あの日

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「ちょっとオレンジジュース買ってくるな」  探偵は立ち上がり、ついでに空になったアイスコーヒーのグラスを持ち、席を離れた。一体いつ面接は始まるのだろうか。このままでは、夜になってしまう。  時計の針はまだ正午だが、油断は出来ない。それにしてもあの密室トリックが気になって仕方がないなとテーブルの上でドッグイヤーされた本が、早く読んでくれと呼んでいるきがしてしまう。  元々、探偵と言う仕事に興味は在ったのだろう。自分が成りたいとも、成れるとも、成ろうとも思った事はなかったが、求人で見つけた時に何処かで心は踊っていたのかも知れない。幼い頃からアニメや漫画で少年探偵の活躍を目にしていた事、読む本も推理小説が多い事。求人を見つけた時交通費だけでは無く、目が輝いたのかも知れない。  考えてみたら、金に汚い以前の問題だ。  交通費やアットホームな職場と言う謳い文句を隠れ蓑に使い、自分の夢を欺いた可能性すら出てくる。かっこ悪いなとため息が出る。  雨で店内が混んでいることも在り、行列に並びオレンジジュースを買おうとしている探偵も随分とかっこ悪い。歳は二十後半か三十位で身長は百七十以下、そんな自分は更に身長が低いのだがまだ二十歳という点で、身長はまだ伸びるはずだ。伸びないと困る。  成長期も一回しか来ていないし、成長痛の経験も無いので、きっとこれから急に膝が痛くなりSサイズの服は着られなくなるに違いない。スマートフォンには友人から連絡が届いている。探偵どうなのよと笑いの顔文字。  まだ始まらないと、打ち。オレンジ探偵を見る。すまんとでも言いたそう頭を下げた。  にこと笑い会釈をし、これは断りたい。とは言え、家賃が払えない以上働かない訳にはいかない。実家に戻るなんて今更出来ないし、嫌になったらやめればいいか、少しでも、最低三万円の家賃代だけは確保しなければならない。 「わりぃわりぃ。喉乾いたよな。えっとなんの話だったけ。まぁいいか、えっと俺の名前は南海雫伊助、ナミダ探偵会社の社長をしている。探偵募集の応募見てくれたんだな、ナミダさんでいいのかい」  履歴書を見ながら尋ねるのであれば、振り仮名をきちんと見てほしいと思うのだ。 「五百井だし涙だし、ナミダ探偵の申し子みたいだな。君は」  訂正するタイミングを見失った。  そして、パソコンの画面をこちらへ向けると、チカチカと点滅を始めたのは、合格だよの文字。鬱陶しいくらいに光っている。眩しい。 「ようし、合格だ。五百井ナミダくん。君をナミダ探偵一人目の探偵に任命するよ。明日から仕事に来られるかな。ああオレンジジュースおごりだから飲んで飲んで」  スーッとテーブルの上をオレンジジュースが近づいてくる。乾いた喉を潤したく、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。これだからモテないのだと池内蓮美辺りには文句を言われそうな飲み方である。 「よし。盃も交わしたという事で、よろしく。涙くん」  探偵は手を伸ばし握手を求める。BGMの無い店内、雨で人のごった返した店内で初対面の見知らぬ男と握手しているのが友人に見られたら嫌だなと思いながら手を差し出そうと伸ばし、止める。大きな雷が近くに落ちる音が聞えた。地面が揺れるような大きな衝撃と音、時間を空けずに店内が闇に変わると、女性の悲鳴が聞こえた。
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