第1章 ー2ー

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第1章 ー2ー

 ジェスは慣れた手付きで櫂を水に差し入れると、いそいそと舟を漕ぎ出した。  申し合わせた訳でもないが、幽霊と魔物がすぐ後ろを飛んで付いてくる。 ややあって舟を止めたジェスが後ろを振り返ると、小屋はまだ小さく見えていたが、これだけ距離があれば声は届かないだろう。  ジェスが視線を前に戻すと、幽霊はジェスの前に回り込み、透ける手を差し出した。 「ちょっと遅くなったけど、初めまして。私はレリア・クリステ・ルーヴェリア。一応この国の第二王女なんだ」 「王女ねえ……」  ジェスは差し出された手を見下ろしてから、胡乱げな目でレリアを眺め回した。  確かにこの国にはレリアという第二王女がいる。  だが普段人前に出ることはなく、死んだという噂もあった。  王女というのは話半分に聞いておいた方がいいだろう。  幽霊になっている時点で、どうせ現役王女では有り得ない。   レリアは放って置かれた手を不機嫌な顔をするでもなく下ろすと、反対の手で黒衣の男を示しながら言った。 「こっちは魔王」  ジェスはもう何も言うまいと思った。  こちらも話半分に聞いておけば十分だろう。 「どうでもいいけど、魔王って職業だろ? 名前は?」 「我に名というものはない」  魔王と呼ばれた男が口にしたのはルーヴェリア語だった。  魔物の公用語がルーヴェリア語とも思えないが、言葉が通じるのは楽でいい。 「王の癖に名前もないのか?」 「必要がないからな」  確かに名前がわからなくても、自分が知る限り『魔王』はこの男くらいのものなので、特に困ることはなさそうだった。  とりあえず二人の名前がわかったところで、ジェスは威嚇するように櫂を構えながらレリアに問いかける。 「お前、さっき俺の邪魔しただろ。何でだ?」 「危ないなあって思ったから。刃物を人に向けて使ったら駄目だよ。びっくりしちゃうよ」 「あれでびっくりさせるだけで済む訳ねえだろ! 殺すに決まってんだろうが!」 「殺す? どうして?」 「それが俺の仕事なんだよ!」 「あんな危ないことが仕事なの? 変わってるなあ」  不思議そうに言うレリアに、ジェスは脱力して櫂の先を水の中に落とした。  この世間知らずぶりからすると、王女というのは本当なのかも知れない。  とりあえず悪意や害意はないようなので、そう警戒することもなさそうだった。  どれ程警戒したところで、相手が幽霊と魔物では無意味だが。  ジェスが櫂を舟に置くと、レリアは魔王からジェスに視線を移して言った。 「そう言えば、まだ名前も聞いてなかったよね。教えてくれる?」 「……ジェスだ」 「へえ、ジェスかあー! ねえ、ジェスは人間だから、私と友達になってくれるよね?」  妙に自信に満ちた口振りでそう言われ、更に脱力したジェスは危うく水に落ちかけた。 「……お前な、人間ってだけで、どこの誰だかわかんねえ奴と友達になれる訳ねえだろ」 「えー、もう知らない人じゃないよ。ちゃんと名前言ったし」 「そういう問題じゃねえ!!」    ジェスが力一杯言葉を叩き付けた途端、レリアの顔が目に見えて曇った。  今にも泣き出しそうに見える。  一体何だと言うのだろう。  ジェスがますます苛立ちを募らせていると、レリアは大きく肩を落としてぼそぼそと言った。 「やっぱり駄目なんだ……シェラも友達じゃないし、魔王も違うし、やっぱり私には友達ができないのかなあ……」 「何だ、お前友達もいないのか」 「うん、人にはほとんど会わないから。私、体が丈夫じゃないし、部屋から出たら駄目なんだって。父様は私の髪が好きじゃないみたい」  ジェスは改めてレリアの髪に目をやった。  血を吸ったような金の髪。  人買いなら喜んで売り飛ばしそうな珍しい色とはいえ、所詮それだけのことだ。  色は色でしかなく、いいも悪いもない。    レリアが辛く当たられねばならない理由などない筈だった。  レリアの近くにいる数少ない人間は、誰もそのことを教えなかったようだが。  しょんぼりとしたレリアは心なしか先程より体が透けているようで、このまま闇に消えてしまいそうだった。  ジェスはレリアから目を逸らすと、盛大な溜め息を吐いて投げやりな口調で言う。 「……わかったよ。なってなるよ。