お便りくださいっ!

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『続きまして、ラジオネーム〝極楽とんぼ〟さんからのお便りですっ!いつもお便りありがとー!』 机の上に置いてある携帯ラジオから澄んだ声が響き、僕は手に持っていたシャープペンシルを置いた。 毎週金曜日、受験勉強をしながら深夜のラジオを聴くというのが僕の日課だった。 『すっかり秋になりましたね。夕方になるとリーンリーンとスズムシの声が聴こえるようになりました。リナちゃんはどんな時に秋を感じますか?……うーん、私は〜、そうだなぁ…食べ物が美味しいとか…?』 どうでもいい番組だ。ただパーソナリティーがお便り読んで曲をかけてどうでもいいことを話す。毎週そんな感じだった。 僕が彼女宛にお便りを送るようになったのは数ヶ月前から。以降面倒でも必ず手書きで郵送している。もともと字の汚かった僕はそのためにボールペン字講座に通ったりもした。結構頑張った。 何故そこまでするのか、明確な理由はない。 いや、厳密に言うとあるのだが、明確な理由かどうかは分からない。 彼女が偶然高校の同じクラスにいるということに気づいてしまったから。それだけだ。 普段全く目立たない彼女が、国語の授業で音読をした時の声が印象的で、たまたま見たアニメのたまたまその回にだけ出ていたキャラクターの声とたまたま一致したので、調べてたまたま見つけてしまったのだ。 そう、彼女はその時新人の声優だった。 しかし、学校での彼女は、休み時間はいつも自席でヘッドホンをして読書をしており、「話しかけるな」といった様子だった。 唯一彼女とコミュニケーションをとることができたのが、彼女がパーソナリティーを務めている週に一回&深夜&ローカル局&たった15分のラジオ番組だけだった。 僕は極力毎週お便りを出すようにし、彼女の方は限られた時間ということもあるので読んでくれたり、読んでくれなかったりしたが、だいたい僕のお便りもどうでもいい内容で、それに対して彼女もどうでもいいことを二三言返してくれる。手紙と声のやりとり。それだけの関係だった。 さて、事件が起きたのはそんな関係が続いて数ヶ月が経ったころ。 学校で、いわゆる「カースト上位」にいるような女子数名が、彼女のすぐ側で彼女の悪口というか、陰気臭いだの根暗だのそういうことを言っていた。割と大きな声で。 彼女はヘッドホンをしているので気づいていないようで、何事も無かったかのように本を読んでいたが、僕はどうしても気になって放課後に大型電器店に行った。 何故電器店かというと、彼女のヘッドホンの性能を調べたかったから。 彼女のヘッドホンは、ノイズキャンセリング機能がついた4万ほどするもので、だいぶ高かったが、特に他に金の使い道もなかった僕はとりあえず同じものを購入してみた。ラジオを聴く時にでも使えば良いだろう。 家に帰って装着してみると、どうだろう。周りの電気製品の細かい雑音とか空調の音とかそういったものが一切しなくなった。しかし、試しにラジオをつけてみると、聴きたい音はしっかりと聴き取れる。聴覚過敏の人も愛用するヘッドホンだった。 つまり、彼女は気づいていないフリをしていたが、実際は悪口は全て聴こえていた可能性が高い。ということだろうか。 僕は悩んだ。彼女に手を差し伸べるべきか否か。 いじめられかけている人を助けること。それは、濁流の中で溺れかけている犬を濁流に飛び込んで助けに行くことに等しい。助けに行ったからといって犬が助かるともかぎらないし、こちらまで溺れて2人とも死んでしまう可能性も高い。 心配になった僕はとりあえず、翌日彼女との直接のコンタクトを試みた。 近くで話しかけても(聴こえているのだろうが)無視されるので、彼女の目の前で手を振って気を引いてみる。 すると彼女は読んでいた本を閉じ、鋭い視線でこちらを睨んできた。 関わるなということが言いたいのだろうか。 ともかくその日はそれ以上彼女に近づくのはやめて、いつものように手紙を書くことにした。 