同じ目

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 例えば夏休み。  夏休みに入る日は決まっていて、終わる日も決まっている。  その間にどこへ行こうか、どんな遊びをしようか、いつ宿題をしようか、そんな事を考える。  終戦が決まっている今、それまでの時間をどう充実させようかと考えるのと似ている、と思った。  まだ続くと思っていた夏休みにが急に終わりを告げる事もあると考えずに。  シュバリアとの同盟締結をするかの期限まであと1週間。  執務室から見える空はとても青かった。    「何か見えるのか」  ソファに横になって、イーグルを胸に乗せて、眠そうな顔をしたジンノ大佐が聞いてきた。  「空が見えますよ」  「そりゃそうだ」  この青い空に平和を感じる日は来るのだろうか。  残り少ないジンノ大佐のいる日々に、この空を見てもいつか訪れる不安で曇ってしまいそうだと思った。  ドアが開いて、ヒロが入ってくる。  最早ノックなどしなくなっていた。  「ただいまー」  「今日は早いじゃないか。会議はどうなった?」  首だけ起こしてジンノ大佐が聞く。  「なーんにも進展無し。政府側はシュバリアを怖がってるし、軍事側はドゥマーナを怖がっての平行線だよ」  「そんな腰抜けばかりで同盟締結の可否なんぞ決められるのか。あと一週間だぞ」  「大佐が行かなくて良かったと思った」  「何でだ?」  「大佐がいたらイライラしてマシンガンでも撃ち始めそうだなと思って」  「さすがにそこまで物騒なマネはしないぞ」  「それだけぐだぐだって事ですー。はい、大佐の大好きなお土産」  そう言ってヒロはテーブルに紙袋を置いた。  金色のユリの形のロゴが付いているこの袋は最近よく見かける。  「よし、マリア、コーヒー入れてくれ」  「はいはい、分かりましたよ」  最近はヒロが日に日に疲労していって、少し前なら喜んでコーヒーを入れていたのが、今は大佐と同じようにソファに寝転がっている事が多い。  よって、コーヒー担当は俺になっている。  確か初めて執務室に来た時は飲みたい方が入れようって、ジンノ大佐言ってなかったっけ?  うまいこと丸め込まれている感が否めない。  コーヒーを落としている間、死んだようにうつ伏せになっているヒロと嬉しそうに袋を開けるジンノ大佐を眺める。  この光景も最近よく見るな。  ふと、ソファに置かれたイーグルが光っているのが目に入った。  「ジンノ大佐、それ連絡が来てませんか?」  「何?」  慌ててイーグルを手に取り、少し眺めた後、片耳に通信端末を掛けた。  「トーレス? トーレス!」  トーレスから連絡が来たのか。  嫌な緊張感に襲われる。  寝ていたヒロも顔を上げる。  「トーレス、ニアー、キヌニアー!」  ディ・アーナ民の言葉は分からない。  ただ、今までに無くジンノ大佐が焦っているのが分かった。  「シーア、リ、シー?」  ジンノ大佐もディ・アーナ民の言葉が全部分かる訳ではないのだろう。  何度も同じ言葉をかけて、返事に聞き入っている。  「シアラマー、ジュエヴ、フィリアール、トーレス……」  最後にそう言って、通信を切った。  「何の連絡だったんですか?」  「…………」  ジンノ大佐はしばらく無言で考えて、そして言った。  「桂枝加芍薬大黄湯」  「え?」  「マリア、お前の暗号は毎回言葉が難しすぎる」  そうだ、今日は俺が暗号担当で、漢方で攻めてみたんだった。  まさか使う事になるなんて。  「ヒロ、聞こえたな。弾は演習弾を入れておけ。実弾も使うかも知れないからそれも忘れるな」  「大佐、何が起きたの? タールが来たの?」  「タール兵が一人、ここに向かっている」  「一人?」  ヒロと俺の返事が被る。  「トーレスは、島を追い出された時の自分達と同じ目をした人が来たと言っていた。どうしても攻撃できないと」  「同じ目って、どういう……?」  