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イベリス
―――その日から、何となく。本当に何となく、僕は彼の姿を目で追っていた。
(今日は寝癖、ついてないな……)
そう今だって。通学路でいつものように3人で手を繋いで歩いている最中にも。
「侑李」
侑花が小さな声で呼び、握った手にほんの少しだけ力を入れた。ようやくそちらに視線を戻すと少し怒ったような顔した彼女がいた。
「話、聞いてなかったでしょ?」
咎めるような口調は当たり前だろう。僕はさっきから生返事すらせずボーッとしていたのだから。
よく喋る亮蔵の口元を見ていたんだ。僕のそれとは違い、滑らかに動き声帯を声として言葉として紡ぐ優秀な彼のそれ。
なぜ、僕にはそれが出来ないんだろう。とうに諦めたはずなのに。焦っても仕方ないと宥めすかしたはずなのに。
……小さく頭を下げた僕の頭を、彼の大きな手が優しく触れた。
ぽんぽん、と2回だけ。
「ちょっと顔色良くねぇな。大丈夫か?」
いつもの距離のはずなのに。
それなのに。すごく近く感じた。呼気すら届くような……その瞳が覗き込めてしまうくらい。
(眉毛、濃いなぁ)
睫毛も実は結構長くて濃い。愛嬌の塊みたいな黒目がこちらをじっと見る。覗き込んでいたはずなのに、覗き込まれているような……いや実際覗き込まれていたのは僕の方だったんだろう。
……人はなぜ言葉を失えば、こうも不自由になってしまうのだろう。
僕は今、何か彼に言いたくて仕方ない気分なんだ。
「ちょっと我慢な」
こつん、額に小さな衝撃。
一気にゼロ距離になった気がして、思わず息を飲んだ。
「ん、熱は……無いな」
(ね、熱を、計ったのか)
最初に何するかくらいには言っておいてくれよ、という恨めしいような気分と。なんか表情筋が一気に緩んで制御出来無くなった恐慌で慌てて顔を伏せた。
「ちょっと、亮蔵。何してんのよ」
刺々しい侑花の声と『え? 何が』という邪気の無い彼の返答が、熱くて熱くて燃えてしまいそうな僕の耳にやっと届いた。
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