ただ、今度はいつものようにどうでもいい内容ではなく…… 『クラスの女の子が他の女子にいじめられているようです。でも彼女は周りの人間とは関わりたくないようです。なんとかしたいんですが、僕はどうすればいいでしょうか?』 彼女は次の金曜日のラジオでいつものように元気よくお便りを読んでくれた。この文章で果たして伝わってくれるだろうか。 『……うーん。私がその子なら、気持ちだけで嬉しいかな?助けてもらおうとは思わないよ。だって、そのせいであなたもいじめられるかもしれないし……』 これが、これが本音なのだろうか。だからあえて近づいた僕に対してあのような対応をしたんだろうか。 『そうだねーその子の喜ぶことをこっそりしてあげるとかかなー?私だったら、この番組にお便りくれるだけですごく嬉しいよ!』 つまり、助ける代わりにお便りをこれからも毎週送って欲しい。そう言いたいのではないだろうか。 溺れた犬は、人間に濁流に飛び込まれることをよしとせず、安全な岸から小さなペットボトルをたくさん投げ込んでほしい。そう言っている。 それで彼女が救われるのなら、僕のやるべき事は1つだった。 それから僕は毎週彼女へお便りを送った。彼女は相変わらず読んでくれたり、読んでくれなかったりしたが、僕は毎週欠かさず送った。今までの自己満足だけではなく、これからは彼女のためにも、彼女の喜ぶことをしたい。 いじめはどんどんエスカレートした。朝登校すると、彼女の机が廊下に出されていたこともあったし、机の上に変なものが置かれていることもあった。 幸い直接危害を加えられていることはなさそうだったが、そのような陰湿な嫌がらせがしばらく続いた。 僕は何度か教師に報告するとか、そういう手を打とうか考えたが、その度に彼女の言葉が頭をよぎった。ここで自分が動いてしまえば、彼女の決意を無駄にすることになりはしないか。いや、ただ単にいじめの矛先が自分に向かうのが怖かったのかもしれない。 結局、表立ってなにかするということはしなかった。それが正解だったのかは分からなかった。 『そうそう、この本面白そうだったからついつい買っちゃってー』 彼女は一度も弱音を吐かなかったし、ラジオでもいつも通りの明るい声で話していた。ずっと。いじめなんかなかったかのように、明るい出来事ばかりを話していた。それが僕に少しの罪悪感を感じさせていたことは事実だ。 ある日、嬉しいことが起こった。 下校時に自分の下足箱を開けると、片方の靴の中に小さな白い紙切れが入っていることに気づいた。ノートの切れ端のようなものらしい。オレンジの色ペンで女の子っぽい字が書いてある。なんだろう…と思って読んでみると 『いつもありがとう♪』 という一言の下に小さく彼女の名前が書いてあった。 彼女が僕にくれた初めての手書きの手紙だった。 いや、それ自体はメモ程度のものだったが、無力感を覚え始めて悩んでいる僕の心中を察してか、ただの偶然か、どちらにせよ今までの自分の行動が間違いではなかったということを彼女が証明してくれたのだ。 今まで確証が持てなかったが、彼女が毎週お便りを送っているのが僕であるということに気づいている。という事実も嬉しかった。 胸の中に温かい感情が満ちてきた。救われるってこういうことなのだろうか。僕は救うつもりだった彼女に救われたのかもしれない。 そう思うといてもたってもいられなくなり、すぐに彼女にお便りを書いて報告した。すごく嬉しかったということを伝えた。もちろん、誰から手紙をもらったかは言わなかったが 『よかったねー!』 とお便りを読んでくれた彼女の方は理解したらしく、とても嬉しそうな声で言ってくれた。 それから味をしめたらしく、たまに彼女は下足箱にメモを仕込んでくることがあった。 たいていはお便りに対する感謝の言葉が書かれていたが、たまにラジオでは言えなかったようなコメントも書かれていた。 しかも、最初はノートの切れ端だったその手紙は、メモ用紙のようなものになり、便箋になり、小さな封筒に入っていた時にはさすがにやりすぎかと思ったが、彼女の気持ちだと思ってありがたく受け取った。 そして、1週間に1度のお便りをさらに気合を入れて書いた。 