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SCENE1
寝返りを打った肌に、冷えたシーツがはりつく。気持ちがいい。優がとろりと目を閉じると、毛布が無造作に裸の身体にかぶせられた。
毛布を肩まで引き上げながら、満たされた軽いため息。情事の間は遠ざかっていた雨音が、急に戻ってくる。雨は相変わらず、すき間なく強く降り続いているようだ。
秋の雨は、嫌いではない。雨によって、澄んだゼリーのように落ち着く空気。そんな冷えた空気が落ち葉を香らせる。それがいい。
広めのワンルーム。雨音をじっと聞いていると、なんだか大事なことを思い出しそうな気さえして、優はそんな感傷を笑う。それすら、今は心地がいい。人が一番満たされた気分になるのは、性欲を満たした時かも知れない。
ゆっくり目を開けると、すぐ目の前に広く白い裸の背中。背骨に沿って視線でなぞり、行き着いた先にある煙草を吸う横顔を、ぼんやり眺める。
瞳を細めて煙を吐きだす表情。眉が迫った、大きく切れ長の瞳には、肝が据わった不敵さと、鋭利な色気。触れたら、指先はあざやかに切れるだろう。そんなことを思う。
石田友之。新宿の歓楽街に身一つで飛びこみ、人を蹴落としのし上がり、ついには何店舗も飲食店を経営する実業家として成功した男だ。そのぐらいの凄みがあって当然なのかも知れない。
優は、石田が経営するゲイバー、CLUB ONEに勤めている。売れっ子だと、人は言う。
「そんな目で俺を見るな」
ちらりと優に目をやると、すねたように石田は言った。先細りの長い指が煙草をもみ消す。
「未知の生物でも見るような顔しやがって」
優は微笑んだだけでなにも言わず、毛布から両腕を出した。石田を見上げながら眠そうにしてみせるのは、甘えだと自覚している。
確かに優にとって石田は、安心して身を預けられる相手である一方、未知の部分も多かった。二丁目や歌舞伎町界隈では様々な噂を聞くが、どれがどこまで本当なのか、石田は語らない。
「ゆっくりしてけばいい。俺は出かける」
石田の声に、優はちらりと壁の時計を見た。午後七時すぎ。石田が立ち上がった刹那、情事の名残の生々しい匂いが鼻をつく。
新宿一丁目にある、石田の隠れ家的マンション。優は時々ここで石田と寝る。他にも何人か出入りがあるらしいが、詮索は無用だ。
忘れるとこだった、とひとり言を言い、黒いローテーブルに手を伸ばす石田。
「あのブランドの新作に、お前に似あいそうなコートがあった」
ぱさ、と枕の上にブランド名入りの小さな封筒が置かれる。
「ありがとうございます」
優の礼に、聞こえるか聞こえないかの無造作な返事。四十五という年齢の割に引き締まった身体を機敏に運び、石田はなにも羽織らずシャワーを浴びに行く。
優と石田の夜は、いつもこんな調子だった。石田はわざわざ見に行くのか、たまたま目についたのか、優に気まぐれになにかを、たいていの場合服を与える。取り置いてもらっている物を取りに行かせる、という回りくどい方法で。そしてそれは、いつも驚くほどぴったり優になじむ。
「秋山は相変わらず、店に遊びに来てるらしいな」
シャワーから出てきて着替えながら、唐突に石田は言った。かすれ気味の低い声が湿った部屋に沈む、その余韻が甘い。
秋山流は今ドラマにバラエティにと、どんどん知名度を上げている若手俳優だ。店というのは当然、CLUB ONEを指す。
「もうヤっちまってんだろ? もし他に本命がいるなら、思わせぶりなキープはやめとけ。秋山がかわいそうだろ」
じゃあ、自分達がこうしているのはなんなのか。
優は少し首をかしげ、人形のようにひたむきに石田を見つめる。
「なんだよ、俺か? 冗談だろ、俺はやめとけって」
少しうろたえながら、乱暴に頭をかく石田。瞳をそらす仕草がどこか子供っぽく、優はかわいらしさを感じた。なぜだか安心する。
「これ以上深く踏みこんだら、ボロボロにされそうですもんね」
石田はその通りだとばかり、唇だけで笑った。色気がまた鈍く光る。
優の安心が、ほんのかすかに不安をまとう。二十三歳で出会ってから五年、ずっと続いているこの関係を、いったい石田はどう考えているのかと。
「秋山のこと、ちゃんとしてやれ。お前にはああいうヤツがいい」
そう言うと、石田は長めに伸ばした優の黒髪を何度かなで、身体をかがめて軽くキスした。優はただされるがまま、それを受ける。
「じゃあな。早くコート取りに行けよ」
石田は人と会うのか、ジャケットを羽織って実業家の顔で部屋を出て行った。
矛盾している。ちゃんとしてやれ、と言いながら、別れ際に優しいキス。この関係を終わらせるつもりもなさそうだ。
優はしばらく迷ったあげく、もう少しここにいることにして、毛布をかけ直す。自分のことは棚に上げ、あの人まであんなふうに言うのかと、毛布にため息を隠した。
さすがの石田も、優が流を「ああいうヤツ」だからこそ恋人になんかできない、そう思っていることには気づかないのか。
また小さく、ため息。
そして優は、あの夜を悔いる。意志薄弱な自分を責める。
自分にはたぶん、雛を守るように腕に抱かれて眠る丸くやわらかな夜より、こういうわずかに欠けた月のような夜がいいのだと、優は思っている。
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