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囚われ
それからしばらく演習も敵襲もジンノ大佐と俺が指揮についた。
とは言っても、俺にできる事は限られていて、結局は松葉杖をついたジンノ大佐に付いているだけだった。
松葉杖とはいえ、ジンノ大佐の射撃は正確で、今までのやり方とほとんど変わらない。
俺は主に、補佐的な役割と片足が付けないジンノ大佐の生活のサポートだった。
その足も抜糸も済み、驚異的な早さで回復していた。
戦場に関してはどうあがいてもやっぱり素人で、ジンノ大佐の横でいかにも《医者です》という風に立っているのが一番役に立つと言う。
そして白衣の中にジンノ大佐に必要な武器や小物を入れておく荷物係といった感じか。
ジンノ大佐が怪我をしている、そして銃も撃てない医者が一人増えた事が知れると敵は増えた。
が、増えた所でこちらの戦力に変わりは無かった。
回数が増えた事もあまり影響は無かった。
ジンノ大佐への情報はとても正確で、いつ敵が襲ってくるのか事前に把握し、砦兵達は安全な時に睡眠、入浴、食事などを済ませている。
どこからその情報が来るのかはまだ聞いた事がないけれど、いつか教えてもらえるのだろうか。
ジンノ大佐と今の砦兵がいる限り、この砦が落ちることは無いだろうといつも思っていた。
「マリア、聞きたい事がある」
今では習慣になっている夕食後の一服をしながらジンノ大佐が聞いてきた。
「何でしょうか」
「以前、この戦争が終わらなければいいと言っていたな」
覚えている。
ここでの日々が充実しすぎていて、この日常が終わらなければいいと、そう思った。
「自分の考えが甘かったと、その後痛感しましたよ。本当に何も分かっていない、戦場に出たことの無い人間の妄言です」
窓辺に吹く風に煙を乗せながら、ジンノ大佐はゆっくりと煙を吐く。
「そうか」
「その、俺は長い事友人や仲間という近しい存在が居なくて、ここの生活に依存してしまったんでしょう」
「今はどうだ」
「今は……」
今は、どうなのか。
複雑だった。
「考えたらきりがないんです。戦争が終わらない限り人は殺して殺されて。何よりも大事な仲間がその渦中に居る。でも今のように仲間と過ごす時間が何よりも大事なのは間違いないんです。なんて、不謹慎ですね。自分が武器をもっていないのをいい事に卑怯な考えです」
答えなんて無いのかもしれない。
世の中の道徳に則って、自分の気持ちに嘘をつかないで、それで答えを出すのはきっと不可能なのだから。
俺のその言葉を聞いて、しばらく無言でいたジンノ大佐は外の暗闇に向かって呟くように言った。
「俺は、戦争が終わらなければいいと思っている」
「……」
「お前の言う、依存てやつなのかもな。ここは居心地が良すぎる」
こちらに身体の向きを変え、まるで沈み込むように、ジンノ大佐はそう言って目を閉じた。
「昔はこんなクソみたいな戦争なんて早く終われば良いと思っていた。でもな、自分の居場所が見つかるとその場所が消えてしまうのが嫌になるもんだ」
「そうですね……」
居場所か。
戦争が終わったら、みんなどこへ行くのだろう。
ここでの事は全て思い出になるのか。
「もちろん、任務は言われたとおりこなすし誰も死なせない。勝てば喜ぶし、負けりゃ悲しむ。そんな立派な事を言っている一方で、たくさんの命を手にかけてきた。居心地のいい場所なんて温い事を言える立場じゃあない。結局戦争なんて殺されるか殺すかの二択なんだ。散々人を殺して居場所を求めるなんて都合が良いにも程がある」
吸っていたタバコの火を灰皿で消すと、続けて二本目のタバコに火を付ける。
「ただの戯れ言だ」
本当はジンノ大佐も誰かの命を奪うのに心を痛めている。
そして、この戦争が終われば帰る場所が無いんだ。
孤児になり、その孤児院も失い、戦場へ行き、今やっと心を許せる人といられる。
以前、パイプを吸っていた時も思ったけれど、ジンノ大佐は本当は誰よりも心の弱い人なのかもしれない。
効率や戦力だけでなく、誰も失いたくないという思いでこの砦の作戦を作ったのだと、思った。
「戦争が終わったら、ここで孤児院でもやりましょうか」
「それはいいな」
少しだけジンノ大佐の表情が緩む。
もし叶うなら、孤児達の父親として居場所を作りたい。
「お前によく似合う」
「え、お、俺ですか?」
「そうだ。仕事する。外してくれ」
そう言って自分のデスクのPCに電源を入れた。
何で俺なんだよ!
