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act.07
隼人が、羽柴と二人で名残を惜しみつつブラブラと歩きながら、搭乗口の手前のフロアまで来た時、丁度羽柴の乗る飛行機の搭乗案内アナウンスが響き渡った。
「あ、この飛行機だろ?」
隼人は頭上の電光掲示板に目をやったが、羽柴はまるっきり違う方を見ていた。
「あそこ走って来てるの、杉野君じゃないか?」
ふいに羽柴がそう言って、隼人は羽柴の指す方に思わず目を遣った。
「・・・嘘だろ・・・?」
ドキリとした。
吹き抜けになっている下の階、人でごった返す入口から飛び込んできた杉野の顔はとても必死な顔つきで、まるで余裕のない表情だった。
驚いたことに彼は白衣姿のままで、周囲の人々がギョッとした顔つきで杉野を見つめている。
時間的にはまだ、杉野は勤務時間中だ。
『他の人には決して迷惑をかけない』と生真面目に自分のポリシーを言い放ったあの杉野が、自分の仕事を放り出してこんなことろまで来るなんて。それも、まるで余裕のない引きつった表情を浮かべながら。
今まで、杉野のそんな姿見たことなんかなかった。こんなに焦りまくっている、最高に『格好悪い』姿。
それを見ただけで、なぜか胸がギュッとなった。
背後で、ふふっと羽柴のささやかな笑い声が聞こえる。
「お前、愛されてるなぁ」
「なっ」
そんなんじゃねぇよ、と隼人は振り返った途端、羽柴の顔を見て、ぴたりと口を噤んだ。
羽柴は、今まで以上に優しげな表情で、隼人を見ていた。
全てを包み込むような、その感じ。
おそらく真一が恋いこがれて夢中だった、羽柴の笑顔。
その笑顔に思わず見とれてしまった隼人に、彼は一言ぽつりと言った。
「 ── お前と彼が、おじいちゃんになっても、ずっと一緒にいられたらいいな」
その瞬間、隼人の耳から全ての音がなくなった。
雑踏のざわめきも。
飛行機到着のアナウンスも。
子どもの泣き声も、全部。
いつも強がりで天の邪鬼な隼人だったが、この時ばかりは取り繕うことができなかった。
ぽろぽろと涙が零れる。
それは止まることなく、次々と零れ落ちた。
そう言ってもらえることが、純粋に嬉しかったこともある。
けれど、羽柴とその最愛の人だった真一のことまで思い浮かんで、どうしようもなかった。
やたら泣けて泣けて、隼人は思わず羽柴の腕にしがみついてしまった。
ずっと一緒にいれたらいいなどと、その願いが叶うことのなかった羽柴が言ったことに重みを感じ、そしてまた申し訳なくも感じて、隼人は嗚咽を堪えるので精一杯だった。
羽柴が、震える隼人の背中をそっと撫でる。
「もし俺のために泣いてるのなら、その必要はないぞ」
羽柴も隼人の心が分かったのだろう。隼人が顔を上げると、羽柴はにっこりと笑った。
「・・・は、しばさん・・・!!」
隼人は辺り憚らずヒックヒックとえづきながら、羽柴の大きな身体にしがみついた。
羽柴の腕の中は、とても温かかった。
「おら、洟水拭けよ。彼がこっちに向かってくるぞ」
羽柴がジーンズのポケットからハンカチを出して、隼人に押しつけてくる。
「・・・いいよ。今借りたら返せないから・・・」
口を尖らせる隼人の額を、羽柴は指で小突く。
「いくら何でも、肝心の場面で洟水ぶーじゃな」
「ひでぇな・・・」
隼人は、羽柴の手からハンカチを奪い取って顔を拭いた。
目線があって、自然と笑みが零れる。
「 ── じゃ、俺、もう行くな」
「うん」
「お前の想い人にも、よろしく」
「・・・バカ」
顔を赤らめる隼人に、羽柴は手を振った。
「今度はきちんと分かるように言うんだぞ!」
「分かってるよ!」
「しっかりな!!」
「だぁー!! うるさいよ! さっさと行け!!」
グスッと鼻を鳴らして振り返ると、そこには肩ではぁはぁと息をする杉野がいた。
隼人の頬に流れる“なごりの涙粒”を見て、杉野は益々不安げな顔をした。
「・・・一緒に・・・行くんじゃないのか・・・?」
「 ── 行って欲しいの?」
隼人がそう訊き返すと、杉野は困り果てた表情を浮かべた。
「いや・・・そのう・・・あの・・・。そんなに泣いてしまうまで別れが悲しいんだろ・・・?」
全く素直でない想い人。
そこまで必死な顔つきでこんなところまで追いかけてきたというのに。
そんなことを確認するために、白衣のまま空港まで来たというのだろうか。
