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ディ・アーナの女神
夜。
昨日と同じようにジンノ大佐と夕食の時間を過ごしてから、地下にある自室にいた。
地上の砦内にも俺用の部屋は用意してもいいと言われたが、廃墟になっている部屋ばかりなので結局ここにいる。
明日はジンノ大佐の手術。
手術自体が久しぶりで、今でも自分で良かったのかと迷いはある。
それでもその期待に応えたい気持ちが一番強い。
できる限りの事をしよう、そう思いながらジンノ大佐のレントゲンデータを見ているとジンノ大佐から内線で執務室へ来るように呼び出しが入った。
「どうしました? どこか具合でも?」
「いや、問題無い。紹介したい人がいる」
「人?」
誰だ?
砦内でこの時間にジンノ大佐といられる人がいるのだろうか。
「そうだ。ちゃんとエレベーターで来るんだぞ」
「分かってますよ!」
これ死ぬまでネタにされるやつだな、多分……。
執務室に入ると、俺を出迎えてくれる大佐の後ろ、ソファに人が座っているのが見えた。
どこかで見た事があるような……。
軍人らしく汚れた迷彩服を着た、小柄で目の大きな男性。
「トーレス……」
口をついて出た言葉で思い出した。
この砦に来る前、写真で覚えた人物だ。
忘れかけていたけど、写真で覚えた人物の人数よりも砦兵はだいぶ少ない。
「さすがだな。よく覚えている」
トーレスは立ち上がり、軽くお辞儀をする。
「トーレス、ナマエ、ハジメマシテ」
片言?
「初めまして、私はマリアと申します」
そう言うと、トーレスはジンノ大佐を助けを求めるように見る。
異国の言葉らしい会話を二言三言会話をすると、俺を見てトーレスは俺に笑顔を向けた。
「マリア、ヴィラヌー」
「ヴィラヌー?」
聞き返すと、ジンノ大佐が説明する。
「彼らの言葉で言うと、マリアとは女神という意味らしい」
「え」
彼〝ら〟という事は、他にも同じ異国の人がいるって事か。
そしてなぜその異国の人がここの砦に?
あとアレだ、女神と言われても俺は男だし。
「マリア、説明する。こっちへ」
促されるままソファに座る。
「ディ・アーナ民族を知っているか?」
自分の知っている知識をフル稼働させて思い出せるのは。
「聞いた事はあります。が、住んでいた島を戦場にされて全滅したとも」
「表向きはな」
「では、彼はディ・アーナ民の生き残りですか?」
「そうだ。実際には数十人生き残ってアユタワで預かりひっそりと生活をしている。トーレスはディ・アーナ民族生き残りの族長だ」
「そうなのですか!? あ、あの、しかしなぜ?」
「ディ・アーナ民は古代から自然と調和して生きてきた人々だ。俺達には到底及ばない自然の知識と身体能力を持っている。今は秘密裏に共闘しているという所か」
「すみません、一応伺っておきたいのですが、彼らは味方という解釈でいいのでしょうか」
「もちろんだ。味方どころか彼ら無しでは砦の作戦は成り立たない位に動いてくれている。マリアも指示側になるから紹介しておきたくてな」
「では、トーレスにもジンノ大佐から指示を?」
「逆だ。俺がトーレスから情報を送ってもらっている」
「どういう事ですか?」
「俺が得ている情報の一番重要な部分はディアーナ民からもらっている。衛星よりも早く正確な情報をな」
以前、そんな話をしていたのを思い出す。
「えっと、敵へのスパイという事ですか?」
「違うな。敵からの攻撃予定を知らせてくるのはまた別だ。ディ・アーナ民族は攻めてきた敵の正確な位置を教えてくれる」
「衛星より早く、正確に、ですか?」
「信じられないという顔だな」
「それは、まぁ、にわかには……」
「狩猟で生きてきたディ・アーナ民族の身体能力は凄いぞ。自然と生きてきて培ってきた五感の精密性、空間認知能力、常識では考えられない程に。空襲、俺達を狙う数㎞先のスナイパー、主力戦車、全部目視だけで正確な情報を送ってくれるし、可能なものは破壊している。だから砦までたどり付ける敵は既に戦力は半減以下になっている」
「確かに……」
砦まで戦車が来る所は見た事がない。もちろん空襲で襲われる事も。
何か特別な防御網があるだろうとは思っていたが、それがディ・アーナ民族によるものだったのか。
「彼らは砦周りの森で今でも隠れて狩猟生活をし、我々では察知できない程に遠くの音を聞き、数㎞先の敵を見つけ攻撃し、その情報を送ってくれる」
そんな人間離れした味方が他にもいたのか……。
「俺達とは交流はしていなかったのはなぜでしょうか」
