クロウ

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クロウ

 朝食が終わった頃、食堂にジンノ大佐が入ってきた。  「大佐、おはよーーー」  あちこちから〝おはよう〟とか〝飯食った?〟とか聞こえてくる。  ダメだ、慣れない。  大佐になれなれしく飯食った? なんて言えねーよ!  「おはよう。朝食は済ませてある」  そう言いながら、俺の前に来て小型の黒い物体を渡してきた。  握れる位の大きさで、ただ真っ黒の何か。  「マリア、お前の分だ」  これが、昨夜ヒロの言っていたクロウか。  ただの艶消しした黒い塊にしか見えないけども。  「これは暗号を受け取るクロウと言う。暗号は俺の持っているイーグルという端末から送る」  そう言って、手の平ほどの画面の付いたイーグルも診せてきた。  「指紋認証を登録する」  ジンノ大佐はイーグルで簡単な操作をする。  と、クロウの一部が鈍い緑の光を放った。  「どの指でもいい、指先をそこに当てろ」  「はい」  俺は人差し指でをそこに当てると、緑の光は消えていった。  もしかして、失敗?  「登録完了だ。それは肌身離さず持っておけ」  「え、今ので登録終わったんですか?」  「終わりだ。後で使い方を教える」  それだけ言うと、食堂の前へ移動した。  「ミーティングを始める。担当はアイナ」  「お、やっと担当来た!!」  嬉しそうにジンノ大佐の所まで駆け寄るアイナ。  俺と同じ女性名という事でシンパシーを感じていた人だ。  見た目は、うん、とても厳つい。  「今日の暗号、ちょっとひねり入れてあるから心しておけよ。無能な奴はメモ取ってもいいからな」  「メモは禁止だ」  「あー、だよねー」  「ここ数日、ずっと使いたかった数列がある。フィボナッチ数列だ。自然界に存在する神が作ったという文字列、それを暗号とからめる」  「待て、それは次回にしてくれ」  「えええええ!! 俺ずっと考えてたのに」  「それはまた次回頼む。今日はできるだけ単純な暗号にして欲しい」  「ちぇっ、分かったよ。じゃあ、奇数と偶数の逆配置でいい?」  「ああ」  「と、いう訳で、……奇数と偶数の逆配列になりました。説明は、いる?」  「いや、いらないな」  「くっそ、数日間寝ないで考えてきたのにっ、悔しいっ!!」  「フィボナッチ数列と暗号の絡め方にもっと工夫できる方法が見つかるかもしれないからな、あと3日くらい徹夜で考えてくれ」  「もう分かったよ。誰も分からないように複雑にすんぜ」  「みんなに理解できる範囲でな」  「はい、了解しましたよ」  「今日は敵が攻めてくる予定は無い。午前中は俺はマリアに砦の案内をする。午後からは演習だ。各自必要なものをそろえて13時には配置に待機、作戦は4と7を仮定する」  「了解!」  全員で言うと、兵士達は食堂を後にした。  俺とジンノ大佐だけが残される。  「もしかしてジンノ大佐、俺に気遣って簡単な暗号に変えたのでしょうか」  「そうだ」  ああ……。  アイナに申し分けない……。  「誤解するな。クロウの使い方も知らないのに暗号を複雑にして混乱されても困る。罪悪感でも感じるのなら、一刻も早く暗号を解読できるコツを習得する事だな」  はい、全くその通りですね……。  「昨日はあんな状態だったが、処置室は見たか?」  「いえ、申し訳ありません、まだ……」  「付いてこい」  そう言って、早歩きで食堂を出て行った。  足早いな。  追いつくだけで精一杯だ。  「ここが処置室だ」  ガラッとドアを開けると、俺は度肝を抜かれた。  「この設備……」  一言で言い現せるなら〝保健室〟  ベッドは3つ  薬らしきものが乗っているワゴンが一つ。  よく見てみれば、切り傷などに使うオキシドール。包帯が3個。  傷を抑える大型のバンドエイド。  薬は、頭痛薬、風邪薬、整腸剤などなど。  どう見ても軍事で使う処置室というよりも、小学校の保健室程度の設備。  この砦って命賭けてるんでしょ!?  こんなんじゃ、救える命も救えない。  「普段はこれで充分だ」  「あの、本気で言っています……?」  