手紙と声のやりとりが、手紙と手紙+声のやりとりになりつつあった。 そんなやりとりの中で僕の中でも彼女に対する感謝の想いが強くなっていき、どうしても直接話して伝えたい。と思い始めた。向こうが手紙と声で答えてくれているのにこちらが手紙だけというのはあまりにも不公平だと思った。が、相変わらず学校では彼女は話しかけないでオーラを出し続けており、話しかけることはできなかった。 ある日のこと、僕は放課後にいつもより早く教室を出て急いで昇降口に向かった。 下足箱の前で待っていると、マスクで顔を覆って俯きがちに歩く彼女がやってきた。手にはなにやら手紙のようなものを握り締めている。 「……やっぱり」 少し前から、彼女が手紙をくれるのはだいたいラジオの放送があった次の登校日、つまり月曜日が多いということに僕は気づいていた。 彼女は僕には気づかないまま、下足箱の近くまで来て顔を少し上げた。僕と目が合うと明らかに動揺した様子がマスク越しにでもわかった。 「……っ」 彼女はロボット掃除機のようにクルっと方向転換すると、僕を無視してそのままそそくさと帰ろうとした。 「あっ、待って…」 僕の声が聞こえたか、聞こえてないか、分からないが彼女は急ぎ足で去っていく。上履きのまま。さすがに慌てすぎだろう。 どうしても直接感謝を伝えたい僕は、走って彼女を追いかけた。 しかし彼女は僕に追いつかれてからもなお無視したまま早足で歩き続け、学校からどんどん離れていく。とても話しかけられる雰囲気ではない。 どうしたものか、これじゃあ完全にストーカーだ。 僕が諦めようとした時、彼女は急に立ち止まると、卒業式で練習するような綺麗な回れ右を決めてきた。 「…ここまで来ればもう大丈夫。あなた、学校の中で話しかけようとするとか何考えてんの?」 「ごめんなさい」 「学校での私とあなたはただの他人なんだから、もうちょっと気を遣って?」 「……はい」 責めるような口調。こんなに強い口調はラジオでは聴いたことがない。僕は謝るしかなかった。確かにだいぶ配慮に欠けていた。彼女の努力を無に帰すような行動だったかもしれない。 「……はい、今日の分。」 彼女は突然、何かを理解したかのような雰囲気でふっと表情を和らげると僕に握りしめていた手紙を手渡してくれた。 「上履きのまま来ちゃった。バカみたい」 マスク越しに、にこにこ笑いながら言う。おおよそ学校にいるときの彼女からは想像できないような太陽のような笑顔だった。いつもラジオの時もこうやって笑っているのだろうか。それならいいな、と思った。 すると、呆然とする僕の前から「バイバイ」と手を振りながら去っていった。 あれだけやりとりをしていながら、僕は未だに彼女のことをあまり理解出来ていなかった。しかし、こうして直接面と向かって言われると、ああやって笑いかけられると、相手が何を求めている、どういう魅力があるのかさらによくわかったような気がした。 『直接話してみないとわからないこともある……かぁー。確かにそうかもね!』 このことを彼女にお便りで送ってみると、彼女もそう言ってくれた。 そんなある日 事件が起きた 僕がいつものように下足箱から靴を取り出して帰ろうとすると、靴に3枚の紙切れが入っているのに気づいた。 彼女は基本的に手紙を複数枚寄越すことはなかったし、なんだろうと不思議に思ってよく見てみると、1枚はいつものように彼女からの手紙で、1枚はコピー用紙のようなもの、もう1枚は写真のようだった。 写真を見てみる。それはこの前彼女と直接話した時に、彼女から手紙を貰っている時の写真だった。彼女がくれたのだろうか? しかし、撮 っ て い る の は 誰 だ ? コピー用紙を広げて読んでみる。そこにはパソコンで打った無機質な文字列が小さく並んでいた。 『極楽とんぼへ これ以上リナちゃんに関わるな。彼女を悲しませたくないだろう?』 差出人名はもちろんなかった。 背筋が凍った。 彼女が手紙を入れたすぐ後にこれらを入れてきたのであろう差し出し人は、恐らく彼女が声優であることを知っていて、先程の写真をばら撒かれたくなかったら彼女から手を引けと言っている。