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SCENE12
隼人が副編集長のところに行ってなにか言った。するとそれまでスタジオにいたスタッフ達は、みんな外に出て行ってしまった。
人目が多いから緊張しているのだろうという、隼人の配慮のようだ。優はそっとため息をつき、うつむいた。
結局、悩んだ末に優は女性ファッション誌のモデルの仕事を受けた。
「優さん、思い出して」
唐突に隼人が陽気な声をあげ、無邪気に満面の笑みを浮かべる。
「思い出してよ」
酔った時のように奔放に、もう一度繰り返す。
「だから、なにを?」
そう言う声がもう、うわずる。石田に服を買い与え続けられたことで肥えた目は、衣装のスーツが数十万を下らないことを見抜いた。撮影用に準備された椅子やテーブル、それに文具などの小物類はどれも、一つ一つが気品高く存在している。
期待に応えなければ、という思いばかりが空回りし、身体はこわばり、気はあせる。分かっていても、とてもリラックスしてカメラの前に立つことなどできない。
なにか、自分を変えるきっかけになれば、と思った。新しいことに挑戦して、少しでも気を紛らわせたかった。
やはり、そんな思いだけで望んだのは甘かった。低予算で違法すれすれのAVなんかとはまるで違う。隼人や副編集長達スタッフの要求に頭は真っ白、視線を据えるのすらおぼつかない。
「とりあえず座って。なんでもいい、思い出して」
いったいどういうつもりだろう。隼人の要求はあまりに乱暴だ。
それでも優は素直に無心に、ここがスタジオだということを忘れ、緊張をほぐそうと指示に従おうとした。
目を閉じる。思い出す。
流がまだバイトとして店にいた頃、やけに落ちこんだ様子で出勤してきたことがあった。初めてドラマでまともな役をもらえたのに、全然うまくできなかったのだと泣きそうに話し、痛々しいほどだった。
あの時、自分はなんと言って慰めたのだろう。べそをかいたような、うれしそうな流の笑顔だけが記憶にある。流がどんどん、接客するうちに元気を取り戻したことに、本当にほっとした。
カシャカシャカシャ、と続けてシャッターが切られる。驚いて優は顔を上げた。顔を上げたところで、また何度も撮られた。
「さっきまで取ってたような、ポーズ取って」
優はともかくも隼人の鋭い指示通りに、テーブルに頬杖をついたり、パソコンに向かってみたり、書類にペンを走らせているふりをする。
その間も脳裏には流の笑顔や、うれしそうにまたドラマが決まったと台本を見せてきた時の記憶がまたたく。
もうあの頃とは違う。流は立派な役者になった。今、流にうまくできなかったと言ったら、どんな言葉をくれるだろう。
流の笑顔が見たい。言葉が欲しい。とにかく、会いたい。
流と連絡が取れなくなってから、すでに一ヶ月以上が過ぎている。最悪、会ってくれないかも知れない。それでもいい、今までのように離れていくのを黙って見ているようなことだけはしたくない。
「オッケー、いいよ! お疲れさま!」
隼人はカメラから離れ、満足そうに笑った。
「……え? 終わり?」
「うん、いいの撮れたと思うよ。クライアントのイメージとはちょっと違うかもだけど、見たら納得すると思う」
隼人は妙に自信ありげに、これまでに撮った写真を、デジタル一眼レフカメラを操作して優に見せた。
優は自分のことながら、写真にはっきりと気持ちが映し出されているようで、胸が痛んだ。せつなそうに眉をひそめてはいるが、瞳も唇も優しくゆるんでいる。頭の中には、流しかいなかった。
「ごめんね、なんかつらいこと思い出してたでしょ。でも、すごくいい表情だった」
優は隼人の言葉の裏が読めた気がして、ごめん、と言ってしまいそうなのをこらえた。謝ってはいけない。それよりも、感謝だ。
ありがとう、という言葉は隼人に届いたのかどうか、優がつぶやいた時にはもう、隼人は走り出していた。スタジオの外にいるスタッフ達に写真を見せるつもりだ。
そうだ、流に感謝を伝えに行こう。なにを言われてもいい。とにかく、これまでの感謝を伝えたい。それさえ言えたら、別れを抱きしめたっていい。
スタジオでひとり、優が決意に顔を上げた時、ドアの向こうから興奮したような声が聞こえてきた。
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