仮病

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 仮病

「今日体育休めよ、松本君。そしたら『あの事』みんなには黙っといてやるよ」  高梨は、たっぷり視線を絡ませた後、急に僕を突き放した。 「これにて、罰ゲーム終了」  大声で高梨が笑いながら言うと、いつの間にかシンと静まり返っていたギャラリーたちもお互い顔を見合わせて笑い出す。  そうだよな、びっくりしたと言う声があちらこちらから聞こえる。これを笑っていいんだよな? という安堵の笑い。あまりの熱いキスシーンにどう対処したらいいのか、正直誰も分からなかったのだ。 「びっくりしたぜ、高梨。おまえそういう趣味の人かと思ったよ」  佐々木が高梨の肩に手を置いて苦笑いしながら言う。 「だったとしても、おまえは願い下げだぜ」 「俺だってやだよ、まあどっちっていったら俺も松本だな」  そーか、そうだよなと佐々木はうなずいている。 「この世に女がいないとなったら、松本しかいないな。うんうん」  なんでこの世から女を消しちゃうんだよと胸の内で佐々木にツッコミながら教室を飛び出す。みんなは口でもゆすぎに行くと思ったのか、薄笑いを浮かべながら道を空けてくれた。 「高梨、最低だな。大丈夫か、松本?」  通り過ぎる刹那、生徒会副会長の多田が僕の背中をぽんっと叩く。 「だ、大丈夫だから」  ぞんざいに手を振ってトイレの個室に飛び込んだ。 「体育休めって……?」  そんなの、放っておけばいいと思う反面、高梨に見とれていたなんてみんなに暴露されると最後だとも思う。いや、見とれてたのは事実なんだけど。それは、バイトに精を出す高梨であって断じてあの高梨じゃないという理屈が通らないのも分っている。  今日の体育はマラソンのはず。休むって、ズル休みなんて……今までやったことない。何て言おう? お腹が痛くなったとか? おかしくないかな? 信じてもらえるんだろうか?  そこまで考えて自分が体育を休む事ばかり考えているのに気づく。手が自然に自分の唇にいく。あの時、柔らかいと思った。自分の唇なのに彼の唇に触れているような気がする。細められた瞳を思い出す。睫毛、長かったな。  『おまえそういう趣味の人かと思ったよ』という佐々木の言葉は、僕に向けられたのか。そう思うほどの衝撃の言葉だった。  そうなんだろうか? いや、違うだろ? そんなはずはない。急いで自分の心にストップをかける。そうやって急いで否定して、教室に帰ってからもからかうクラスメイトを無視して大人しくしていた。  だってお腹が痛いのに、楽しそうにできないよな。そんな事を考えて。  僕はすでに高梨に魔法をかけられていた。彼とのファーストキスは、逃れられない甘い誘惑の味がした。もう授業なんて何も頭に入ってこない。こんな事は初めてで。気がつくと終了のチャイムが聞こえていた。 「かったるいなぁ、次体育だよ。マラソンかぁ」  聞こえた声にギクリと目を窓側に向けた。そこには彼がいる。高梨がシャーペンをくるくる回しながら後ろの席の森井と笑いながら何かを喋っていた。喋りながら高梨が視線だけをこちらに向けている。 そして……問うように首を傾げた。それにこくんと頭を下げて応える。 「どうした松本、行かないのか?」  多田が一応体操着に着替えたのに、椅子に座ったままの僕に声をかけてくる。 「いや、なんかお腹痛くて」  心配そうな多田の顔を見てると本当にお腹が痛くなりそうだった。来年は、一緒に生徒会活動をしようと誘ってくれている多田は、何かと目をかけてくれている。  みんなから一目置かれている彼と気が合うと思うと嬉しかったが、正直このときばかりは放っておいて欲しかった。 「保健室に行く?」 「うん、一人で行けるから。あのさ、先生に言っといてもらえるかな? マラソン休むって」 「いいけど。一人で大丈夫なのか?」 「だ、大丈夫」  これ以上多田に嘘をつきたくなくて、声も小さくなる。本当だったら自分で言いに行かないと先生が許可するわけも無いが、どうやら日頃の行いのせいで上手く誤魔化せるみたいだ。それがまた心苦しい。 「やっぱり、一緒に行くよ。顔色悪いし」  一旦出て行った多田が急いで戻って来る。いや、顔色悪いのは君のせい。そんな事言えるはずも無く、すごすご多田に肩を貸してもらいながら教室を出た。  グランドに出て行くクラスメイトたちが、ヨタヨタと歩く僕を見ながらなぜか納得の表情をする。 「あっちゃーっ。相当応えちゃったんだ、真面目本のやつ。笑える」 「私なら高梨君とキスなんて嬉しくてたまらないのに、ムカつく」 「そーだよねぇ。キスしてもらって体調崩すなんてこのゼイタクもんっ」  みんなのやいのやいの言う声に見送られてまたまた落ち込む。 「気にすんなよ、松本。男はともかく、女には高梨は絶大な人気があるからな」  保健室の引き戸を開けながら多田が慰めるように言う。  その、ともかくの方だなんて言えもせず、ありがとうと多田の肩に回していた腕を外した。 「ここでいいから。授業遅れるし……ありがとう多田、助かったよ」  ちょっと躊躇する顔から、ぱっと綺麗な笑顔になった多田がじゃあ寝てろよと言ってグランドに駆けていく。そんなに優しくしないでくれよと多田の背中にごめんと手を合わせた。 「どうしたの?」  中から先生が戸口に突っ立ったままの僕に声をかけてくる。 「あ、あのお腹が痛くなって」 「じゃあ、ベッドに横になってみて」 「はい」  お腹を押されて、痛い場所を適当に言ってると、先生が整腸剤を数錠手のひらに乗せる。 「たいしたことは無いみたいだけど、顔色悪いからこれ飲んでしばらく寝てなさいね。先生ちょっと一時間ほど用事で出るけど大丈夫? ダメそうだったらそこの電話から先生の携帯に電話してね。これが番号だから」  メモ用紙にさらさらと番号を書き付けると先生は書類を片手に出て行った。なんだかほっとしてベッドに横になる。僕はやり遂げた――体育をさぼったんだ。  なんだか、いろいろ気疲れしてしまったので構わず布団に潜り込む。このまま眠ってやる。だって言われたとおり、体育休んだんだ。どこで待ってろとか言われなかったし……と、いい訳しながら目を閉じて僕は本当に眠ってしまった。
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