天使の翼はリバーシブル

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 天使の翼はリバーシブル

「駅前の新しく建ったマンションの319号室だから。勿論お泊りセットも持って来いよ」 「何がお泊りセットだっ、バカ」  真っ赤になって怒る僕に高梨はとっておきの天使の笑顔を向けて笑った。その手に僕の眼鏡を持って。  その後は授業なんて頭に入らない。なんだ、こういうの、前にもあったような。とにかく「集中、集中」という言葉を唱えながら、ちっとも集中できずに放課後に至る。集中できなかったのは、黒板の字がぜんぜん見えなかったせいでもある。  おまけに姦しいギャラリーも問題で。 「おっ、真面目本。眼鏡止めたのか?」  佐々木が、教室に戻った途端に言ってきて僕は「壊しちゃって」と、苦しいいい訳をする。 「何で、体操着のまんまなのかも謎だよね」  痛いところを女子にも指摘される。 「お腹痛くてさっきまで保健室で寝てたから」  僕を放っておいてくれと思いながら、時間が無いのでそのまま椅子に座るがなぜかまわりに女子が群がる。 「眼鏡取るといきなり、幼くなるよね松本」 「なんかさ、結構可愛い顔してるもん。何でコンタクトにしないの?」 「そうよ、コンタクトにしたら? うわ、近くで見るとお肌結構すべすべだ」  だから、こういう展開が嫌だからに決まってるだろと心の中で叫びながら、女子に自分のキャラに合った返事を返す。 「コンタクト買う金があったら、参考書買いたいし」 「うはっ」という声とさすがガリ勉という声。  ああと思いながらふと窓際に目を向けると、こっちを見ていた高梨と目が合ったような気がした。しかし、何と言っても今は視力が弱くてぼんやりと顔の輪郭が見えるだけだ。 「あれっ? 啓、おまえ目悪かった?」  森井が高梨に話しかけているのを聞いて途端に冷や汗が流れる。なんであんな目立つところに僕の眼鏡を入れているんだ。きっとわざとに違いない。そうに決まってる。なんで、あんな奴のこと見てたんだ僕。いい人そうに見えたのに。天使みたいに見えていたのに。天使の翼がリバーシブルだったとは、ちっとも気づかなかった。  目にも留まらぬ早業で真っ黒な羽に変わるのだ。おまけに頭に角も生やしているに違いない。それなのにそんな高梨をまだ好きなことがやりきれない。 「何で、高梨はともかく松本まで練習に来ないのよ」  早川さんが喚いているが、僕は「体調悪くて」とすまなそうな顔をみせてそそくさと帰宅する。どうするのか、どうしたらいいのか。  とりあえず、眼鏡を返してもらわなきゃ。そして、話は聞いてやろう。その後帰る。そうだ、それだけだ。塾の準備だけして家を出る。だけど、やっぱり塾の後に高梨の家に行くのは遅すぎるだろうと思い直して塾に休みの連絡を入れた。  ああ、またやってしまった。今日一日で僕はどっと不良に近づいている。人は一回さぼると何回でもやってしまう。悪事を阻む垣根がすとんと低くなり嘘が嘘を呼び込む。鬱々と見上げた学校の近くの駅前に立つマンションは、どう見ても単身者用だった。 「あれ、高校生なのに一人暮らしなのかな?」  エントランスに入って、部屋番号を押すと「入れ」と声がして、正面のドアが開いた。 「318、319…ここ?」  エレベーターから降りて部屋番号を見ながら歩き、呼び鈴を押そうとした僕を見越したようにドアが開く。中から腕が伸びたと思ったらそのまま手を引かれて僕は玄関に引き込まれた。玄関の上がり口に倒れこむように押し倒されて、僕は高梨に唇を奪われる。 「なっ…やめ…ちょっ」  息苦しくて、でもそれだけじゃない。そう思ってる自分に腹が立つ。 「は、話、話が先だろう。僕は話を聞きに来たんだ」  やっと高梨の唇から逃れて僕は大きく息をしながら来訪の目的を告げる。 「なんかさぁ、眼鏡、取るんじゃ無かったよ。司が可愛い事、みんなにばれたし」 「は?」  こ、こいつは一体何を言ってるんだ? いきなりチョコレートに漬けられたような台詞は何? 「可愛いとかお肌つやつやなんて言われて嬉しいとかないよ」 「だって、可愛いよ司。そんなの俺だけが知っていれば良かったんだ」 「は? 何言ってんの?」  急激に甘くなった高梨についていけない。高梨は立ち上がると引き上げるようにあっさりと僕を立たせる。 「来ないかと思ってたんで、インターフォンにあんたの顔が見えて嬉しくてさ」 「だって、眼鏡、質にとってるじゃないか」 「でもさ、ここに来る事は最後までって了承したと思っていいんだろ」  おい、ちょっと待てと僕は急いで踵を返す。 「んな事、了承したんじゃない。話を聞くだけだ。それと眼鏡返せ」  はいはいと言いながらも高梨は、固まってる僕の前にスリッパを置いた。 「とりあえずは、話聞いてもらおうかな」 「とりあえずじゃなくて、それだけだから」  緊張しながらそれでも僕は、部屋に入る。そこは十畳くらいのワンルームに四畳くらいの台所がついている。部屋の壁につけてデンっと大きなベッドがあるのを見て、なんだか気恥ずかしくて僕は即座に目を逸らした。ワンルームなんだからベッドが置いてあったって不思議でも何でも無いのに意識してる自分がもう、なんだか嫌だ。  床に置いた大きめのローテーブルを指差して高梨は「適当に座って」と言いながら台所に向かった。ベッドにすぐ目が行く理由。それは、他には大きい書棚くらいしか部屋に無いからだ。パソコンがそのローテーブルに置いてあって、後は机さえ無い。  もう一方の壁一面にクローゼットが作りつけあって服とか収納されているんだろうけどおよそ、高校生らしくない殺風景な部屋だ。 「何にも無い部屋だな。テレビとか見ないの? 高梨。机もないし」  かたんと軽い音をさせて高梨がマグカップを置いた。 「テレビは見ない。ここで飯も食うし、勉強もする。ま、そんなことはいいからコーヒーどうぞ。紅茶も上手いけど。バイトで腕磨いてるから」  知ってるよな? と言われた僕は高梨から目を逸らしてマグカップに口をつける。 「何?」 「いや、いつもさ。司が見てるなぁって思ってて。俺の作ったコーヒー飲んでもらいたいなぁと思ってたから」  高梨の言葉に僕はコーヒーを吹きそうになった。二人きりになった時に放たれる大甘な台詞に僕はまだ慣れることができない。 「おいしい?」 「う、うん」  そうか、良かったと笑う彼は今最高に天使だ。騙されるなと思わず自分に喝を入れたくなる。 「一人暮らししてんの?」  ああ、と高梨は頷いた。 「俺、系列校の西条学園にいたんだ」 「え? 西条学園?」  僕らの学校と同じ経営者なので兄弟校だが、レベルがめちゃくちゃ高い学校だった。僕らの学校も低いわけじゃないがその比じゃない。 「学校でトラブっちゃってさ」  高梨が言いながら着ていたスエットのシャツをまくると、脇腹に紫色の傷が斜めについていた。 「ど? どうしたのこれ」 「このせいで、転校したんだよ。家にも学校にも居場所なくなって」  高梨が窓の方に目を向けてぽつりぽつりと話が始まった。
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