SCENE4

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 それから数日後の夜。思わず入るのを躊躇してしまうような、薄汚く狭いタイ料理店に諒太はいた。店は汚いが味はいい、の典型のような店は、二丁目で働く人間なら誰もが知っている。  諒太は店の定休日に、優を誘った。どっか遊びに行こう、という提案はめんどくさいと却下され、じゃあ部屋に遊びに行ってもいいか、という申し出も断られ、結局いつもの店だ。  入り口に人の気配がする度に、視線を向ける。それを何度か繰り返していた諒太は、背の高い、見覚えのある顔を認めて、思わず舌打ちした。諒太の気持ちを知るはずもない笑顔が、当然のように近づいてくる。 「あれ、優君は?」  諒太の知る限り、優を君づけで呼ぶのは流だけだ。それがものすごく特別なことに思え、気分が悪い。 「まだだけど」  諒太は無愛想に言い、流を見ないまま煙草に火をつけた。つけすぎた香水が強く香り、また舌打ちしかけてこらえる。 「スケジュールが変わって、今日明日って暇になったから、優君に電話したんだ。そしたら、ちょうど諒太とメシ食う約束あるから、一緒にどうかって言われて」  なにがちょうど、だ。諒太は内心毒づき、黙ったままでいた。優と二人きりのつもりが、流が来てしまえばもう、この後の展開は決まったようなものだ。 「あ、来たよ」  ダウンベストを脱ぎかけていた流の声が、途端にはずむ。とがった気分のまま諒太が顔を上げると、スマートな黒のコート姿の優。いつも優はいい物だけを着ている。  きれいだ。やっぱりあの人は最高だ。  諒太は一瞬で不機嫌も吹き飛び、優をうっとりと見つめた。 「お疲れ。明日も休みになったんだって? よかったね」  諒太はまた一瞬で不機嫌になる。まるで諒太がいないかのように、優は流にだけ笑顔を向け、流は優が脱いだコートをごく自然に受け取ってハンガーにかけた。 「うん、おかげでここに来れてうれしいよ」 「この店、ホントにうまいもんね」  心なしか、そんなたわいもない会話までもが甘ったるい。入る隙がない。  二人のやりとりを目の前で見せられて、諒太は焦った。  たったこれだけでも分かる。これまで見てきた、優の相手との間に流れていたものとは明らかに質が違う、親密さ。どうせうまくいかない、と思っていた二人は、諒太の予想以上にうまくいっているらしい。  タイ人の店員が、なにも言わないのにいつものビールを持ってくる。それも当然で、十年近く二丁目近辺に住んでいる優はかなりの常連だった。メニューも見ずに料理を何品か注文する。 「じゃ、今日は泊まってく?」  グラスにビールを注ぎながら、当たり前のようにさらりと流に言う優。  思わず大声を上げそうになる。諒太が部屋に遊びに行きたい、と言った時、優はにべもなかった。俺が部屋に他人入れたがらないの、知ってるだろ。確かにそう言った。 「あ、いいの?」  短く答える流は、目尻が下がって本当にうれしそうだ。ということはまだ、優の「特別」にはなっていても、泊まるのは「当然」にはなっていない。それなら、まだなんとか間に合うはずだ。あっさりいいとこ取りなんて真似は、絶対させない。 「おい諒太、怖い顔がよけい怖いんだけど」  諒太は優の声にあわてて笑顔を作り、差し出されたビールを受け取る。 「じゃ、乾杯」  まだきっと大丈夫だ。まだ間に合う。早くあれを流に見せよう。  呪文のように繰り返し念じながら、諒太はグラスのビールを一気に飲み干した。
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