「本気だ」  「もし負傷した兵が出た場合、これでは間に合いません」  「普段はな」  そう言うと、天上にあるくぼみに長い針金をかけ、下に引くと階段とエレベーターのようにベッドが降りてきた。  「上るぞ」  促されて上の部屋に通されるて、息をのんだ。  今の医療で考えられる最高の設備がそこにあった。  もちろん、手術もできる一通りの道具、レントゲン、MRI、脳波の測定器、その他諸々。  戦場では絶対に持ち出せるものじゃない。  かなり名の知れた大学病院だけが所持できるものもある。  「ここは完全に隔離されている。外からは知られていないはずだ」  「す、すごいです……」」  圧倒されながらも、こんなにある医療器具を俺は使いこなす事ができるのだろうかと不安が押し寄せる。  しかも軍医は俺一人じゃないか。  「せっかくだが、この施設治療設備を使った事は今まで一度も無い。メンテナンスとバイタルチェックで場を使うだけだ」  「え……、一度も?」  「ああ。バイタルチェックがお前のメインの仕事だと思って欲しい。怪我人が出ない訳じゃ無いが、それよりも日々の兵士達のバイタルに異常がないか、それが主な仕事になる」  「そうですか……」  それって、俺必要?  全く使われてない最新医療機器を置いておくの勿体ないなぁ。  「では、今日渡したクロウに付いて説明する」  「はい、よろしくお願いします」  ジンノ大佐はイーグルを取り出すと、いくつかの操作をする。  クロウは、鈍く赤い光を放ってわずかに振動を起こした  「これが敵が攻めてくる合図だ」  こんな小さな振動で!?  「それでも数㎞は先にいる。その間に戦闘準備を整える」  「そんな先にいるのが分かるんですか?」  「ああ、それは手を回してある」  すげぇな。  どんな手回しでそんな事できるんだ?  「クロウを見てみろ」  「はい」  黒い物体をのぞき込む。  「光? 所々光ってます」  「もう少し観察してみろ」  クロウを見ると、一定の間隔で白い光があちこちに点灯している。  遠くに光る星みたいだな。  「これが作戦の1だ。今日の暗号では8に当たる」  「!?」  こんなの、言われなきゃ分かんねぇよ。  「次」  そう言ってジンノ大佐はイーグルを撫でる。  先ほどの光の点滅と……、違いが分からないんだが。  「もっとよく見ろ」  「……」  そんな事言われても分からないものは分からな……。  「あ、2点ほど点灯のままの場所がありますね」  「そうだ、これが作戦2。今日の暗号では7に当たる」  「は、はぁ……」  分かったのは一つ。  ジンノ大佐の操作で黒い塊は何種類かの光の点滅と点灯をする。  が、よく見ないと分からない。  分からないし、暗号の意味も正直ほぼ分からない。  つまり、よく分からない。  「クロウの信号は主に敵が来た合図と、各自が離れて潜伏している時の合図だ」  「そうですか……」  「行動で合図をする時もあるぞ」  「行動の合図、とは?」  「ライフルや銃を発砲するタイミングでの合図、歩き方、手の振り方、これは俺が行動で合図する分だが、兵士各自で判断する事もある。もし正確に伝わらなくてもほぼ間違う事は無い」  「えっ!? そんなの、えっ??」  「今まであちこちの戦場を経験してきた。その上でこの方法が一番安全だった」  頭が混乱してきた。  なんだそりゃ。  いくらなんでも無理があるだろ。  俺が狼狽えていると。ジンノ大佐はイーグルをコートにしまった。  「言葉だけ伝えても分からないだろう。午後には演習があるから、それを見てみるといい。処置室にモニターがあるからお前も解読しながら覚えてみるろ」  「俺もですか!?」  「当たり前だ。それを知っているかどうかでお前の仕事の効率も変わってくる」  そうか?  そうなのか?  全然繋がらねぇよ。  「演習で怪我人が出る事もある。処置室で備えておいてくれ」  「あ、はい、それならお役に立てるかと」  「あまり深く考え込むな。頭で考えてるより見て覚えろ。思っている程難しくないぞ」  「そう、ですか……」  「今日は砦正面で演習する。クロウを手元に置いてモニターと一緒に見ておくといい」  「……はい」  砦正面で演習って、そこ演習で使う場所なのかよ。
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