俺だってそんな言葉、聞きたい訳じゃないのに・・・。
── でも。
隼人も今まで、ずっとそうしてきた。
そうして沢山の大切なかけらを、ぽろりぽろりと零してきたのだ。
やせ我慢して、強気を装って。寂しくなんかないよとそっぽを向いて。こんなにも触れたいのに。ひとつひとつ確かめながら、彼に触れたいと思っているのにずっと素直になれなくて。
── もう、こんな自分とはおさらばするんだ。新しい自分のために。
隼人は、穏やかに口を開いた。
「俺が泣いてたのは、羽柴さんにこう言ってもらって嬉しかったからだ」
杉野が緊張した面もちで、隼人の声を聞こうとしているのが分かる。
「俺とあんたが、ジジィになるまで一緒にいれたらいいなって」
隼人がそう言うと、杉野は一瞬どういう意味か分からなかったらしい。怪訝そうな顔つきをして見せたが、「バカヤロウ、分かれよ」と隼人が顔を赤くして言うと、すぐに杉野も顔を真っ赤にした。
「・・・ほ、本当に? 俺なんかと一緒にいたいと思ってくれているのか?」
普段の杉野からは想像もできないほど弱気な声。
隼人は、ゆっくりと優しく笑う。
何も取り憑くろうことのない、自然な笑顔。
その自然な笑顔がコクリと頷いた。そして訊く。「アンタは、どうなの? 本当の気持ちをアンタの口からちゃんと聞きたい」と。
杉野は隼人の笑顔に見とれていたようだったが、隼人にそう訊かれ、ふいに姿勢を正した。
「俺は・・・き、君が、好きだ」
周囲の人が、男同士の告白にぎょっとした目つきで見ていくのが分かった。
それでも周囲の目を気にすることなく、真っ直ぐ隼人を見つめる杉野は、とても誠実で、また涙が出てきそうなほど真摯だった。
── あんなにカッコツケの男だったのにさ、この人・・・。
再び隼人の顔がくしゃりとなって、小さな涙の粒が零れ落ちた。
「へへ・・・。今のあんた、凄く格好悪いけど、カッコイイ」
そう言われ、杉野も目尻にうっすら涙を溜めながら、微笑みを浮かべた。
隼人は、杉野の前に手を差し出す。
「まずは、手を握るところから始めたいんだけど」
「?」
杉野が首を傾げる。隼人はぼそりと言った。
「今までの恋愛はセックスから始まってたからさ。そういうのはもう、いいんだ。ひとつひとつアンタを確かめて行きたい」
口を尖らせてそう言う隼人の、それでも真剣な思いを杉野もくみ取ったのだろう。
杉野は頷いて、そっと、そして次第に力強く、隼人の手を握り返した。
その時、背後の遠い場所から「やった!!」という大きな歓声が聞こえてきた。
隼人と杉野ばかりか、周囲の人達もそちらの方に目をやる。
手荷物検査場に消えようとしている直前の羽柴の手が、消え際グッと親指を立てた。
「あのおっさんが一番格好悪くて、カッコイイわ」
隼人がそう言うと、杉野が声を上げて笑い始めた。隼人もつられて笑い始める。
その間も、二人の両手はしっかりと繋がれたままで・・・。
『満足して迎える死』が美しいのではなく、
どれだけ自分の人生に誠実であったかという方が寧ろ美しいのであって。
人は生きている限り、自分の生命に対しても相手の生命に対しても懸命であるべきなんだ。
答えは簡単なのに、人は自分で余計に難しくしてしまうものなんだよね。
人の気持ちの連鎖は、寄せては返す波のようにも似ていて。
何度も何度も心を揺さぶり続ける。
人は過去の出来事を糧にして、前向きに生きていくことが何より大切なんだ。
そのことにやっと気付いてくれて。
正直僕は、ほっとしているよ・・・。
come again end.
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さて。隼人の恋物語、いかがだったでしょうか?
国沢の中で「短編」と決めて書いた作品なので、恋愛スタートのところで終わっていますが、確実に幸せになりそうです。今度こそ。
また、この作品は「プリセイ」での羽柴が、東京での数日間に何を考え、何をしていたかを埋める作品にもなっています。
最後の空港でコーヒーショップの窓越し、ショーンと愛の視線を交わす羽柴さんもお楽しみいただけたのではと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!(国沢)
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