後悔したよ」  今の、俺みたいな状態、って事か。  「俺にとって大事な家族を殺した敵と同じ国の人間を殺した。その時、その敵にも大事な家族がいて、俺と同じように悲しんで憎んで殺したいと思うようになるだろう。俺自身がそのきっかけを作る側になった事が胸くそ悪かった。結局、この悪循環をなくすことは不可能なのだと思った」  以前、ジンノ大佐が似ていると言われたのを思い出した。  もしかしてそこに繋がっているのだろうか。  「なかなか復帰できない俺の所にハルト軍医は根気よく通って話を聞いてくれていた」  「父が……?」  「そうだ。戦場に一歩足を踏み入れた時点で生か死か、誰でもその覚悟はできている。敵も同じ覚悟で来ている。罪悪感から逃げる為にどんな行動をするのかは自由だが、また自分の大事な人を殺されて泣くのかと。もちろん、戦争なんて本当は無い方がいい。その上で、敵の覚悟を同じ覚悟で迎え撃てと、それができないのなら帰って泣いて一生過ごせと」  ジンノ大佐も恐怖を忘れないと言っていたのはこの事なのか。  人の命を奪う恐怖と奪われる恐怖。  「ハルト軍医の言葉で少しだけ目が覚めたよ。本当に敵全員が死ぬ覚悟で向かってきているとは限らないが、迷いは必要ない。迷っている間に今度は味方が死ぬ。何を守りたいのか、その信念と敵への敬意を忘れなければ、俺は誰よりも強い兵士になれると言われた。未だに忘れた事は無い」  「そしてもし、俺と同じ思いを持つ部下ができたら、それを伝えて欲しい。それもハルト軍医の願いだった」  「……」  「俺が今までいた戦場では昇進目的や、ただ敵を撃ちたいだけの兵士、精神を病んでしまう兵士、惰性でやっている兵士、いろいろいたが、ハルト軍医のこの言葉はもしかしたら未来のマリアに届けたかったのかもしれないな」  「そんな、まさか」  「もちろんハルト医師にそんな未来は予知できないだろうけど、俺とマリアを重ねて見ていたハルト医師はお前がいつか困った時に伝えたかった事なんだと、今そう思っている」  「俺が、困った時に……」  「お前はまだ戦争はほとんど未経験だ。戸惑う事もたくさんあるだろう。だが、それでいい。きっとマリアに感じるハルト軍医の面影はそういう部分なのだろうな」  「…………」  父さん……。  昔、父親の治療で助かったという声をいくつも聞いた。  戦争の無かった期間、それまで不在がちだった穴埋めのように、両親は俺に溢れる程の愛情を注いでくれた。  戦争を憎まないように、そう教えてもらっていた。  優しい両親、誰からも尊敬される両親。  憧れであり、目標にもなり、理想でもあった。  その声が今、ジンノ大佐を通じて俺に届いた。  それだけでも、胸が苦しくて涙が溢れる。  「っ……」  周りからの嫌がらせで何度心にも無く父を否定したか分からない。  俺には覚悟が無かったんだ。  過ごした時間は少なかったのかもしれないが、両親は俺を、俺は両親を愛していた。  はっきり断言できる。  「ほら、涙を拭け。仲間に見られたくなかったらな」  そう言って、俺にティッシュを差し出した。  「……はい」  ティッシュを受け取り、涙と鼻水を拭く。  なぜだろうな、今となってはこんな醜態を見せるのに抵抗が無くなっていた。  この人の前なら自分をさらけ出せる。  その安心感。  とても懐が大きい人なのだと思った。  「ありがとう、ございます……」  そう言った矢先、ノックもせずにヒロとキラ、タカヤが入ってきた。  「マリア!」  三人が口を揃えて駆け寄ってくる。  「え、ちょっと待っ……」  泣き顔を見られたくなくて、俺はティッシュで顔を覆った。  「あ、大佐がマリア泣かしてるー!」  ヒロがニヤニヤしながらジンノ大佐をつつく。  「誤解を招く言い方はやめろ」  キラが心配そうに聞いてくる。  「マリアちゃん、大佐に何かされた? 大佐も男だから二人きりになると何してくるから分からないから」  「一番危ないのはお前だろ」  「あ、これは違……」  「違うのは分かってるよ、真面目か!」  そう言ってタカヤがバンバンと俺の肩を叩く、というか殴るってるに近いな。  痛ぇ。  ヒロとジンノ大佐は何やらアイコンタクトを取って、今日の出来事が何となく分かったようだった。  「マリアちゃんは本当にピュアだよね」  「えっ」  「あー、言い方がおかしいか。純粋、真面目、感受性が強いんだね」  「???」  「あー、そうか、だからこんなに愛おしいんだ」  そう言いながら髭面でほおずりをしてこようとするキラを全力で阻止した。  「俺だってピュアだぞ!」  なぜか張り合ってくるタカヤ。  それをまたニヤニヤしながらヒロが言う。  「うん、チェリーボーイは確かにピュアだろうな」  「それどういう意味だよ!」    キラがタカヤの肩を叩く。  「まぁまぁ、それなら俺だって長い間三次元に至ってはピュアだぞ」  その言葉に全員がドン引きする。  「あ、今俺を可哀想だとか思ったろ。ぜんっぜん可哀想じゃないからな。俺にはアンジーちゃんという天使がいてな」  「はい、いつもの病気来ましたー」  「同情するならタカヤにしてやってくれ。ほら、何か可哀想じゃないか、いろいろ」  「何だと!? 俺はな、いつか巨乳美女だらけのハーレム作る予定なんだからな! キラにはこのロマンが分からないんだよ!」  「おーおー、理想はいくらでも高くどうぞ。妄想だけならタダだし」  ニヤニヤしながら言うヒロにタカヤが言う。  「うっさいわ! 自分はどうなんだよ! そろそろ夫婦関係ヤバいんじゃないのか」  「いいや、毎週嫁と子供の写真と一緒に手紙来るし、超ラブラブだから」  「くそっ、リア充死ね! 今すぐ死ね!」  いつも通りのやりとり。  涙も引いて、自然と笑顔になる。  こいつら馬鹿だな。  でもそれに救われる俺も馬鹿なんだろう。  馬鹿ばっかりのこの場所はなんていい所なんだろう。  タカヤがボソッと呟く。  「俺も大佐に泣かされてみたい」  「本当に俺がマリアに何かしたみたいな事を言うな」  ヒロが笑う。  「タカヤお前、本当に大佐大好きだな」
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