47人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ
SCENE7
約束の時間より三十分以上も遅れて、流は息を切らして諒太の部屋にやって来た。仕事の疲れか、うっかり二度寝してしまったのだ。
「これ、お土産な」
流は缶ビールやつまみが入ったコンビニの袋を、テーブルに置いた。
「悪いね。散らかってるけど座って」
「ホント汚ねえ部屋だなあ」
さすがにスーツはハンガーにかけてあるが、脱ぎ散らしたのか取りこんだ洗濯物なのか、ワイシャツもトレーナーもジーンズも一緒に、部屋の隅にごっちゃりと置かれている。雑誌やビールの空き缶、テレビ前に散乱するゲームソフトなどを見れば、諒太がこの部屋でどんなふうに過ごしているのか、だいたい見当がついてしまう。
大型テレビのそばに積まれたDVDに、思わず目を止める。普通の映画のソフトに混じって、明らかにあやしげなタイトルが何本もある。
「なんか見る?」
「バ、バカ、こんなの一緒に見るもんじゃねえだろっ」
諒太の屈託ない笑顔に、流はあわてて言い返した。
「は? ああ、こっちのこと言ってんの? そんなこと言って、見てみたいんじゃないの? いいよ、俺のオカズ分けてやるって。な、どれ見る?」
三十近い男同士でAV鑑賞なんて不毛すぎる。しかしいくら流がいいと言っても、諒太は聞く耳を持たない。
「お前、相談があるんじゃなかったのかよ?」
半分あきれて、喜々としてDVDをセットする広い背中に問いを投げる。この前会ったばかりだというのに、相談したいこともあるから遊びに来なよ、と誘われて、流はわざわざ来たのだ。
「ああ、それはまた後で。ほら、ちょっと古いけどこれすげえんだぜ」
すでに諒太の目はぎらついていて、なにを言っても無駄なようだ。流は仕方なく缶ビールを開け、見ているようなポーズを取った。こういうのは苦手だが、仕方ない。
視界の隅で、画質が悪いのか画面がちらつく。こいつ好きそうだよな、店でも下ネタ多いし、見るからにパワーありあまってそうな感じだし、と流はそっとため息をつく。
少し棒読みのセリフを聞いた瞬間、流ののんきな物思いははじけた。おそるおそる画面に目をやる。
心臓を思いきり殴られたかのように、身体が動かない。
長く伸びた黒髪。すべらかな茶色の肌。まつげの長い、大きな瞳。押し殺した、低くつやっぽい声で、子供がしゃくりあげるようにあえぐ。
見間違うはずがない。そこにいるのは、まだ十代ではと思わせる、あどけなさの残る優だ。
ホテルらしき部屋で二人の男に挟まれ、卑猥な言葉を浴びせられながら、立ったまま犯されている。優のくぐもった声がひときわ高くなるたび、流は心臓をひねりあげられる思いがした。
「……な、なんだよ、なんなんだよ、これ……」
諒太の喉もとにゆっくり突きつけるような声が出た。画面を見つめていた諒太が、ゆっくり振り返る。流のこわばった顔を見て、いやらしい笑みがむしろ深くなる。
こいつはこれを見せたかったのだと、流は悟った。
「知らなかった? 優さん、昔こういうこともやってたんだよ」
諒太は積んであったDVDをごっそり手にし、
「ほら、これもこれも、名前変えてみんな優さんが出てるんだ。しかも結構エグイ、いわゆる裏ビデオってヤツにさ」
と言いながら、パッケージを抜き出しては流の足元に投げつける。
「止めろよ。どういうつもりだよ!」
「ちゃんと見ろよ。優さんはこういうことして生きてきたんだ。俺はそれを教えてやりたかったんだよ」
視界に入る、男の股間に顔をうずめる優の顔のアップ。苦痛とも愉悦ともつかない、うつろな表情。極力見まいとしながら、流はテレビの電源を乱暴に消す。
「どうよ、これでもまだ優さんとやっていける? お前みたいにのほほんと生きてきたヤツに、こういう過去も全部受け入れられんの?」
流は足元に転がるDVDのパッケージに目を落とし、すぐに固く目を閉じた。目の前の闇が、思考までも覆い尽くしたようだ。なにも考えられない。
「ったく、お前ムカつくんだよ。いきなり現れて、優さんも客も、おいしいとこだけ持っていきやがってよ」
諒太が言葉とともに投げつけたDVDケースが、流の太ももに当たる。
痛い。ナイフが刺さったかというほど、痛い。
流はそれでも目を開けられなかった。
「分かったつもりのそのツラがムカつくんだよ。同情だけならいくらでもできんだかんな。おい、なんか言えよ!」
そっと瞳だけをあげて諒太を見る。諒太はわずかにひるんだように見えた。
諒太は友達づきあいの笑顔の裏で、本当はこんなふうに思っていたのかと、なによりそれがショックだった。ひるんだのは、たぶん自分があまりにも打ちのめされた顔だったからだろう。目の前の諒太が、悪人になりきれていないと思いたかった。
「なあ、なんで優さんは今でもウリやってんだ? 充分すぎる金もらって、お前もいるのにさ。お前じゃダメだからだろ?」
流はゆっくり顔を上げた。
「……ウリ? ウリって……」
放心したように自分を見る流を、諒太は鼻で笑った。片頬をゆがめ、にやつきながら勝ち誇ったように流を眺める。
「なに言っちゃってんの? 知らなかった? 優さん、昔の客といまだにつきあいあんだよ。ったく、その程度で恋人気取りかよ」
まさか。まさか、今でも……?
諒太を見上げた。まだ笑っている。ひるんだ、と思ったのは気のせいだったのだ。こいつはもたもたした自分のやり方を陰では笑っていたのだろうと思うと、涙が出そうだった。
「ほら、こういうふうにさ」
諒太はテレビに手を伸ばし、流が切った主電源をまた入れる。流は反射的に、そばにあったリモコンでプレイヤー自体を止めた。
「もういい、帰る……」
流は荷物を手に立ち上がった。一刻も早く、ここから出て一人になりたい。
「……最低だ。お前、最低だな……」
ただぼそぼそと、言葉を足元にこぼすことしかできない。思いきった行動に出られない自分を、流は死ぬほど情けなく思った。
「俺から聞いたって、言ってもらって構わねえからな」
部屋を出て行く背中にかけられた諒太の声は、どこかはしゃいでさえいた。
俺はなにも知らなかった……。
流は唇をきつくかみしめた。
優の過去も、諒太も優を好きだったことも、自分への反感も。本当になにも、知らなかった。
流はふらふらと、夕暮れの街に出て行った。
最初のコメントを投稿しよう!