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命日
いつもの夕食後、いつもの通りにジンノ大佐と一服していた。
今日は1月22日。
あまり気分のいい日では無い。
今日一日オフで自室にずっと籠もっていた。
両親の命日だ。
実際に二人の訃報が届いたのは2月に入ってからだった。
二人が派遣されたケルン島では、誰が亡くなったのかの報告は遅い。
毎日何人も派遣され、何人も亡くなっていたからだ。
ケルン島の大襲撃があった後、なかなか二人の安否が確認できなくて不安な毎日を過ごしていた記憶が蘇る。
どんな最期だったのかを考えるのも憂鬱になる。
こんな日はもしかしたらみんなと賑やかに過ごした方が良いのかもしれないが、二人の思い出と共に過ごす大事な日でもある。
「今日は無口だな」
「今日は、……両親の命日なんです」
「そうか」
そう言って、ジンノ大佐は深くタバコを吸う。
「いずれ医師免許を取れたと報告するつもりだったんですが、叶いませんでした」
「叶ってるさ。医師免許はただの形だけだ。その前からハルト軍医はお前が医者になると分かっていただろ」
「形ですか。確かにそうかもしれませんね」
「見てみろ」
そう言って、タバコを持った手で棚を指した。
そこにはジンノ大佐が授与された勲章がいくつも無造作に重ねられている。
「あれも形だけだ。もらう前も、もらった後も、ただ名前の前か後ろに余計なモノが付くかどうかの違いだけだ」
「勲章、付けないですもんね」
「付けて何になる。付けようが付けまいが俺は俺だ」
ジンノ大佐らしい。
名誉が欲しい兵士達は喉から手が出る程欲しがるだろう。
実力が無くてもあの勲章を胸に付けておけば、それだけで自分のレベルが変わったと勘違いする。
不思議なものだ。
「確かに、俺が医者になるかどうか、もう先に両親は分かっていたでしょうね」
「ハルト軍医は俺の息子は世界一立派な医者になると自慢していたぞ」
「え、それは何歳の時ですか?」
「まだ俺もお前も十代の頃だ」
「ははは、気が早いですね」
世間では暴言を吐かれていた両親の話を、こんなに穏やかにできる日が来るとは思わなかった。
「1回聞いた事がある。なんでそんなの分かるんだよって」
「なんて言ってました?」
「うちの息子は俺が大好きだからだ、だとさ」
「……っ」
ヤバいな。
感傷に浸りすぎてしまう。
タバコを灰皿に押しつけ、火を消す。
「自室に戻りますね」
この後、ジンノ大佐は情報を集める仕事をする。
それが毎日の習慣だった。
俺は退散しよう。
「いや、ちょっと待ってくれ」
「どうしました?」
「もうすぐ客が来る」
客?
トーレスでも来るのか?
ジンノ大佐は戸棚からワインのボトルを出してきた。
「それ、本物のワインですか?」
「そうだ」
「アルコール禁止では?」
「今日だけな。今日だけ特別に許してる客が来る」
???
ますます分からない。
「お前も飲むか? 上物だぞ」
「いえ、アルコールは遠慮します」
そんなに酒は得意じゃ無い。
今手に持っているコーヒーで充分だ。
「じゃあ、グラスは二つだな」
そう言ってガラスのコップを二つ用意する。
ワインを飲む事なんて無いのでワイングラスなんて洒落たものは置いていないんだろう。
しばらくして廊下に足音、そしてドアにノック。
「いいぞ、入れ」
入ってきたのは。
「ぃやっほーーーーーーーーーう!!」
!?!?!!?
な、なんだコイツは!
ピンクのアフロ、縁が黄色のサングラス、剛毛な髭、ピチピチの派手なシャツとその間からはみ出す胸毛、革ジャン、ピチピチのジーパンのデカい男。
な、なんだコイツ。
なんだコイツ。
なんだこの生き物は。
それを見て苦笑いしながらジンノ大佐が言う。
「おい、変装ってのは地味にするもんだ」
「変装できる貴重な機会に地味にしちゃあ勿体ねぇよ、派手な方が誰も近寄ってこないしなぁ」
「その声と髭……」
「そう、キラだよ、マリアちゃん! マリアちゃんいるだろうと思って張り切ったぜ!」
!?!?
