転(19)ケモノの少女

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転(19)ケモノの少女

 いた……  少女がそこにいた。  眠っているのだろうか。膝に顔を埋めて座っていた。  ザックが隠し部屋に入ると気配に気付いたか、少女はゆっくりと顔を上げる。  可愛らしい美少女がそこにいた。  ザックを見つめる幼き瞳は、ただ怯えていた。  ケモノのように大きな耳と、モフモフの尻尾。それがケモノビトの大きな特長なのだそうだ。  長いスカートのせいで尻尾は確認出来ないが、少女の耳は確かにエルフより大きかった。  だが、それだけだ。  希少価値なら確かにあるだろう。人食いの"オーガ"共が特別なディナーとして欲しがるのは分かる。  それだけだ。ただ希少価値があるだけ。それ以外はただの女の子に過ぎない。  なのに何故、ジェイクとキュベリは心を狂わされた?  分からない…。  2人に何があった? どういうカラクリだ? 「おじさん……」  長い沈黙に耐えられなかったか、少女が口を開いた。 「なんだい、お嬢ちゃん……」  ザックは感情を押し殺し、静かに答える。  すると少女は、戸惑いながらもザックに問いかけた。 「おじさんも、"にぃに"……なの?」  その瞬間だった。  凄まじい勢いで、心の中に何かが侵食を始めたのだ。  ザックの心が優しさに包まれてゆく。慈愛に溢れてゆく。暖かい光が心の闇を消してゆく。  これはっ? これがっ! これこそがっ!?  真実の愛っ!?  少女が助けを求めてる! 手を差し伸べ救わねばっ!  少女が危機に陥っている! この身に代えても守らねばばっ!  少女が"にぃに"を欲している! ならば"にぃに"にならねばっ!  ああっ、"にぃに"と名乗りたい! "にぃに"となって少女を安心させたい! そして少女を独占したい! たった独りの"にぃに"になりたい!。誰にも渡すものかっ! オレがっ! オレだけがっ!! この子の"にぃに"だっ!!  ……………。  いや………。違う…………。そうじゃない…………。  俺はダメだ。俺じゃダメだ。この血まみれの両腕で、この子の手を握るわけにはいかない。"にぃに"になる資格なんて、これっぽっちも……無い。  そう思った瞬間、ザックは我に返った。 「い……今のは……いったい……」  辺りを見回すが誰もいない。ただ少女の瞳がザックを見つめるのみ。ザックはやっと気付いた。  これは、呪いなんかじゃない。この子の能力だ。  恐らくは"魅了"。対象の心を引きつけ、夢中にさせる。それ自体は誰でも持ちうる能力だが、力が強ければ、人を自在に操る事だって出来るという。  "魅了"を武器にする殺し屋の噂なら、ザックは聞いた事がある。名前は"チャームアサシン"。赤の他人を暗殺者に仕立て上げたり、時には直接支配して自害を促す。決して己の手は汚さない、最低最悪の殺し屋だ。  まさか……  目の前の少女が……  十歳にも満たない子供が……  "チャームアサシン"……なのか?
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