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30.新しい生活
マンションへは午後3時前に到着した。紗奈恵の荷物は先週の土曜日に搬入されていた。母親と午後1番の搬入に合わせてやってきて、整理をすませると午後6時には帰って行った。もともと彼女の荷物は多くなかった。家具や家電は僕のものを使うことにしていた。
だから荷物は紗奈恵の衣類や身の周りの物、布団、それに食器と調理器具だった。もともと僕がここへ引っ越ししてきてから日が浅かったので、収納スペースは十分に余裕があった。すべて難なく収まった。必要なものがあれば、買うか、紗奈恵の実家から送ってもらうことにしていた。
紗奈恵は到着するとすぐにスーツケースを開いて片付け始めた。それから洗濯を始めた。一人暮らしに楽なようにドラム式の乾燥機付きの洗濯機を買ってあった。これで紗奈恵の負担も少なくて済む。
僕はコーヒーメーカーでコーヒーを2杯作った。ソファーに座って二人で飲んだ。
「家事は君のペースでいいからね。僕にできることは何でもするから、遠慮しないで言ってくれればいい。食事の準備が大変なら弁当でも総菜でも買ってくるから言ってくれればいいから」
「ご心配には及びません。こちらの生活になれるまでは、家事に専念しますけどそれでいいですか? 食事もきちんと作りますから、ご安心ください。慣れてきたら、勤め口を探してみます」
「君のペースでやってくれればいうことはない」
「それじゃあ、一休みしたら、近くのスーパーへ連れて行ってください。今日の夕食はお弁当を買ってきましたが、明日の朝食や夕食の材料を仕入れてきたいです」
「それっじゃ、一休みしたら、案内しよう」
二人は駅前のスーパーへ行って、必要なものを買ってきた。カードで支払おうとしたが、紗奈恵はカードを使わないで、現金で支払いたいと言った。カードではお金を使い過ぎるからと言う。意外と倹約家だと感心した。
帰ってから、相談していなかった家計のことを率直に話し合った。僕は基本的にすべて紗奈恵に任せたかった。僕は給料をすべて紗奈恵に渡してそれからお小遣いをもらうことにした。始め紗奈恵は任せられても困るといっていたが、最後は引き受けてくれた。前は亡くなった夫がすべて取り仕切っていて、生活費だけ渡されていたと言っていた。
でもそうしたことが嬉しそうだった。僕が彼女を信じていると言う証にもなる。ただ、これまでの僕の貯金は僕の思い通りに使わせてもらうことで承知してもらった。もちろん彼女の貯金もそうしてもらうことにした。
幸い僕は海外赴任中にかなりの額を蓄えることができていたが、その額は彼女には内緒にしておいた。いずれ自宅を購入するときの頭金にしようと思っている。
こうして紗奈恵との生活が始まった。落ち着いた二人だけの生活だ。僕は何一つ不満がない。紗奈恵もそう思っているのだろうか。いつも柔和な笑顔を見せてくれる。
僕は紗奈恵と愛し合った後は必ず抱き締めて眠ることにしている。愛おしくてたまらないのと、眠っている間にどこかへ行ってしまいそうな不安があるからかもしれない。またあのような失敗を繰り返してはいけないと思っているからだ。
紗奈恵は僕がそうすることを決して嫌がらない。むしろ彼女の方からしっかり抱きついてくるし、抱きついて眠っている。同じ思いなのかもしれないと思うとますます愛おしさが募っていく。
ただ、眠ってしまうとお互いに力が抜けて離れてしまう。夜中に紗奈恵が無意識に抱きついてくることがある。僕は夜中に目が覚めて紗奈恵と離れていても必ず彼女に触れている。腕を抱いていたり、手を握っていたり、胸に手がかかっていたりしている。無意識でも繋がろうとしているみたいだ。
紗奈恵も同じだ。僕の腕にしがみついていることや手を握っていることが多い。僕の大事なところに手を置いていたこともある。寝顔はいつも安らかだ。思わず抱き寄せてしまう。
思い返すと智恵とはこういうことはなかった。確かに始めのころはあったが、長くは続かなかったように思う。
どこに違いがあるのだろう。紗奈恵への思いの強さしかないように思う。それとも何度も何度も切れかけた糸を繋いで繋いでようやく結ばれたからだろうか?
僕は身体のつながりがやがて心のつながりを生み、その心のつながりが身体のつながりを凌駕して絆が強くなっていくと思っていた。
でもそれだけはないことが分かった。ほかに何か大切なことがある。僕と紗奈恵の間にあったもの、今もあるもの、でもそれがなんだかはっきりとは分からない。
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