しかも僕のラジオネームを知っているということは…… しくじった。やはり彼女とリアルで接触するのは避けるべきだったのだ。彼女の警告してくれたことが現実となってしまった。最も恐ろしい形で。 彼女は駆け出しの声優だ。これからもっともっと有名になる可能性を秘めている。こういったスキャンダルは彼女の声優生命を脅かす。 なにより僕のミスで彼女に迷惑がかかってしまうことがたまらなく辛かった。 そもそも僕のような一般人が彼女に関わって良かったのだろうか… 僕は彼女との関係を一切断ち切ることにした。何も言わずに。 とにかく彼女と関係のあるものを持っていてはいけないと、これまで大事にとっていた手紙も全て処分した。さっき入っていた新しい手紙も読まずに捨てた。 ラジオにもお便りを送るのをやめたし、そもそもラジオすら聴かなくなってしまった。 学校では、いじめがいのない彼女に対するいじめは終息してきたようで、彼女も休み時間はヘッドホンをして本を読むこともなくなってきたので、代わりに僕がお揃いのヘッドホンをして本を読み、外界からの繋がりを絶った。 そして残り少ない学生生活を憂鬱な気持ちで過ごしていた。 そんな中、彼女がパーソナリティを務めているラジオの放送が終了したということをある友人から教えられて、それを他人事のように聞いていた。なんの感情ももはや抱かなかった。 僕はほぼ彼女一色だった心という球体に、その上から無理やり勉強や音楽などのペンキを塗りたくり、知らないフリをして過ごしていたのだ。 卒業式の近くなったある日、ヘッドホンをした僕の耳に突然大声が響いた。 「やめて!!!」 続けてガタッ!という大きな音、ザワつく教室。 何事かと思って振り返ると、例のカースト上位の女子たちが彼女を取り囲んで何かをしている。すると突然1人の女子が彼女の顔面を殴った。 パシンッ!という音がした。たまらずフラつく彼女。 ……いじめは終わったんじゃなかったのだ。しかもさらにエスカレートしている。 助けなきゃ。そう思った。 すぐに体は動いた。 僕は本を置き、ヘッドホンを取ると真っ直ぐ彼女たちのもとへ向かった。 「おい、なにしてるん……」 僕の声は最後まで続かなかった。 いじめられていたはずの彼女が満面の笑みで親指を立てる。 周りの女子たちもにこにこと笑っていた。 「……えっ、…えっ?」 戸惑う僕に彼女が勢いよく頭を下げる。 「ごめんっ!こうしないと気づいてくれなそうだったから!ずっと無視されてたし…」 「いや、でも……」 僕は戸惑い、周りの女子たちを見渡した。 「直接話してみないとわからないこともある。あなたが教えてくれたんだよ。実際話したら結構いい子たちだったよ。」 「ウチらもただの根暗だと思ってたけど、こんなにかわいい子だったなんて気づかなかったよ。」 彼女と女子たちは仲良さそうに笑う。 つまり先程のは何をしても無視する僕を呼び出すための演技だった。ということだろう。 「大体の事情はわかってたよ。脅されてたんでしょ?急にお便り来なくなったから心配したんだから…」 「ごめんなさい…」 「そんなふざけたことしたやつはウチらが探し出してしばいといたから安心して?」 と女子たちのうちの一人。 「もう……自分が話すの拒否したらダメでしょ……あんなに得意げに私に語ってくれてたのにさ…」 「……はい」 謝るしかなかった。僕は事もあろうにショックでなにも告げずに心を閉ざしていたのだ。しかし直接話してみたら状況はそこまで深刻ではなかった。むしろ最善の結果だろう。 「……なんだ。よかった…」 「あなたは私に生きる希望を届けてくれたから今度はそのお返し……できたかな?」 「うん、ありがとう」 僕の言葉に周りの女子たちがわぁっと盛り上がる。 「……でさ、最後の手紙読んでくれた?よかったらお返事聞かせて欲しいんだけど……」 ともじもじしながら彼女が言う。これはまた新しい反応だ。 「……ごめん、捨てちゃった」 「……ばかっ!」 パシンッ!という音か教室中に響き渡った。
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