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コーヒーの香り
ジンノ大佐から戦争の真相を聞いた次の日。
午前中は執務室で過ごしていた。
戦争が終わると喜んでいる砦兵達には申し訳ないが、その騒ぎの中にいるのが後ろめたかった。
「いいのか。砦兵達といられるのは、もしかしたら長くないのかもしれないぞ」
「そうですが、今は同じノリでいられる自信がありません」
「はは、お前はいつも真面目だな」
そんなに真面目真面目言われても、俺にとってはこれが普通なんだ。
今の心境で馬鹿騒ぎできる程メンタルは強くない。
その時、執務室をノックする音が聞こえた。
誰だろう?
数日前にキラの襲来があってから、この突然のノックは心臓に悪い。
「今日は比較的安全な人間が来るから怯えるな」
やっぱり怯えているように見えるのか。
怯えてるけど。
「大佐ー、今日は俺ここに来てもいいんだよね」
その声はヒロだった。
「いいぞ、入ってこい」
ゆっくりと入ってきたヒロは片手に紙袋を持って堂々と入ってくるなりソファにどっかりと座った。
「大佐ー、会議の空気が重すぎるよー。これからほとんど毎日通わなきゃならないみたいだし」
「それは本当に申し訳無い」
「ああ。今すぐ愛する娘に癒されたい」
そう言って、ソファにうつ伏せに寝転がった。
「本部に行く時は顔出しているはずじゃなかったか」
「出してるよ。でも、この子の未来がどうなるのか考えると見てて辛くてさ。早く帰ってきちゃったよ」
愛する家族がいる。
世界がどう動くのかで子供の未来も変わってしまう不安は拭えないだろう。
「コーヒー入れようか」
そう聞くと、ヒロは持ってきた紙袋をガサガサし始めた。
「あ、いいよ。持ってきたから俺に作らせて」
「もしかしてその袋って」
「そうそう、高級コーヒー豆入手したから、たまには本物の味ってのを味あわせてやるよ。大佐、ミルはある?」
「一応あるぞ。手動式で時間がかかる」
「いいじゃん、それ一番いい。どこ?」
ジンノ大佐は戸棚の中から、手でハンドルを回して豆を挽くミルを出してきた。
「思ってたよりいいミルではないですか大佐。ちょっと残ってる粉落とすから時間ちょうだい」
そう言って手動式ミルの掃除を始めた。
「お前はそういう嗜好品の扱いが好きだな」
「まーね。これでも子供の頃の夢はカフェを開く事だったんだよ」
「初耳だな」
「だよねー。戦時中にカフェ開きたいなんて言えないもん」
「戦争は終わると思うか?」
「……簡単に終わる位なら大佐なんてほったらかして家に帰りますよ」
「お前がいてくれないと困る」
「知ってるー。担当してた戦場やっと引き上げて嫁といちゃラブしてる時に大佐が強引にここに連れてきたの知ってるー」
「それは、本当に悪かったよ。砦兵のまとめ役はヒロしか思いつかなくてな」
そうだったのか。
それは、……何というか、お気の毒に。
「でも、命の危険を感じずに、たまに家族にも会いに行ける職場って、悪く無いとも思ってるよ」
「娘は何歳になったんだ?」
「2歳。俺の子だけあって将来美少女が約束されている可愛さだよ。年頃になったら絶対大佐には合わせたくない」
「本っ当に、親バカだな」
そう言って、ジンノ大佐は嬉しそうに笑った。
すかさずヒロが返す。
「親バカが親バカを笑う」
同じ事思った。
ヒロと目が合って、お互い吹き出す。
「何だそれは」
「いえいえ、何でも。それよりこれからヒロ様特製のコーヒー作るからね。ドリッパーある? コーヒーメーカーも悪くないけど、俺は断然ハンドドリップだな」
「あるにはあるが、違いがあるのか?」
「もちろん! 飲み比べして欲しい位だけど、両方でやるのはちょっと豆が勿体ないかな。あ、そうそう、マリアの紅茶も美味しかったよ」
「それはちょっと自信ある。医局で少しでも不味い紅茶を出すとすぐ捨てられたから」
「入れてもらって文句言うなら、自分で入れろってな」
「そんな事が言える立場じゃなかったよ」
「そっか。それで紅茶入れるスキルが上がるなら、悪い事じゃなかったよ、きっとね」
いい奴だ、ヒロって。
何度思ったか分からない。
持ってきた注ぎ口の細い電気ケトルで湯を沸かし始める。
コーヒーミルでゆっくりと豆を攪拌していく。
それだけで部屋中がコーヒーの香りで満たされて行く。
その香りを嗅いで、ジンノ大佐は驚いた様に言う。
「いい香りだ」
「二人のタバコの臭いが無ければもっと良い香りになってますけどね」
はい、返す言葉もございません。
沸騰したお湯を少し置いて、ドリッパーにセットされたフィルターに湯通しする。