「ディ・アーナ民族は自然と生きる事を好む。その中で完全に身を隠す術も知っている。俺達が干渉して影響を与えるのが極力避けたい」
俺とジンノ大佐の話はトーレスには理解できないようだったが、必死で何かを訴えてきた。
「ジンノ、オンジン。ヴィラヌー ディヴ マクサラニー ディアーナ ノースラントー」
ジンノと恩人というのはこちらの言葉か。
それ以外は全然分からないけど。
「昔、俺がいた部隊がディ・アーナ民を戦場になっていた島から救出した。元々、島を戦場にされたのはディ・アーナ民族を皆殺しにする計画も入っていたからな」
「あの孤島は戦争には関係無い場所では無かったのですか?」
「関係は無かった。ただ、ディ・アーナ民族の能力は一般的な人間には脅威だったんだろう」
「……なるほど」
脅威になるから皆殺し、か。
人間とは恐ろしい生き物だ。
「最初は言葉も分からなかったが、交流する内にとても興味深い民族だと思った」
「身体能力以外にですか?」
「そうだ。ディ・アーナ民の使う言語には一人称が無いんだ。それに気づくまで随分と時間がかかった」
「それは、私とか、俺とか、そういうのですか?」
「彼らにとって大事なのはみんなかみんなではないか、そして誰か。それだけだった」
一人称が無い、ってそれはとても不便なんじゃないだろうか。
自分の主張も自分の意見も無いと同義にならないだろうか。
「ディ・アーナ民族は全員の意思が一つの意思なんだ。うまく伝わるか分からんが、意識をみんなで共有しているかのような」
「テレパシーのような?」
「ああ、そうだな。そういうのに似ている」
それで一人称が無いのか。
すぐには信じられない話だけれど。
「ただ、残念ながら楽園であった島を攻撃され、仲間のほとんどを惨殺され、そこに敵という対象ができた」
酷い話だ。
戦争なんてディ・アーナ民には全く関係無かったのだろうに。
「言わなくても分かるだろうが、敵はタールだ。静かに暮らしていたい彼らでもそれだけは協力をしたいと申し出てくれた。上官でも総統にしか話はしていない」
「そうだったのですか……」
人間とはなんて残酷な生き物なんだろう。
俺が思う人として越えてはならないものを平気で踏み越えて行く。
仲間を次々に失ったトーレス達はどれほどの傷を負ってしまったのだろうか。
意識を共有できるという能力が本当なら、殺される人の意識も全部全員が感じていたという事か。
……どんなに恐ろしい思いをしただろう。
「ヴィラヌー、ケナエウイーラ、シー アウリーラ」
トーレスは俺に訴えかけてきた。
「なんと?」
「直訳すれば、女神悲しまないで、だそうだ」
「……そんな、俺が……」
俺が励まされてどうする。
励ますなら俺達の方じゃないか。
「戦争が終われば、ディ・アーナ民族はこの砦周辺でひっそり暮らすつもりだそうだ。運良くこの砦の周りの森はディ・アーナ民族の住んでいる故郷とよく似ているそうだから」
「そうですか……」
「もう一つ。この砦ので殺された敵は、全てディ・アーナ民が自主的に埋葬している」
「埋葬、ですか?」
「犠牲はできるだけ出さないつもりではいるが、それは命がけで戦っている以上無理だ。でも、ディ・アーナ民の魂は皆平等であるという思いがそうさせるのだろう」
「ああ、言われてみれば、死体が放置されているなんて話は聞いたことないですね」
「それも、俺はディ・アーナ民族の考え方を象徴していると思っている。彼らも俺の尊敬する大切な仲間だ」
そうか、それも分かる。
ディ・アーナ民族がどんな人達なのかだんだん理解してきた。
敵であっても、魂は平等、か。
「ヴィラヌー クーリアル ディ モーラス」
「女神のご加護を受けた。自分たちはきっと救われる、だそうだ」
いやいや、そんなたまたま名前が同じってだけだろう。
「マリア クーリアス キュルアーリ ディアーナ ライールラ アリガトウ」
「マリア、あなたを守る事がディアーナの民を救う道しるべとなる、ありがとう、だそうだ」
「そんな。ちょっと過信しすぎなんじゃ……」
「間違いじゃ無い。ディ・アーナ民は俺達には見えないものが分かるみたいだからな」
「……」
またプレッシャーが襲ってくる。
無力な俺に何ができるのか。
彼らの期待に応える事ができるのか。
その可能性は限りなくゼロだ。
ただ、一つだけ。
俺は女神では無いが、ディ・アーナ民族はこの砦の希望だと、それは確信できた。
あと、俺は男だからな。
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