「全てを失った目、って事だろう。その辺りはうまく聞き取れなかった」  「それで、どんな返事をしたんですか?」  「ディ・アーナ民は全員地下シェルタ-へ、何があっても出てこないように伝えた」  「一人だけでしょう? なぜそんな警戒態勢に?」    「一人だけだから怖いんだ」  「見つけたら撃てば終わりでしょー」  ヒロが言うと、ジンノ大佐は何も言わずに考え込む。  その姿を見て、俺に何かを伺ってくるような視線を送ってきた。  ジンノ大佐はそのタール兵に自分も投影しているのかもしれない。  全てを失って、それでも一人敵の領地ど真ん中へ来る程の強い思いを持つ兵士。  ジンノ大佐らしいと言えばそうなんだけども。  「ジンノ大佐はそのタール兵の言葉を聞きたいんですか?」  「……そうだ」  絞り出すようにジンノ大佐はそう言った。  「マリアいいよ。今までも何回もこういうのあったから、実は結構慣れてる。今回もお付き合いしますよ、大佐」   「……済まない……」  ヒロはやれやれといったポーズをして立ち上がる。  「俺達は指示に従うのみですよ」  「配置に付いたら絶対に表に出てくるな、いいな、誰に何があってもだ」  「了解」  そう言ってヒロは執務室を出て行った。  とその時に小声で「大佐から目を離さないでね」と耳打ちされた。  ヒロが出て行ってもまだ、ジンノ大佐は何かを考え込むように俯いている。  「ジンノ大佐、俺も行きます」    「いや、俺一人で行く。お前は付いてくるな」  「それは……」  さっき耳打ちされたヒロの言葉が気になる。  「それは拒否します。俺も行きます」  「死ぬ覚悟があるのか」    「ありませんよ。でも、自分だけ危ない目に遭えば何とかなると思っていませんか?」  「そのつもりは無い。砦兵も充分に待機させている」  「なら、俺も行って大丈夫という事でしょう?」  そこまで言うと、ジンノ大佐は机に両腕をついていた内側に一度顔を埋めて言った。  「分かった。敵が来るまで二人で砦入り口で待機だ」  砦入り口。  ここは3年前に襲撃を受けた時のままになっている。  以前は兵士がここを拠点に毎日何十人、何百人と出入りしていたのだろう。  カウンターや机、椅子、大きなロッカーなど、様々なものが壊れたままで散乱していた。  壁には焦げ跡と銃弾の跡、えぐれた板、穴の空いた床。  「躓いて転ぶなよ」  そう言いながら、ジンノ大佐はするすると残骸を避けて大きなドアの前に立った。  俺は転がっている破壊された椅子を手で避け、まだ使えそうなものを二つ持ってジンノ大佐の所まで行った。  「どれくらいで来るのでしょうね」  「さあな、トーレスは落ち着いて話ができる状態じゃなかった。すぐにでも来るかも知れないし、しばらく待つ事になるかもしれない」  「武器は持ってきていないんですか?」  聞くと、懐からハンドガンを出して見せ、すぐにコートの中に戻した。  「それだけですか?」  「これだけだ。デカい武器をもって刺激する必要は無い」  俺は向かい合わせに椅子を置いて、片方に座った。  「ジンノ大佐も座ってください。これも持ってきました」  そう言って、執務室から来るときに持ってきたタバコとライターを手渡す。  「意外と手癖が悪いな」  「余裕を持ってる所を見せようかと」  「ははは、そうだな。頼りになる軍医だ」  そう言って、タバコに火を付ける。  火に風が当たらないように片手で覆うその姿はいつも通り落ち着いている。  ヒロは今までも何回も同じような事があって慣れていると言っていたけれど、ジンノ大佐も慣れているのだろうか。    「慣れてないぞ」  「えっ」  不意にそう言われて、口元を押さえる。  思っただけで慣れてるのか聞いてはいなかったよな。    「そんな事を考えてそうだと思ってな」  「あ、顔に出てたってアレですね……」  「敵の顔が見えている交渉事や対人戦はむしろ苦手だ」  スナイパーばかりの集団を作ったのも、もしかしたらそういう意図もあったのかもしれない。  