SCENE9

3/3
前へ
/23ページ
次へ
「ねえ流ちゃん、俺これから流ちゃんといるために、そういうことみんなやめたんだ、この世界から足洗ったっていいし」 「そういうこと……? そういうことってなに?」  分かっているし聞きたくないのに、こぼれてしまう問い。優だってそれを言いたくないに決まっている。だからと言ってたぶん、隠すつもりはなかったんだろう。  優はただ、「そういうこと」が当たり前の世界に生きてきただけなのだから。  流から離れてベッドを出ると、優は部屋の明かりをつけた。涙を見られまいと顔を伏せる流の頬をそっと片手で包み、微笑む。  きれいだ。流は思わず見とれた。この前見た、隼人が撮った写真の中の笑顔を思い出す。最後を飾る花のように見えるのは、そのつもりだからだろう。自分も、優も。 「なにを聞きたいの? 石田さんのこと? 俺の過去全般? 流ちゃんが知りたいんなら俺全部話すから」  明かりを背負った笑顔が強く輝く。  なにも言えず目を見開く流の瞳から、また流れ落ちる涙。それを見て頬を両手で包みこもうとする優の手を、流は力なく払う。 「……やっぱいい。言わないでいい。聞きたくない。怖い」  ぽつんぽつんとつぶやくたび、身体が小さくなっていく気がする。こんなにも優が求めてくれているのに、受け入れられない。情けない。かなしい。 「聞いて。全部聞いて。俺がどうやって生きてきたのか、聞いて欲しい。洗いざらい、誰にも言えなかったことも全部」  流は小さく首を横に振る。泣き疲れた子供のように。 「俺、決めたのに。この先ずっと流ちゃんと二人でやっていこうって。やっとそう思えたんだ。そう思えたのは初めてなんだよ。ねえ、流ちゃん」  優に腕をつかんでゆすられ、流は顔を見られまいと身体をよじった。  やっぱり無理だ。人とつきあうということが、ここまで覚悟のいることだとは思わなかった。自分には重すぎる。優の人生を支える力は、この腕にはない。優を愛した人々の想いまでもを受け止めることなんて、とてもできない。 「……自信、ないんだ。優君この前、店急に三日も休んだろ? LINEの返事もその休み明けてからで、それだけでいろいろ考えて、疑心暗鬼で頭いっぱいになって、俺……」  諒太の言う通りだった。生きる世界が違う。でも、そんな言葉で片づけたくなかった。それでも、無理なものは無理だった。 「三日間、呼ばれてホテル行ってた。その人は昔からのお客さんでね、仕事でホテルに缶詰になるたびに、俺を話し相手にって呼んでくれるんだ。でも、ちゃんとした恋人ができたんなら、こういうことはやめないと、って言ってね……」 「聞きたくないって言ってんだろ!」   優が絞り出すように積み重ねた言葉を崩し、流は立ち上がる。 「優君は……、そうやって……」  またよみがえる、映像の中で犯される若い優。頭を振って映像を振り払っても、しつこくこびりついて消えない。 「そうやって、なに? 言ってよ」  優が好きだ。好きだからこそ言ってはならないこと、せめてこれだけは守りきりたい。優も自分も壊してしまう、最低の人間にならないために。  だから、終わりにするこの言葉を言う。 「ごめん、俺、無理だ。好きだからこそ、無理だ」  流が服を着て帰り支度をしている間、優は黙って立ち尽くしていた。呼吸すらしていないのではないかというほど静かに。校庭に置き去りにされたボールのように。  流はそんな優を置いて、振り返らずに部屋を出て行った。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

52人が本棚に入れています
本棚に追加