聞いて欲しい

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聞いて欲しい

「俺さ、司とはるくらい真面目君だったし、司ほどじゃないけどチビだったんだ」 「僕ほどじゃないって酷い……けど、それ本当?」  信じられないと目を丸くする僕に、うんと高梨が返事を返す。だったら僕も伸びる可能性があるかもしれない。 「優しかった先生がいてさ」 「それで?」  しかしそれが、楽しい思い出ではないのは、高梨の顔が曇ったことで証明される。 「始まりは分からないことを放課後に聞きに行ったことから。ある日、準備室で抱きしめられた。好きなんだと言われた」  俺って派手な顔をしてるからさ、この手の話多くてと高梨が吐き出すように続けた。 「俺、相手の気持ちに鈍感だったし、小賢しいやつだった」  自重気味に高梨は笑う。 「先生の事好きなわけじゃなかったけど、触るだけならと許していた。なぜなら、俺にも打算があった。先生に好かれていれば何かと得するだろうなとか。自分の性癖にも気づいて興味あったし。俺、女より男が好きだから。我慢できると思っていた。今から考えるとまるで子どもだった」  思いもよらなかった話にどう返事をしたらいいのか分からない。僕は何も言えず、高梨を見詰める。 「だけどだんだん、先生の要求がエスカレートしてきて。俺が嫌がっても先生はやめてくれなかった」 「高梨、もういいよ。言いたくないんなら」  胸が痛くなって話しの腰を折る僕の手を、高梨は掴むと首を横にふる。 「司には聞いて欲しい。嫌な話だけど」  手を握っていてと言われて、僕は掴まれた手の上に反対の手を重ねた。こわばった高梨の顔がふっと緩む。 「ある日、呼び出されて抵抗したのに最後までやられてしまって。気持ち悪くて、トイレで吐いてしまった。興味本位で足を踏み入れた罰が当たったんだ」  高梨にも悪いところはあったかもしれないけど、そんなの先生の罪とは比べ物にならない。当事者じゃないのに高梨の話は僕を打ちのめす。 「春には、関西の系列校に転勤するのが分っていたから、それまでの辛抱だと思っていた。でも苦しくて自分の胸に抑えておけなくなった。それで多田に打ち明けたんだ」 「何で多田に?」 「系列校は生徒会同士で交流をしてる。中学から生徒会執行部に入っていた俺は、同じくここの中学部の執行役員だった多田と顔見知りだった。あいつ面倒見がいいだろう? 俺も何でも相談できるやつだと信頼していた」  暫くの間が空く。そのまま何時間も経ったような気がする。そしてぐっと高梨が僕の手を掴む力を強まった。 「多田が、正義感から学校に訴えたことで先生と俺の事が皆にバレた。これ以上騒がれたくなくて示談ですませたけど先生は免職。俺は被害者だったから何も無かったけど、学校にはもう行けなくなって特例で通信制に席を移して在籍していたんだ。だけど被害者だって変な目で見られるのは変わらない。親も腫れ物に触るように何も言わなくなった。そうこうしてたら、一人で家にいる時に先生が尋ねて来た」  高梨の顔から血の気がどんどん引いていく。きっとその時のことを追体験してるのだ。 「俺のせいですべてを失ったと言われた。写真があると。家に入れないと写真をネットに上げるって。だから家に入れたら、一緒に死んでくれってこんな事に」  自分の腹に視線を向けて高梨は苦しそうに笑う。 「学校側からこの学校に転校を進められたんだ。向こうだって学校に非があるとはいえ、厄介払いしたかったんじゃないかな」  なんで笑うんだよ。そこは、笑うところじゃない。悲しそうに笑う高梨をもう放っておけない。 「分ったから、もう、分ったから。高梨、戻って来い。もうあの時の事なんて思い出さなくていい」  僕は、高梨の口を塞ぎたくて。でも、手を離したくなくて。気がつくとテーブル越しに高梨に口付けていた。 「司?」  焦った顔の高梨が首を後ろに引いた。 「あんたからキスなんて…俺、誤解するだろ。それとも同情?」  言った後に立ち上がってひょいとテーブルを跨いでこっち側に来る。 「どっち? 俺に気があるって本当に思っていいの? それとも、ただ可哀相だから?」 「今の話を聞けば同情するだろ、普通。その時の高梨可哀そうだし、その先生にもむかっ腹が立つし。そりゃあ、同情もあるかもだけど、でもそれだけでやったんでもない」 「好きってこと?」 「う……ん、かもしれない」  僕の答えを聞いて高梨がぎゅうと抱きしめてきた。見上げると「キスしたい」と低く言う。切なそうな顔で懇願する彼の額を指で弾いてやった。 「信じられない。今まで何回も人の気持ちなんてお構い無しにキスしたくせに。なのに何でここへきて、キスしていいか聞いてくるなんてさ。この流れはキスしかないんじゃな……」  僕の言葉は、高梨の唇に飲み込まれた。上唇をノックするみたいに舌でつつかれて僕が半開きにした口の中に高梨の舌が入る。絡められて吸われて眩暈がする。 「司、俺のものになって。大事にするから」  囁きながら、高梨が僕のシャツを引っ張り出して手を差し入れた。触られたところからゾクゾクとした熱が這い登る。 「手、早すぎだよっ」  ふっと笑う気配にむっとした僕は、軽く高梨の胸を叩く。痩身なイメージだった高梨が結構筋肉質だったのに僕はさっき、シャツを捲ったときに気づいている。 「可愛い」 「断固、可愛くはない」  その返事に高梨は噴き出した。その間も僕をそのまま後ろに倒して、自分が上になる。 「俺さ、先生の事ずっと消化できなかった。今だってそうだ。親だって、俺が一人で暮らしたいって言って時に、ほっとした顔をしたのが許せないし悲しい。孤独で寂しくて、自分だけ割り喰ってるみたいに思えてずっと苦しいんだ」 「高梨…」 「だけど、今は分かる。人を好きになるってこういうことだ。驚くほど利己的になる。俺もあんたが好きで、あんたの事手に入れたくて……先生と同じだ」 「違うだろ? あんな奴と同じじゃない」  僕は高梨の後頭部を押さえ込んで大声で言う。 「僕は君の事好きなんだから。触られるのも嫌じゃないよ。そこが一番大事なところだ。先生と一緒なんて全然違う」  僕の言葉に高梨は一瞬目をまん丸にした。その後頰を上気させて満面の笑みを浮かべる。 「今の本当? 俺の事好き?」  一生懸命に確認する高梨がいじらしくて僕は大きく頷いた。 「ありがとう、嬉しい。じゃあベッド行こう」  嬉しそうな高梨の声に、僕は自分がしくじったのを感じた。
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