人の顔が見えると、その人の背景まで見えてしまうような気がするから。  「それでもタール兵と話がしたかったんですね」  「マリアまで巻き込むつもりは無かった」  「今は俺がジンノ大佐の監視係なので。ジンノ大佐はこれから来るタール兵を殺したくないんですね」  「……そうなのかもな。でも、それも正直分からん。ただ話を聞きたいのか、同じ覚悟で向かい合いたいのか」  「今までも何度か同じような事があったみたいですけど、やっぱり同じ理由ですか?」  「本当は楽にしてやるのが一番なのかもしれないと思う事もある。それでも、訴えたい事があるなら聞きたいと思う。敵であっても」  敵であっても、か。  敵であっても助けようとした、俺の父親とジンノ大佐がダブって見える。  「マリア、もし何があっても砦兵達の命を最優先してくれ」  「何がって、何でしょう?」  「もし、想定外の事が起きたら、全員撤退して地下へ逃げ込ませても構わない」  「……俺は、戦場で立ってる事しかできませんから、ジンノ大佐が指示してください」  「嘘つけ。もう一通りの指示は出せるはずだ」  「たった今、全部忘れました」  そう言うと、ジンノ大佐は困ったようにタバコを持った手を額に当てて煙を吐き出すと、俺を見た。  「俺が死んだらとか、そういう意味じゃない。今そう思っていただろ。勝手に殺すな」  言われて、そう思っていた事に気づいて、思わず笑ってしまった。    「ははは、確かにそうでした。すみません」  「そう簡単に死なないと言っただろ。安心しろ」  「そうでした。約束ですよ」  「ああ」  それから静かな時間がしばらく流れた。  特に会話も無く、ただ黙って外の様子を伺っていた。  そして。  「来た」  気配を感じたジンノ大佐が立ち上がる。  広い砦前の先、木の葉が揺れ、その中から銃を持ったタール兵が出てきた。  砦前の広さに少し戸惑いを見せ、そのまま真っ直ぐに歩いてくる。  ちょうど真ん中辺りに来た頃に意を決したように声を挙げる。  「砦の亡霊!! 出てこい!!」  その声を聞いて、ジンノ大佐が外へ歩き出す。  その後ろを俺も付いて行く。  ジンノ大佐に気づくと、タール兵はこちらに銃を向けた。  いつもの俺ならビビって逃げてしまいそうな所だが、そのタール兵を見てそんな事はできないと思った。  トーレスが言っていた同じ目をしている人間、と言っていた意味。  ギラギラと野生の様に殺意に満ちて、でも必死に訴えたいものを秘めている目。  殺意と憤りと悲しみと、もっと深い傷を負って、自分でも制御できない激しい衝動の強訴。  その怒りをぶちまけないと銃を撃つこともできないのだと、そんな意思を持った目だった。  タール兵を前に、ジンノ大佐は両手を軽く上げて武器を持っていないアピールをしながら歩いて行った。  今日は桂枝加芍薬大黄湯などという暗号にしてしまったが、この内容は合図があるまで攻撃を待てという意味を含んでいる。  ジンノ大佐の合図があるまで待て。  タール兵は銃を下ろさずに、また声を上げる。  「お前達は生きているのか! それとも本物の亡霊なのか!!」  ジンノ大佐は上げていた手を下ろし、コートのポケットに突っ込む。  タール兵との距離は約10メートルほどになっていた。  「二人とも生きている」  そうジンノ大佐が言うと、タール兵は銃の照準をジンノ大佐から俺へ、そしてまたジンノ大佐へと移動させた。  「俺はこの戦争で何もかも失った! 家族も、友人も、共に戦っていた仲間も! 中隊を組んでいた仲間も一つ前の砦で全員殺された!」  砦全体に響くような大きな叫びだ。  砦兵達にも聞こえているだろう。  「大切なものを、一つ一つ目の前で潰されていって、何度も何度も、何度も何度も頭がおかしくなりそうな程奈落の絶望に突き落とされた! その気持ちが分かるか!?」  「……」  「聞こえているのか! お前達は戦争をしているんじゃない! ただの一方的な殺戮だ!! 