そういう含みのある言い方されると不吉な予感がするじゃねーか。
「俺と、ジンノ大佐でやりましょう」
「……」
返事は無かった。
所々に垣間見えるジンノ大佐の抱えている闇がだんだん分かってきた。
それは、時に闘志となり、時に罪悪感となる。
その根底に、孤児院を壊滅させられた強烈なトラウマが関係しているのは分かる。
そこで無理やり引き裂かれてしまったものをジンノ大佐は求めてるんじゃないだろうか。
他にも、人を殺めてしまう事にも強い罪悪感を感じている。
本人に自覚があるかどうか、それは分からないけれど。
次の日、相談したいことがあると言って、ヒロを自室に呼び出した。
「マリア、俺、嫁も子供もいるし、そういう気持ちは嬉しいけど、応えられる自信が無い。でも努力はする」
「お前は何を言ってるんだ」
冗談交じりに入ってくるヒロに紅茶を出す。
「スコーンくらいは用意して欲しかったな」
「どんだけ図々しいんだよ」
「で、俺の予想では大佐の事だな」
「まぁ、そうだな……」
ヒロは本当に察しが良い。
そして先の先まで考えていて、誰よりも空気が読める。
「で、大佐の何が知りたいの?」
「それさえも俺自身分かってないんだ。だけど、何か深い所に闇が隠れているのは分かる」
ヒロは一口紅茶を口にする。
「へぇ、なかなか上等な紅茶だ、入れ方にもこだわりが感じられる」
「一応礼は言っておく。でも本題はそこじゃない。ヒロはジンノ大佐との付き合いが一番長いじゃないか。何かヒロだけが知っている事があれば教えて欲しい」
「マリアはどう思っているの?」
「ジンノ大佐は、誰よりも強くて、頼りになって、尊敬する上官だと思っていた」
「今は?」
「それは現在も変わらない、けど、その奥にもっと深い暗い所があるんじゃないかと、そんな気がして」
ヒロは俺の部屋をぐるっと見回して、ある物に視線を止めた。
「この写真、マリアの両親か」
「二人とも戦死したけれど……、今でも心の拠り所だから」
「そう」
多分、俺の父親の事はヒロも知っているのだろう。
その事について今まで触れられた事は無い。
ヒロは写真から俺に視線を移して言った。
「昔、大佐は自分が生活していた孤児院を壊滅されられた話を聞いたよ」
「俺も聞いた」
「意外と二人はうまく交流ができてるんだね」
「普通の上司と部下で、それ以上でもそれ以下でも無い」
「まあ、いいや。大佐の人生のきっかけを作ったのはそこだな。不在がちで戦死した両親よりも孤児院での生活の方が印象に残っているみたいだね。すごく楽しかったみたいだよ」
「その孤児院では自分は父親となると張り切っていたとも言ってた」
そう言うとヒロは少し笑った。
「普通に考えればみんなの兄貴になろうと思う事はあるだろうけど、一気に父親になろうってのは大佐らしいよなー。いきなり父性本能を開花するもんなのかって」
「確かに」
「まぁ、その孤児院の子供達を守るには兄貴よりももっと強い父親になりたかったんだろうな。それが裏目に出たんだね」
「外出中に孤児院が壊滅していた、って。トラウマになっているんじゃないかな」
「トラウマね。そうなんだろうけど、俺にはトラウマ以外にも他の感情も入っているような気がするよ」
「他の感情とは?」
「俺も子供がいるから分かる。絶対的に守ろうと思っていた子供が前触れも無く殺される恐怖、怒り、悲しみ。相手が分かれば俺はどんな手を使ってもそいつを殺すだろうよ」