ダメだ、状況が全然把握できない。
「あの……、これから、何が始まるんです……?」
「そう怯えるな。ちょっとした宴会だ」
「宴会……!?」
宴会って何だっけ?
何人か集まって、酒飲んで盛り上がるアレ、の事だよな?
「大佐、今年は何入ってる?」
「ほら、シャトー・ロマネスクだ」
「いいね!」
バシッと両手を腰に当てて、ビシッとジンノ大佐を指さす。
そして懐からチーズやらナッツやらサラミなどのツマミを出してくる。
どこから持ってきたんだ……。
ジンノ大佐はソムリエナイフを器用に使い、ワインを開ける。
「無茶な飲み方をするなよ」
「分かってる、分かってるって」
グラスに注がれた赤い液体の香りをキラは胸一杯に吸い込む。
「そう、コレコレ、この芳醇な香り。恋の香りだ」
キラがちょっと変わってるのは知っていたけど、今日は異世界レベルじゃないか?
「あの、聞きたい事は山ほどあるんですが、この流れで間違いは無いんですか?」
「年に一回だけな。まぁ、大目に見てくれ」
大目に見て許される領域なのか。
「はーい、みんな乾杯!」
キラは強引にコップ二つとマグカップをゴツンとぶつける。
「マリアちゃんは飲まないの?」
「遠慮するよ……」
もうこの場を遠慮したいよ。
「さて、飲むぜーーー!!」
と同時に、キラはコップに入っていたワインを一気飲みする。
それを呆れたようにジンノ大佐が眺める。
「いきなり煽りすぎだ。もっと味わって飲め」
「大佐もマリアちゃんも堅すぎるよ! 今日は俺にとっちゃ特別な日なんだぜ!」
「まぁ、そういう事にしておこうか」
ジンノ大佐は少しずつワインを含みながら、それでも美味しそうに味わっていた。
「特別な日って、もしかしてキラの誕生日とか?」
「ノンノン、今日は愛するアンジ-ちゃんが本物の天使になった日なんだぜ!」
もう何が何だか。
アンジーって、いつも出してくる何かのキャラの事だよな。
それがなぜこうなるのかが全く理解できないんだが。
ワインをがぶ飲みしながら、持ってきたツマミを豪快に食べるキラ。
相変わらず野獣だ。
「マリアちゃんもいる事だし、今年は最高!」
「へ、へぇ……」
なんだかもう、キラが危険人物にしか見えない。
しばらくしてキラに酔いが回ってきた頃、じりじりと俺に近づいてきた。
「やっぱりマリアちゃんはアンジーちゃんにそっくりなんだよな! 好きになって良いかな」
「お、おい、止めろよ酔っ払い」
今まで冗談かと思っていたけど、もしかしてコイツ、二次三次も男も女も見境無し?
同性愛者に偏見はないけど、でも、俺の身の危険を感じるのはおかしくないよな。
「ジンノ大佐……、これは放置していいのでしょうか……」
「仕方ない。これを条件に砦兵になってもらったからな」
「こ、この状況が仕方ないと思える説明を……」
「あー、もう、マリアちゃん、可愛い!」
そう言って、キラが抱きついてきた。
「ひぃっ!!」
一応、一応言っておくけど、俺は女性が好きだ。
そりゃあ恋愛経験は少ないけど、男にそんな感情を抱いたことは無い。
好きになったのはみんな女の子だ。
硬直する俺の顔に、何やら生ぬるく分厚い湿ったものが押しつけられる。
頬、唇の近く、耳、首筋、全身に鳥肌が立つ。
「アンジー、俺のアンジーちゃん」
俺はアンジーちゃんじゃねぇよ!
何なんだよ、そのアンジーってキャラは!
「じじじ、ジンノ大佐……。俺は今一体、どういう状況になっているのでしょうか……」
「説明はできるが、それを聞く覚悟があるのか?」
「……いえ、やっぱりいいです……」
本当に怖い時、逃げるよりも硬直してしまうものなんだな。
今すぐキラを突き飛ばして正気に戻せるものならしたいけど、なにより気持ち悪さと恐怖で動けない。
「た、助けてくれませんか……」
「無理だ。そんなに長くない、耐えろ」
えええええええええええ!!!!!!
