SCENE11

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SCENE11

 ある大手出版社での雑誌の取材を終えて、流は古びた本社ビルの廊下を一人で歩いていた。  なんとか動いている。なんとか、という言葉がまさにぴったりで、取材中もぼんやりしていてインタビュアーに心配されてしまった。プロとして、あってはならないことだ。  でも今日、新宿に行くこと自体、少しつらかった。新宿には思い出が多すぎる。 「秋山?」  突然の声。肩をたたかれて、びくりとして振り返る。 「どうした? 考え事?」  隼人が笑っていた。紺のミリタリーコートに大きなカメラバッグ。いかにもカメラマンらしい格好を、流は呆けたように見つめた。なんだか場違いなところで会ったような気分だ。 「取材かなんか? 俺も今打ち合わせ終わったとこでさ」 「稲森……」  こういう時、友達に会うとほっとするはずが、流は少しふらついた足どりで隼人とわずかに距離を取る。  隼人も昔、優とつきあっていた。 「なんだなんだ、どうした?」  隼人はカメラバッグをいったん床に下ろし、小さな子供をあやすように少し腰をかがめて流の顔をのぞきこむ。 「あ、ああ、寝てなくて……」  実際、ここ何日も不眠気味で、その言葉は嘘ではない。 「お前ちょっと、時間ある? あるなら、下のカフェにでも」  流は躊躇した。こんな状態で、あまり人と接したくない。相手が隼人なら、なおさらだ。 「行こう」  隼人は流の返事も聞かず、ほとんど無理やり流を引っぱるようにしてエレベーターホールへと歩き出した。 「そういや諒太の送別会、来なかったな。仕事?」  オーダー後、かたわらのカメラバッグを愛でるように触れながら、さりげなく言う隼人。 「……うん、まあ……」 「優さんも来なかったけど、一緒だったのか?」  穏やかな口調のはずが、隼人の声がぐさりと流の胸に突き刺さる。  優からの電話やLINEにどう応えたらいいのか、流は悩んでいた。一方的過ぎた、という後悔もある。やっていける自信がないから、これでいいのだとも思う。とはいえ、やっぱり一度会ってちゃんと話をするべきだとも思っている。  嫌いになったのではない。むしろ好きだから、もうお互い傷つきたくないし、傷つけたくない。だからこそ、どうすべきか分からなかった。 「別にいいだろ、そんなこと」 「そんなこと?」  深くうつむく流の前にホットコーヒーが置かれた。隼人は自分のカフェオレを、スプーンで何度もゆっくりかき回す。そのスプーンに寄り添うような優雅な指の動きを、ぼんやり流は眺めた。もう、考えることに疲れていた。 「お前がそういう言い方するなんて、珍しいな」  笑いを含んだ声にむっとして顔を上げると、目だけが笑わずにまっすぐ、流を捉えている。  そうしてようやく、気づく。隼人はたぶん、会った瞬間にはなにがあったのかを察したのだろう。 「お前頼むからさ、俺の二の舞はやめてくれよな」  隼人はよく整った顔を情けなくゆがめて肩をすくめ、使いこまれたカメラバッグに目をやる。 「……なんだよ、二の舞って」  流はこっぴどく叱られた子供のように、上目遣いに隼人を見た。  言いながらも、分かるような気がした。今よりも若かった隼人は、たぶん優に対して気負ったのだろう。優のすべてを知って、なにもかも包んで、癒してやるんだと。 「好きで、一緒にいたかったらいりゃいいんだよ。それだけなんだ。それさえできりゃいいんだ」  それすらできない場合は、どうしたらいい?  闇の中に浮かび上がる疑問を、流は口にはしなかった。  隼人はカメラバッグに目をやったまま、カフェオレを飲む。そこに優との思い出でもあるのか、つらそうに目を細めた横顔がせつない。  沈黙。流はさっきの取材で話す気力をほとんど使い果たしてしまっていた。話すべきことなど、なにも浮かばない。  隼人が乱暴に置いたカップが音をたて、流は伏せていた顔を上げる。目の前の隼人の顔には、いらだちがあからさまに出ていた。 「なにがあったんだか知らねえけど、お前マジいい加減にしてくれよ。あんだけ優さんのこと憔悴させといて、そのままほっとくのかよ?」 「……会ったのか?」 「ぐずぐずしてると、俺とるぞ?」  流の問いに答えず、隼人は薄い唇の端を上げ不敵に笑う。 「取るって、お前……」  険しい顔の流に、隼人は楽しげに膝をたたいた。 「出た! 優さんの写真見せた時の極悪顔!」  流を指差しながらソファに深くもたれて笑う隼人。  流はそれ以上追及する気をなくした。まだ笑っている隼人を腫れぼったい目で眺め、大げさな仕草がまるでドラマのようだとぼんやり思う。  そうだ、これがドラマだったらいい。カットがかかれば、それまで役者が生きていた世界は、カメラに記録されたフィクションになる。  流は無表情に、ぬるいコーヒーを飲んだ。  これは、逃げだ。でもきっと、こんな情けない自分を知れてよかったのだ。 「お前……」  いつまでも無言の流を、隼人は細く整えた眉を寄せて見つめ、ころころ変えていた表情を真顔に戻した。 「俺はお前を待つようないい人じゃねえ。とるぞ、いいか?」  隼人の自信ありげな笑みの翳りに、流は気づけなかった。
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