SCENE6

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SCENE6

 撮影の約束をし、前日の電話で隼人から指定されたのは、西新宿にある高級ホテルだった。  たまには散歩がてら歩こうかと思ったが、昼過ぎから雨になった。隼人は雨男なのかも知れない。数年前隼人のモデルをやっていた時も、撮影の日は雨が多かったような気がする。  何度か「出張」でこのホテルに来たことのある優は、ずいぶん奮発したなと感心しながら、教えられた部屋へとやって来た。  数年前、よく撮影に使っていたのは二丁目に近いホテルで、ラブホテルともビジネスホテルともつかないような、みすぼらしいホテルだった。それを考えると、ずいぶんな出世だ。 「やあ、待ってたよ」  チャイムを鳴らすとすぐ、隼人がうれしそうに出迎えて優を中に入れる。 「すごいね。雨じゃなかったら、きっともっとすごいね」  言葉こそ淡々としていたが、優は驚いていた。角部屋からの景色を楽しめるように、二方向に大きな窓が広がっている。柔らかな色あいの中に配された黒い家具がアクセントになり、シンプルかつシックでセンスのいい部屋だ。 「だね、夕焼けバックにできなくて残念だな。今回は、おしゃれなロケーションが欲しいと思ってさ。大人の色気、頼むね」 「大人の色気ねえ」  優は苦笑しながら、石田がくれた黒いコートを脱ぎ、広々したベッドに腰を下ろす。  数年前は金がなく、ホテルのランプシェードや自然光だけで撮っていたのが、今回は照明器具も準備されている。やはり、プロになって初の作品集に載せるということで、気合も違うようだ。  隼人は優の隣に座ると、いきなりぐっと顔を寄せてきた。 「え、ちょっ……」 「ドアップも撮りたいから、ヒゲちょっとでも伸びてんのは困るんだよ。うん、大丈夫だな」  隼人はじっくりと優の顔を眺め回した後で、機敏に立ち上がる。ソファの座面に無造作に置かれた、いくつものレンズの前に立つ。あごに手を当て、じっとなにか考えている。 「優さん、ホントいい顔になったよね」  おもむろに選び取ったレンズを手に、ひとり言のように言う隼人。  部屋がダブルルームということもあり、優は撮影にかこつけて誘うつもりか、と疑っていた。だが、どうやら隼人はこれからの撮影のことで頭がいっぱいらしい。至近距離で見た瞳は、無邪気に輝いていた。  やっぱり本質は変わらない。優はほっとして、そっと笑った。いつもこんなふうに瞳を輝かせて、隼人は夢中で優を撮影したものだった。  いきなりのシャッター音。優が顔を向けると、もう一度シャッターが切られる。 「いい表情してたから、もらっちゃった」  隼人の笑顔に、優は過去に手を引かれ隼人との時間を取り戻していく。 「自然に、窓の外見てて。だるそうな感じがいいな。仕事終わりって感じで。そうそう、いいよ」  とにかく言われるままにする優の周りを、隼人はあちこち動き回り何度もシャッターを切る。懐かしい。昔と同じだ。変わったのは、立派な機材やいかにも金のかかっていそうな、隼人のしゃれた服装だけかも知れない。 「じゃ、今度はそこに座って煙草でも吸ってて」  なめらかな曲線が美しい黒いテーブルを前に椅子に座り、優は言われたとおり煙草を取り出す。  ふと、気づく。ずいぶん撮ったのに、隼人はフィルムを交換しない。  あの頃、隼人はこだわりがあるとかで、フィルムを使っていた。いちいち丁寧に、惜しむように、シャッターを押していた気がする。一枚一枚魂をこめて撮っていたあの頃と、いいと思ったらどんどん撮って取捨選択する今と、どっちがいいんだろうか。そんなことを、ぼんやり思う。  そうやって部屋のあちこちで撮った後で、隼人は優に上だけ脱いでベッドに上がるように言った。 「明かりに寄って」  高さを調節した照明をベッドのそばに置き、優の髪を両手で乱れさせると、隼人は至近距離でカメラを構えたまま、優の髪に左手を添えた。  はっとして隼人を見ようとした瞬間、シャッターが切られる。 「覚えてた? こういうふうに撮ったことあったよね。最後のあの日だよ」  カメラを下ろした隼人は、ほろ苦く微笑んでいた。  あの日、まさに今と同じ状態で写真を撮られた後、仕事のことを問いつめられ、やめられないのかと言われ、その場で別れを告げた。  過去のことはすぐ忘れるようにしているのに、隼人と過ごした記憶は、かなり鮮明だ。改めて気づき、優は目の前の隼人を見つめ返した。あんなふうに想われたことは、初めてだったからだろう。  もしかしたら隼人とのことは、しっかりつかむべきだった数少ない恋だったのではないか。他はもう、相手の顔も覚えていないようなつきあいばかりだ。 「そんなことまで覚えててくれて、うれしいよ。もう何枚か、いいかな」  半分呆然としたままうなずいた。隼人はまた自分の左手を優の髪に添えて写真を撮る。  すぐそばでレンズを替える隼人の横顔。引き締まった、いい顔になった。瞳に自信が浮かんでいる。密度の濃い仕事をし、充実した生活を送れている男の顔だ。  かすかに、心が揺れる。それは欲情のせつなさによく似ている。 「すごく、色っぽくなったよね」  隙をつくように素早く、唇が奪われた。揺れを見透かされたのか。 「あ……」  刹那の口づけ直後にシャッターを押され、優はうろたえた。隼人は笑みを浮かべたまま、添えた左手で愛しげに優の髪をなでる。 「ねえ、風呂入ったら? トイレ行く時見たでしょ、夜景眺めながら風呂入れるよ」  ああ、やっぱり。  圧倒されるような思いで、優は隼人を見すえていた視線をベッドに落とした。  隼人は、変わってしまった。と言うより、大人の男になった。変わっていないと思ったのは、きっと願望。  あの頃の隼人は、まっすぐすぎた。自分にはない、人すら貫けそうなまっすぐさが好きだった。それを失って欲しくはなかった。  とはいえ、充分予想していた展開ではあった。あの頃のまっすぐさは同時に、生きていくには時に荷物になりそうでもあったから、この変化はきっと必然だ。そう思いたい。 「いや、やめとくよ」  迷いよりもとまどいを強く感じながら、優は小声で誘いを断った。そう、と軽く受け、隼人はベッドに寝転がる。 「もう、秋山がいるから火遊びはしない?」 「そっか、うん、そうだね」  言われて優は、華やかに笑った。もう後悔はしたくない、だから寝ない。こうして名前が出るだけで、こころがぱっと色づく。そんなことは初めてだ。  これまでの自分なら、きっと寝ただろう。昔抱かれることなく終わった相手ならなおさら、この夜限りだと割り切って情事を楽しんだに違いない。ついさっき確かに、心は揺れたのだから。 「即答だもんなあ。まったく、ごちそうさまって言う他ないね。幸せそうに笑っちゃって、秋山がうらやましいや」  わざとらしいため息をついて、勢いよく身体を起こす隼人。 「じゃ、撮影はこれで終わり。メシおごるよ。それとも、バーで飲む?」 「いいの? ここ高いでしょ?」 「気にしないで。俺だってそのぐらいできるようになったんだから。ギャラも出すって、約束だったでしょ?」  そう言うと隼人は、優に背を向けてカメラに手を伸ばす。  ちょっと期待してたのに、などとわざとらしい大声で言いながら、片づけを始める背中。その変わらない子供っぽさに、ありがとう、と優は唇だけでつぶやいた。
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