客が来ると言われた時にさっさと自室に行けば良かった。
持ってるマグカップを落とさないようにする事だけに集中して、自分に起こっているだろう事を意識の外へ追いやる。
一方、ジンノ大佐は軽くチーズをつまみながら、ワインを少しずつ飲んでいた。
どういう事だ。
なぜジンノ大佐は仲裁に入ってくれないんだ。
それどころか、デスクに座り、いつもの情報収集を始めた。
いやいやいや、先にこの状況をなんとかするのが先じゃね!?
数分、拷問に耐えていると、キラの髭ジョリジョリがだんだんと力無くなってきた。
そして、うわごとを言いながらソファに倒れ込んだ。
やっと、解放されたのか。
とんでもない気分だよ、俺が何をしたって言うんだ。
早く顔を洗いたい。
程なく、キラは寝息を立て始めた。
酒は飲むが、そんなに強くは無いんだろう。
ワインも残っている。
「あ、あの、説明を求めてもいいでしょうか」
デスクでいつものように情報を閲覧している大佐に向けて言った。
いつもいつも俺って、ジンノ大佐に説明を求めてる気がする。
「お前の母親の名前、言ってみろ」
「アンジェリカ。アンンジェ……、ア、アンジー……? もしかして」
「マリア、お前はアンジェリカ看護師の血を濃く引いているな。とてもよく似ている」
「そ、れは、昔からよく言われてましたけども」
「なら分かるだろう」
「え、いやでも、二人共ケルン島で亡くなって……」
「その通りだ。元々キラはケルン島に送られた使い捨て兵士だったんだ。借金の保証人になって、借りた本人は逃亡。人手の足りないケルン島は訳あり人間しか派遣されなかったからな」
「あの島に、キラが……」
「何があったのか想像するしかないが、キラはアンジェリカ看護師に恋をしていたんだろうな。毎日兵士が来ては死んでいく戦場でアンジェリカ看護師はいつも通り献身的に世話をしていただろうから。裏切られた経験と激戦の疲労の中、キラにとってアンジーは心の拠り所だったんだろう」
「そう言えば、キラが言っていたアンジーのヒーローって……」
「ハルト軍医の事だろうな」
「ああ確かに、自分には手が届かないとか言ってましたね」
「そうだ。でも、気持ちは抑えられるものではないからな。ずっと慕って見ていたんだろう。でも結局ケルン島の大襲撃でアンジェリカ看護師も含めてほぼ全滅。生き残ったキラは見ていられなかった状態と聞いている。一晩中慟哭しつづけて、自分の髪を毟っていたそうだ」
「……」
ここにも、俺の両親の死を悲しんでいる人がいたのか……。
「ケルン島は陥落し、撤退命令が出てもキラは戻らず目に入る敵は皆殺ししていた。あの狂った兵士を何とかしてくれと依頼が来て、それで行ってみた」
「まさに狂戦士、ですね……」
「キラを始めて見た時は、自分を殺してくれる人間を探してるようにしか見えなかった。石だけ置いた墓標の前で吠えていたよ。野生動物を飼い馴らすみたいな日々だったな。最後はアンジーの命日だけは自由にさせてくれと、その条件で引き受けてくれた」
「その、アンジーが俺の母親だっていうのは知っているのですか?」
「直接言った事はないが、うすうす気づいているだろうな。ただ、まだキラの中ではあの時の事はケリがついてない。経験は毒にもなるし、糧にもなる。一生モノのな。今はキラにとって毒の部分が多いだろうが、糧となった時、やっと解放されるのかもな」
「毒を糧に、ですか」
「今、キラにとって毒となっているものが、少しずつ糧になりつつある。キラの立ち直れる自力を信じようと思っている」
「それは、その、俺も何かした方が……?」
俺としてはちょっと気持ち悪い、なんて言ったら失礼なのかもしれないが、その、……うん、どう言ったものか。
「今のままでいいんじゃないか。お前が来てからキラも笑っている時間が増えた。お前を守るっていつも言ってるじゃないか」
「そうですね……」
もし、俺がキラにもっと寄り添っ……。
そこまで思ってまた鳥肌が立つ。
うん、今のままでいよう。
「それで、熟睡してるこの派手な酔っ払いはどうするんですか?」
「できたら担いでつれて帰って欲しい、が、……無理だろうな」
「……う」
非力なのは分かってる。
分かってるから哀れんだ目で見ないで欲しいです……。
「二人で引きずっていくか」
「……はい、あ、その前に顔を洗いたいです……」
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