今ここで俺を殺しても永久に地獄を彷徨う事になる!!」  一方的な殺戮か。  元々戦争なんてどれも一方的な殺戮だ。  どんな理由であれ、人の命の数を争っているのに違いは無い。  「俺も殺すんだろう!? 恨んで戦ってまた仲間が殺されて、また恨んで戦ってまた殺されていく! お前達がしたいのはそういう事なんだろ!?」  「違うと言っても、聞かないのだろう」  冷静に、ジンノ大佐はそう言った。  「教えろ!! なぜ、なぜ!? なぜみんな殺されなければならなかったんだ!」  構えていた銃はそのまま、涙を流し始めた。  「俺だけ残して、なぜみんな殺したんだ!!」  手負いの野性獣のような目から、幾筋もの涙が頬を伝う。  「殺してほしいのか?」   ジンノ大佐がそう言うと、はっとしたようにタール兵は銃を構え直す。  「お前達に何が分かる! 人の命を簡単に奪う側が、奪われる側の人間の気持ちが分かるのか!!」  少し間を置いて、ジンノ大佐が話し始める。  「分かると言った所で、あなたの気持ちは変わらない」  いつもお前とか貴様とか言っていたジンノ大佐がタール兵をあなたと呼んでいる事で、敬意を払っているのが分かる。  「だが、ここに来た理由は分かる。亡くなった人達の気持ちを全部自分一人でここまで背負ってきたのだな。とてつもなく重いものだ」  「分かったような口を聞くな! ここまで攻撃をしてこなかったのは俺への情けか!? 馬鹿にするのも大概にしろ!」  「情けではない。それだけいろいろ背負っているなら、全部下ろしてからまた来れば良い」  「止めろ! 俺がどんな覚悟でここに来たと思っているんだ!」  「殺される覚悟で来た。そう思っている」  「分かっているなら……」  タール兵はそう言って、構えていた銃先を地面に付けて、それを伝ってずるずると座り込んだ。  「……殺してくれ」  そして、嗚咽混じりに泣き始めた。  「俺は、誰も助けられなかった……。ただ死んでいくのを見ていくしかできなかった……。友に、家族に、何を伝えて欲しいなんて言葉を聞き過ぎて、もう、限界なんだ……。殺してくれ……」  そのままタール兵はその場で声を上げて泣き続けた。  ジンノ大佐の懐にはハンドガンがある。  もし本当に殺すつもりなら、今すぐ取り出して撃てば済む。  でも、何も言わず、懺悔をするかのように自分も泣き出しそうな表情でタール兵を見ている。  俺自身もこのタール兵には生きて欲しいと思った。  どれほどの死とその思いを見てきたのか。背負ってきたのか。  生きるのも辛い程の重圧となって、壊れる刹那で必死に耐えている。  そんな相手に銃を向けられるものか。    願わくば、このまま故郷に帰り、背負っているものを少しでも軽くして欲しい。  また戦争が始まっても、とにかく生きて、小さくてもいいから幸せを感じる人生を歩んで欲しい。    こんなのは戦争で勝利が決まっている人間の驕りかもしれない。  今までたくさんの命を奪ってきたタール兵相手に口に出すのも憚られる。  だからきっと、ジンノ大佐も俺も、何も言えなかった。  しばらくして、タール兵からカチッとスイッチの様な音が聞こえた。  「俺はシュバリアの監視が付いている。あんた達逃げろ」  徐に顔を上げて、タール兵は言った。  その様子を見てジンノ大佐は俺を覆うようにタール兵の間に入る。  「マリア伏せろ!!」  その時。  ドン!!!  大きな音と共に、タール兵が爆発した。  !!!!!!  その爆発で、俺はジンノ大佐と共に数メートル吹き飛んだ。  「……っ!!」  地面に叩きつけられる衝撃。  目の前がくらくらするような頭の痛みと全身の痛み。  意識が遠くなりそうなショックの中、やっと目を開ける。  開けたとき目に入ったのは、俺に覆い被さっている血まみれのジンノ大佐だった。
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