友達くらい」  もう一人の自分が先程から頻りに「やめろ」と訴えているし、その声に従った方が賢明だとジェス自身思う。  それでもレリアを突き放せなかったのは、昔この色違いの目のせいで人買いに売られたせいだろう。  それからいろいろあってオルガに拾われた時には、リディは既にオルガと生活を共にしていた。  だが二人に血の繋がりはないという。  大方リディも自分と同じようにオルガに拾われたのだろう。  オルガがどうして赤の他人の自分達を助けてくれたのか、ジェスには未だにわからない。  ただ黙って食事や家を与えられ、人を殺す術を叩き込まれた。  以前は人を殺して生きることに対して悩み苦しんだこともあったが、オルガに拾われたことを後悔したことはない。  オルガは自分の目の色のことなど全く気にしなかったし、あのまま家にいるよりずっと幸せだっただろう。  それでも親を怨まなかった日は一日もなかった。  勝手に産んでおきながら、ただ珍しい目の色をしているというだけで、家畜同然に自分を売り払った連中を許せる訳がない。  そういう傲慢な親の話を聞くだけで虫唾が走るし、肩を窄めて小さくなっている奴を見ると、少しくらい励ましてやりたくもなった。  どうにも面映いので、本当はあまりやりたくないのだが。  ジェスがそっぽを向いていると、レリアが躊躇いがちに訊いてくる。 「……本当にいいの?」 「お前が自分でなりたいっつったんだろうがよ」 「そうだけど……でもさっき怒ってたし、私こんな髪だし……」  ジェスはレリアに軽く殺意が湧いた。 「お前嫌味か」 「え? どうして?」 「見た目が変わってるのは、俺だって同じなんだ」    ジェスは眼帯を毟り取るように外すと、青い瞳を露わにした。    緑と青の色違いの二つの瞳が、レリアを真っ向から映す。  レリアははっとしてわずかに唇を開いたものの、言葉は出て来なかった。  すぐに我に返って慌てて口元を押さえると、気まずそうに言う。 「……ごめん」  謝られると余計に腹が立ってきて、ジェスは当たらないとわかりつつもレリアの頬目掛けて拳を突き出した。  矢のように鋭い一撃にレリアは微動だにできず、ただ目をぱちくりさせる。  レリアに肉体があれば確実に当たっていたところだが、ジェスの手はただ空を打っただけだった。  手応えのない気持ち悪さを振り払うように、ジェスは手を軽く振りながら言う。 「いちいち謝んな。俺みてえな仕事してると目立って人に覚えられるのはまずいから隠してるだけで、俺は別に気にしてねえんだからな。だからお前も気にすんな。お前がそんなんだと、お前の親父はもっと付け上がるんだぞ」  レリアは少し驚いたように目を見開いてから、宝物を見付けた子供のように笑った。 「うん!」  腹の立つ奴だが、友達になると言ったことを後悔しないで済みそうだとジェスは思った。  振っていた手を下ろすと、先程からずっと抱えたままだった疑問をぶつけてみる。 「なあ、どうでもいいけど、何で俺だったんだ?」 「今の私の声が聞こえた人は、ジェスが初めてだったから」 「そういや、俺も幽霊と話したのは初めてだな」 「幽霊じゃないよ。これでもまだ生きてるんだから」 「さっきから思ってたけど、お前一般常識くらいちゃんと勉強しろよな。普通体が透けてる奴を生きてるなんて言わねえんだよ」 「私だってそれくらい知ってるよ。でも私は死んでないんだ。魔王と契約して、こういう風にしてもらったんだよ」  聞けば聞く程出てくる疑問を、ジェスは敢えてもう口にしようとはしなかった。    キリがない。 「じゃあ、俺もう帰るな」 「うん、明日にでもまた来るね」    レリアに当然のようにそう言われ、ジェスは内心小さく溜め息を吐いた。    全く妙なことになったものだ。    これからどうなってしまうのだろう。    自称幽霊ではない幽霊と魔王に関わっていいことがあるとも思えないが、ジェスはなるようになるしかないと開き直った。    櫂を水に差し入れ、舟の向きを変えながら言う。 「来たきゃ勝手に来いよ。でも今日遅かった分明日はゆっくり寝るつもりだから、いかにも幽霊っぽく恨めしそうな声とか出して起こしたりするなよな」 「だから幽霊じゃないんだけど……まあいいや、おやすみ」 「じゃあな」  ジェスは小屋に向かって舟を漕ぎ始めた。
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