SCENE2

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SCENE2

 新宿二丁目にあるゲイバー、CLUB ONE。  客がいない店内に、こりゃ今日はもうダメですね、というウエイターの声が響く。外から帰ってきた肩は、ほんの十分程度の買い物だったのに、シャツに肌が透けていた。  それをちらりと見て、カウンターに座っていた三井諒太は、わざとらしいほど眉をしかめる。 「そんな怖い顔しないで下さいよ、雨は俺のせいじゃないっスよ~」  おどけた声に、わざとさらにきつくにらむ諒太。いつもは気にもしない言葉が、今日はべたりとした不快感を感じさせた。  たぶん雨だからだ。雨は嫌いだ。雨の日はいつも、ろくなことがない。  夕方から降りだした雨は強くなる一方で、わざわざどしゃ降りの月曜日にやってくる客はいなかった。近所の同業者が来て、ちょっと飲んでいったきりだ。  おかげでスタッフ達はずっと暇をもてあまし、白い大理石に黒のインテリアがよく映えるシックな店内に、ギャンブルで大負けしたような顔が点在していた。 「今日、優さんは?」  ウエイターが濡れた肩を拭きながら言うと、出張だろ、とバーテンダーが叱るように応える。 「なんだよ、その邪険な言い方」 「お前が分かりきったこと聞くからだろ」  諒太はスツールを回転させて二人に背を向ける。まさに、夫婦喧嘩は犬も食わない。 「……出張なんかやめりゃあいいんだ」  身体中の不機嫌を吐き出すかのような、諒太の声。  一瞬、店内の空気が止まる。  空気を止めた本人のはずの諒太自身、物騒な自分の声にぎくりとした。思わず後ろを振り返る。 「そ、そうですよね、そんなことしなくたって、ね」  諒太に見られ、呪縛が解けたようにあわてて言うバーテンダー。 「そうそう、大ブレイク中の秋山さんと早く落ち着いたらいいのに」 「だよな、甘やかしてくれそうだもんな」  不機嫌の尾を引いたまま、諒太。途端にバーテンダーは不安げに眉を寄せ、ウエイターは調子に乗って言葉を重ねる。  今人気上昇中の俳優、秋山流と、CLUB ONEの売れっ子で二丁目の有名人、村田優。誰もが、いつまでも微妙な関係のままの二人がくっついてしまえばいいと思っている。  自分以外の誰もが、だ。たぶんこの気持ちを知っていて、だ。  諒太はカウンターにむっつりと頬杖をついた。視線を複数感じたが、無視を決めこむ。  広く平たい額、細く長い一重の瞳、低い鼻。いじりすぎて薄くなってしまった眉は、どうせ客なんか来ないだろうと、今日はそのままだった。  薄い眉を寄せると物騒な表情がますます険しく見えるせいか、周りは話しかけてこない。むしろ今はそれが好都合だった。  そろそろ、見切りをつけるべきなのかも知れない。優は弟のようにかわいがってはくれるが、キープ候補にすら入れない。いつまでも、都合よく扱える後輩のままだ。  それにここでの諒太の武器は、愛想のよさだけだった。それを充分すぎるほど自覚している。二十五にもなれば、ルックスが人並み以下の自分では、若さなんてなんの価値もない。優とは違う。流のような才能もない。  諒太の太い指は無意識に、カウンターを細かくたたき続ける。  周りの連中は単に面白がって、二人がくっつけばいいと思っているだけだ。長年二丁目で生きてきた優が、流の手に負えるはずがない。でも流が去った後、優の隣に座れるのは自分ではない。そんなことは前から分かっている。  感傷を吹き飛ばす、荒々しいため息。  見切りをつけるなら、きっぱり徹底的にやろう。そう決めつつも、諒太が不機嫌を追い払うために思うのはやはり、優のことだった。  ココア色のなめらかな肌。細いがきちんとつくべきところには筋肉がついている、バランスの取れた身体。くっきりした二重まぶたの瞳は、長いまつげが伏せられるたびに色気が香る。  とろけるような声でささやかれ、潤む瞳で見つめられたら。そう思うだけで、欲情に肌が沸きたつ。抱きしめれば、いつもの優の香りにほのかに包まれるだろう。  キスはまだ、しない。優の香りに昂ぶる気持ちを抑えつつ、服の上から優の細い身体を愛撫する。じらす。たまらず先に進むことをねだらずにはいられないほど、じらしていじめてやりたい。 「おいみんな、今日はもう帰らないか?」  唐突に店の一番奥、VIPルームの方から大声が響き、店長の藤崎がのっそりと現れた。  止まらない妄想に欲情しかけていたから、藤崎の提案に諒太は内心ほっとしてスツールに座り直す。 「どうせもう客なんか来ねえよ、店開けてるだけ無駄だって」  いいんですか、本当ですか、などと口々に言いながら、途端に目を輝かせるスタッフ達。 「ほら諒太、お前は外の看板しまえ!」  せっつかれ、諒太は仕方なく外に出た。激しい雨に舌打ちし、濡れながら看板に手をかけた時、見慣れた横顔。 「……あれ、優さん?」  つい、妄想がよみがえりかける。数十メートル先でビニール傘を差し、街灯に照らされながら新宿御苑の方へと歩いていくのは、間違いなく優だ。 「おい、なにしてんだ」  背後から、藤崎の大声。 「今、優さんが向こうに」 「ああ、出張だろ」  藤崎はぶっきらぼうに言う。とにかく早く帰りたいらしく、大きな身体で機敏に動く。同じく二丁目で働いているパートナーも、たぶん今日は雨のせいで早上がりなのだろう。 「まったく、稼いでんのによくやるよなあ」  つぶやきながら、さっさとレジカウンターで閉店作業を進める藤崎。  「出張」の帰りにしては、妙な方向から優は歩いてきていた。諒太は疑問に思い、帰り支度をしながらいろいろ考えてみたものの、すぐに馬鹿らしくなってやめた。  こんな雨の夜は部屋にこもって、AVでも見るに限る。  そうだ、今度あれを流に見せてやろう。動揺しなけりゃ、本物だろう。  意地悪く笑う諒太の顔をネオンが照らし、むき出しの欲望が雨に濡れた。
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