聞き捨てならない

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聞き捨てならない

「いないのか」  戸を何度かガタガタ音をさせて多田が確認している。  このまま多田が教室に帰ってくれるようにひたすら祈る。だって、この部屋は例の匂いが篭っているだろうし僕は心の準備ができていない。さっきの行為から立ち直れていないこの状態で誰にも会いたくなかった。そんな緊張の中、いきなり高梨が体を起こして息を殺して戸口を見ている僕を再びベッドに押し倒した。 「な、何すんだよっ」  出来るだけ、声を押し殺しながら高梨を睨むと噛み付くようにキスされる。 「んんん…やめろって」  逃れようとするが凄い力で押さえ込まれ、またもや腰に高梨の手が伸びてきた。 「ダメだっ、まじでっ。いやだって」 「誰かいるのか?」  中の様子がわずかに洩れたのか、多田が引き返す足を止めて戻ってきた。 「松本? いるのか? 鍵がかかってるんだけど? 松本?」  磨りガラスになっている場所に顔をくっつけてなんとか中を伺おうと多田がするのに、高梨の手は止まらない。 「ああん、ダメっだっ。止めないと……ってああ」  善がってんだか、文句言ってんだか、もう分らない。でもこの状況がものすごく悪いのだけは間違いない。今まで黙りこくっていた高梨がぐいっと上体を起こして戸へ顔を向けた。  そして怒鳴る。 「うるさいんだよっ。人のいいところ、邪魔すんなよっ」  いきなりの大声に息がとまるかと思った。いや、確実に心情的には死んだ。なんでそこで怒鳴るんだよ。僕は思いっきり、高梨の頬を張った。 「高梨、おまえなんでそこにいるんだ? 松本も一緒なのか。くそっ」  その言葉を残して多田がバタバタと音を立てて走り去る。 「何考えてんだよ、多田にあんな事言って。僕はもう終わりだ」  怒りで声が震えるのを押さえられない。どうやって教室に帰ったらいいのか、多田の顔なんてとても見れない。あの声聞かれたと思うと死にたくなる。 「あいつは、誰にも言いやしないよ。それより、そんなに俺と一緒にいたのがバレんのが怖いのか」  赤くなった頬を擦りながら高梨が不貞腐れたように言う。 「何で、多田が誰にも言わないって断言できるんだよ。授業サボッて保健室でやらしい事してるのがバレたら困るだろ」 「だよな、あんたやらしい声だったし」と、うれしそうな声で高梨が言う。 「だっ、誰のせいだと思ってんだよ。このエロ野郎、大っ嫌いだっ。どけよ」  高梨の胸を突くが、見事に微動だにしない。それどころか、両手をそのまま掴まれてしまう。 「嫌だ、どかないよ。俺はあんたの事好きだし。バレたって構わない。あいつ、あんたにしつこく絡んできてウザかったんだよ」 「好きって、今それどころじゃ……」 「好きなんだ。体触りたかったんだ。キスしたかった。やらしい事したかったんだ」  高梨の訴えるように言う言葉に、怒りが口の前で萎んでいく。この後に及んで何くどいてんだよ高梨。好きだったら何してもいいと思っているのは要指導だが、これだけ好き好き言われたことが今までなかったせいで怒っていいのか、喜んでいいのか判断がつかなくなっている。僕は口を開けたまま、とにかく今だ高梨を体にのせた状態なのだった。 「松本、大丈夫か?」  そこに、その声とともに、鍵を開ける音がして扉が開かれる。 「高梨、いい加減にしろっ。松本からどけよっ」  職員室から走ってきたのか、荒い息をしている多田が高梨の肩を掴んだ。 「うるさいよ、多田。司と今、いいとこなんだから邪魔すんなって言ったろうが」  高梨が応えた瞬間、どかっという音とともに高梨がベッドから落ちる。 「俺への面当てに松本を使うなと言ってるんだっ、バカ野郎!」  いつもの優等生の人格がふっとんだ多田が、反対側に落ちた高梨の元に行ってもう一度殴りつける。 「啓、言いたいことがあるんなら、直接俺に言えっ。松本を巻き込むな」  高梨は、多田に胸倉を掴まれて無言で睨んでいる。 「ちょ、ちょっと待ってよ。面当てって何だよ。どういう事だよ」  今、聞き捨てなら無い言葉を聞いた気がする。とても重要な何か。多田が言ったことが僕を叩きのめす。巻き込むなって……なんだ。 「司、こいつの言うことなんか聞くなっ」  僕は、ベッドに手を伸ばしてきた高梨の手をバシリと弾いた。飛び起きて、上靴も履かずに保健室を飛び出す。そのまま息が切れるほど走っていた。このまま心臓が止まってもいいと思うくらいに。
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