ある19歳の告白

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今日は私の十九歳の誕生日だ。自分でも驚いている。たぶん家族も。 中学生ごろから自殺未遂を繰り返してきた。幼いときから、たぶん将来あまり長生きしないような気がしていたし、遅くとも高校生くらいで死ぬつもりでいたのだ。 私は特にセクシュアリティにおいて、ある絶望的な宿命を背負っている。 いま書いている「野中さんについて。」という作品に登場させた、「専ら極端に歳の離れた相手に欲求を感じる」という現象は「クロノフィリア」と呼ばれるものらしい。 私が欲求を感じるのは主に30歳以上年上の男性(現在19歳だから、30歳以上年上は、40代後半から上にあたる。私の場合上限はない)であり、たぶんこれなのだろうと思う。年齢差そのものへのフェティシズムは、私のセクシュアリティの中で特に大きな部分を占めている。 加えて、老化によるシワやたるみ、体臭へのこだわりもあるが、こちらは老人性愛的傾向といえるだろう。 自分のこうした欲求には12,3歳ごろに気づいた。最初は少女にありがちな、大人っぽさへの憧れに違いないと思っていた。だが14歳ごろになると憧れという言葉では自分の感情を片付けきれなくなった。 同級生の男子で、尊敬できるような子は何人かいたし、その中には、綺麗な顔立ちをしているなと感じる者もいたが、私は彼らを性的な対象として見ることはなかった。 尊敬とか「なんとなくかっこいい」とかそういったことで好きになるわけではなく、恋とも呼べないような鮮烈さで私は欲望していた。 16歳のとき、50代の男性を相手にはじめてのセックスを体験したが、これ以来私は自分の欲求に対する確信を強めた。 「自分は特殊な欲求を持ち、それから逃れられない人間なのだ」と。 その後も若い、自分と歳の近い男性に心を動かされることはなく、17歳のころには40代の男性と交際していたが、彼は私を小説の野中さんとおなじく、娘のように扱うだけで性的な交流を持とうとはしなかったから、私は精神的にくたびれてしまった。 現在は20代前半の男性と交際中だ。 私は、将来に不安しかない。 20代前半の男性と付き合っていると書いたが、この関係に満足できているわけではなく、それどころか、彼の若々しい肌のつやめきや筋肉質な身体に若干の嫌悪感を催しながら一緒にいる。 なぜそうまでして付き合うのかといえば、「普通の女の子になりたい」という願いを諦めきれないからだった。 芸能人の年の差婚が報道されるたび、「気持ちが悪い」だとか、非難する言葉がインターネット上にばら撒かれる。 特に、若い女性と年上の男性という組み合せが叩かれることが多く、先日は、芸能人の女性が24歳という成人にも関わらず、「子ども」として扱われて相手の40代男性アイドルが非難されているツイートを見かけ、精神的に参ってしまった。 芸能人ではない私も、もし自分の好みの世代の男性と結婚したならば、少なからず周囲の人たちから自分や相手が非難されてしまうかもしれない。 成人したところで、この欲求のまま生きれば幸せになどなれないだろうと考えた結果、年の近い男と多少無理をして付き合っているというわけだ。 若い女と付き合うおっさんにろくな奴はいないだとか、年上の人を好きになるのは若いころにはありがちなことだとか、言うのは簡単だが、誰が私の孤独や不安や絶望に寄り添ってくれるのだろう? 私が自分を「矯正」するためにどれだけの時間を使い、インターネット上のさまざまな言葉にどれだけ傷つけられてきたかを誰が理解してくれるだろう? 来年の今日には、私は二十歳になるけれど、いまの社会のままではきっと幸せになんかなれていないと思う。 誰に宛てるでもなく、インターネットの海にこの告白を流そう。私がこうして生きていることを誰かに気づかれたい。とても、さみしい。
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