いつも穏やかなヒロからこんな発言が出てきた事に少し驚いた。
「マリア知ってるよね。本部で毎週行われる定例会、ジンノ大佐じゃ無く俺が行ってるでしょ?」
「ああ、ジンノ大佐が居なければ指揮がとれないからだろ?」
「それだけじゃない。みんなから離れるのが怖いんだよ。孤児院の時の体験で、帰ってきたら砦が全滅していたなんて事があれば、自責と殺意に襲われて殺人鬼にでもなっちゃうかもね」
「それは、ジンノ大佐のせいではないのに?」
「そんなのはみんな分かってる。でも、あの人はダメなんだよ。どれだけ強烈なショックを受けたのかは当人でないと分からないだろうけど、0.001%でも可能性があると思えば絶対にここを離れたがらない」
「少しでも離れると不安になってしまうのか……」
「きっとそうなんだろうね。本人に直接聞いた訳じゃ無いけど、行動を見ている限りそう思わざるを得ない」
「もう一つ。ジンノ大佐は自分を……」
そこまで行って言葉を止める。
戦争中、人を殺す事に少なからず罪悪感と戦ってきた事で、自分の存在をどんな風に考えるようになったのか。
大切な人を殺されたら殺人鬼になってしまいそうな自分と、その殺人鬼を作ってしまう自分。
それをヒロに聞いて、どうなるだろうか。
これは、今一番ジンノ大佐の近くにいる俺がその役割なんだと思った。
「どした?」
「いや、俺なりにジンノ大佐を知ってみたいと思う」
「それがいいよ。俺もまだ大佐の心の奥は何を考えているのか分からないからね。大佐自身、あまり思い出したくなくて封印してる所もあると思うよ」
「封印か。思い出すのも辛い事は出来るだけ見えないところに置いて、でも、忘れるなんて出来なくて縛られてる事自体、ジンノ大佐は分かってないのかもな」
「……マリア、俺、本当に大佐の傍にマリアが付けるようになって良かったと思ってる」
「それは、軍医という立場だから」
「それだけじゃなくて。マリアになら大佐は心を許せるようになる気がするんだ」
「そうかな」
「うん、長く一緒にいた俺でもそこまで踏み込む事はできなかったよ」
「それは多分……」
両親のせいもあるだろうな。
口に出して良いか迷う。
「大佐がいた孤児院が攻撃された日、知ってる?」
「それは具体的な日にちって事で? 聞いてないな」
「アユタワ建国記念日。通常の家庭ならご馳走が出て、プレゼント交換とかするイベントの日だね」
「ああ……」
アユタワが独立した記念日。
アユタワ国民にとってはちょっとしたお祭りの日だった。
10年前に戦争開始の日にもなった。
「幼いながらもキツい仕事して、なけなしの稼ぎで孤児院の子供達にプレゼント買って帰ったらしいよ。帰ったら火の海だったって。アユタワ以外の国にとってはどうでもいい日だからさ。絶好の攻撃日和だったんだろうね」
「……」
戦争孤児とはいえ、イベントの日は心躍る日だろう。
子供達の喜ぶ顔を思いながらプレゼントを買っていって、燃える孤児院を見たジンノ大佐のショックはどれほどだったろうか。
きっと俺には想像もできないだろう。
「ヒロ、ありがとう」
「あんまり役になってないけどな」
「充分だよ」
ジンノ大佐の心の脆さがどこに起因するのか手がかりがつかめた。
「あ、マリア、紅茶おかわり。多めに作っておいて。あとミルクもあれば持ってきて」
「俺はお前の嫁じゃないんだぞ……」
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