そこに挽いたばかりのコーヒーの粉を入れる。
そこに湯を注ぐと、コーヒー豆がぶわーっと膨らんできた。
「新鮮さも文句無し」
新鮮なコーヒー豆は膨らむのか。
覚えておこう。
1分ほど蒸らして、円を描くように細い口のケトルからお湯を注いでいった。
さらに香りが広がる。
「ミル、豆、入れ方、どれでこんなに香りが強くなるんだ?」
「全部。大佐達が飲んでるコーヒーと比べちゃダメだよ」
必要な量が抽出されると、フィルターにはまだお湯が貯まっているのにもかかわらず、それを捨てた。
「勿体ない」
「勿体なくないよ。最期まで出し切るとエグみが出てくるからね」
へぇ、よく勉強してるんだな。
それぞれ湯を張って温めていたコーヒーカップに注ぐ。
いつも使っているマグカップと違うのもこだわりの一つか。
「さ、どうぞ。召し上がれ」
そう言って、ヒロはコーヒーカップを三人の前に置いた。
どれだけ違うものなのか、一口口に含んだ。
「え、めちゃくちゃ旨い! 香りも風味も後味も全然違う! 今まで飲んできたコーヒーで一番美味しいかも」
「だろ? 大佐の感想はどうよ?」
「確かに旨いな。でも時間と手間がかかりすぎだ」
「へーへー、素直に美味しいって言えばいいのに」
「……旨いよ」
「よく言えましたー。じゃあ、ご褒美にこれもあげちゃう」
そう言うと、今度は袋の中からクッキーの箱が出てきた。
「リリーのクッキーじゃないか。よく買えたな」
嬉しそうにジンノ大佐自身が箱を開ける。
「リリーのクッキー?」
「もしかしてマリア知らない? 結構有名なブランド菓子だと思ってたのにな」
「そうなんだ」
クッキーに手を出そうとしたが、既に数枚ジンノ大佐がほおばっていた。
「……」
俺、手を出して良いのか。
躊躇する俺にヒロが言う。
「ほっとくと大佐が全部食べちゃうから、奪い取ってでも食べた方が良いよ」
「でも……」
子供みたいに美味しそうにクッキーを食べるジンノ大佐から奪うのは気が引ける。
何より、こんなに童心に返っているジンノ大佐にびっくりしている。
「リリーのクッキーに大佐は目が無いからね。可愛いでしょ」
するとムッとしたようにジンノ大佐が反論する。
「旨いものを旨いといって何が悪い。これは可愛いとは言わないぞ」
「はいはい」
ヒロはニヤニヤと嬉しそうにジンノ大佐を見る。
ヒロとだけはジンノ大佐との上下関係がいつも逆転している。
「ヒロはジンノ大佐の事よく知ってるよな」
「付き合いは長いからね。最初はあんな悪ガキが大佐になるなんて思ってなかったよ」
そう言いながらクスクス笑う。
「たまにそれ聞くけど、そんなにジンノ大佐って悪ガキだったのか?」
「そりゃもう、森を罠だらけにして、怒られたら隊長に頭突き食らわすし、勝手に食料庫に住み着くし、無断外泊するわ喧嘩するわ、可愛い女の子見かければすぐ……」
「おい! その辺で止めてくれ」
「俺に説教されながら二日酔いでゲロった事もあったねー」
「こら! 威厳が無くなるだろ」
「威厳? 威厳なんて最初からあった? マリアどうよ?」
「一応、威厳ある上官だと思ってたけど……」
「ほら見ろ、過去形になったじゃないか」
「えー、事実でしょー」
どんどんジンノ大佐のイメージが変わっていくよ。
昔はヒロに説教されてたんだ。
あ、それは今もか。
「でもなぜそんな悪ガキが大佐までこんなに早くなったんでしょう?」
「知らん、次悪ガキと言ったらその場スクワット300回な」
「え、俺死ぬと思います」
ヒロは腕組みしながら説明を始める。
「これこそ適材適所なんだよ。大佐ってそんな悪ガキなのに守るものが多くなればなるほどしっかりしていっちゃうし、その度に何か成果上げて昇進してくんだよなー」
「本当はヒロの方がリーダーに向いてるんどけどな」
「いやいや、俺は守りに入っちゃうからそういうのダメ、無理」
なるほどな。
ヒロは奥さんも子供もいるし、意外と堅実だもんな。
じゃあ、ジンノ大佐は……。
「ジンノ大佐が居なくなったら悲しむ人はいっぱいいますよ。だから、1人だけで命張るのは止めてください」
「マリアは考えすぎだ」
「そうかな。俺はかなり近いところ突いてると思うけど」
ヒロは自分の入れたコーヒーを美味しそうに飲みながら言った。
「自分も大事にして欲しいって思います。ジンノ大佐がみんなを思ってるくらい、みんなもジンノ大佐が大事なんですよ」
「大袈裟だな」
「あ、大佐の持つもう1つの才能あったわ」
ヒロが言う。
「何だ」
「人たらし」
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